なんて事だ、今日は厄日か。
 げっそりと肩を落として衆合地獄の花街を闊歩するのは巷で女獄卒に大人気の名前である。彼女は今日も今日とて求められるがままに虫退治や軽い力仕事などをこなしていた。それだけならば何時もの事であり、疲れたなあと肩を回す程度で済んだのだが、今日はそれだけで終わらなかった。彼女にとって予想だにしなかった出来事が最後に起こったのである。

(まさか同性に真剣に告白されるとはなあ…)

 名前の名誉のために言っておくが彼女は心身ともに女であり、男勝りで同性から頼りにされる存在であれど、いたってその性癖はノーマルだ。経験は少なくはあるが男性とも数人ならお付き合いをした事だってある。
 そんな名前は、今日とある女獄卒に告白された。可愛らしい顔をした小柄な女性だった。いかにも男から好かれそうな容姿をした女性に顔を真っ赤にされながら告白されたとなれば、いくら名前でも堪えてしまう。ふうと大きく息を吐いて彼女は何時もの曲がり角へ入った。

「…そう言えば」

 道沿いに経つ店を見てふと思い出したのは、つい先日鬼灯に会った事だった。あの日も虫退治を無事に終えて仙桃片手に帰っていたのだった。そしてどこからともなく現れた鬼灯に仙桃を強奪され、その果てに彼は何と言っていた。

 脳裏流れるバリトンボイス。薄く形の良い唇から紡がれた言葉を思い出してしまったのはこんな告白騒動があったせいなのか。顔面を両手で覆って名前は思わずその場にしゃがみ込んでしまった。ああ、くそ気付きたくなんてなかった。どうせなら鈍感だと思われたままでいたかった。

「あいつ私の事が好きなのか…」

 次からどんな顔で会えばいいというのだろう。



 厄日は続くもので、運が悪い事に今日は閻魔庁への届け物を頼まれてしまった。依頼主はお香であり、昔馴染みの彼女からのお願いを断るわけにもいかず、名前は重たい足取りで鬼灯の待つ執務室へと向かう。
 途中途中「あ、名前さん」と頬を染めて手を振ってくる女獄卒には軽く笑顔を返して、本日一番の大きさのため息を吐きだした。
 そうしてついてしまった執務室の前。両開きの扉は閉め切られて入るにはノックをしたのちに自分の手で開かねばならない。前ならば何の気兼ねもなく、それこそノックすらもせずに開けていた扉が今ではやけに大きく、重たく見える。

 嫌だ、帰りたい。

 心はそう叫んで足は素直に反対方向へ向かおうとする。しかしここはお香のためだと自身を奮い立たせて彼女は震える拳を扉へと押しつけた。

「おや、名前さんではないですか」
「うぎゃああ」

 だが、どう言う訳か部屋にいるはずの彼が横から顔を覗きこんでくるではないか。ひどい悲鳴を上げてしまって恥ずかしいやら逃げ出したいやら心の中は複雑だ。
 不思議そうに名前を呼んでくる鬼灯の顔はどうしても見られずに、書類の束の入った封筒を差し出した。

「これお香から。急ぎの書類だからなるべく早めに見てくださいって」
「ああ…すみません、わざわざ届けていただいて。本来ならば私が取りに伺う予定だったのですが生憎今日は裁判が多くて」
「そ、そうなんだ」

 なんだこのそっけない返しは。これでは意識してしまっているとバラしているようなものではないか。自分を内心で呵責する。

「それじゃ、私急いでるから」

 ひとまずここを離れた方が良さそうだと判断した名前は早々に鬼灯の横を通り過ぎた。否、正確には通り過ぎようとした。しかし現在彼女は腕を掴まれ、頬に手を当てられ、背後の男の体へ引き寄せられてしまっていた。
 そのまま、ぐいと首が痛くなるほどに上へ顔を上げさせられれば、嫌でも鬼灯の顔が目に入る。自分よりも女性陣から人気を誇る彼らしく今日もその顔立ちは端正ではあるものの、日頃の無理が祟ってか目がやけに鋭い。

「避けないでくださいますか、逆に追いかけて、そのまま囲いこんでしまいたくなりますので」
「っ…」
「おや、顔が真っ赤になった。その顔を見るに、ようやく私の愛に気づいてくださったようですね」

 その顔と言われてもここには鏡などないのだから、自分が現在どんな顔をしているかなど分からない。ただ頬が異様に熱い事から、鬼灯の言う通り真っ赤なのだろうと考えた。

「阿呆」

 このまま流されるだけでは癪に障る。どうにか掠れた声で紡ぎ出した悪態は鬼灯の耳に届き、無表情が売りの彼の顔に微かな笑みを乗せる事に成功した。
 男は可愛らしい女の子が好きで、自分のような女は付き合ってすぐに振られてしまう。自分自身を可愛らしくないと思う事もしばしばで、もう男なんていらないと考えた時期もあった。そんな自分を好きだと言う鬼灯は、変わり物の類であるらしい。

「悩みは解消された?」
「ええ、欲しかった貴女を手に入れられましたので」

 頬を撫でていた手が段々と離れて、今度は指先だけで唇に触れられる。この先に何が待っているかなんて想像に容易くて名前はぐっと唇をかみしめた。
 それはたった今恋人になった男からの口づけを待ちわびるような可愛らしい物ではなかったが、それでも鬼灯は心底愛おしい者を見るかのようにして目を細め、そっと唇を食んだ。

141012