そう言えばこの前、「あの夫婦って本当に仲いいのかなあ」なんて話してる女の子を見かけたんだ。彼女の言う、あの夫婦がどこの誰かなんてすぐに分かったよ。だって彼女の手の中には薄型の携帯電話があって画面にはあいつの仏頂面と名前ちゃんの蒼白な顔が映っていたんだから。
 思わず僕は立ち止まってしばらく彼女の事を見守る事にした。綺麗な顔をしているけれどその顔は嫉妬に歪んでいて何だかもったいない。そして腹立たしい。どうしてあんな朴念仁なんかが女の子に人気があるんだか。
 結局彼女はため息をつきながらどこかへ消えて行った。そうそう、それで良い。もし嫉妬に狂って何かしようものならあの鬼は女の子相手だろうときっと容赦はしないだろう。以前、勇気ある女の子に告白されてキレたって話は花街界隈じゃ有名だ。

 なんて回想していると噂をすれば何とやら、奴が歩いて来る。このままじゃ鉢合わせしかねないと身を隠そうとして僕はやはり立ち止まった。なんとあいつが女ものの雑貨店へ入って行ったのである。恐る恐るとある程度の距離を保ちながら近づけば、見えたのは簪片手に普段険しい眉を緩めたあいつの姿。
 瞬間、僕は悟った。ああ、これ名前ちゃんへプレゼントする気なんだって。何だかもう見ているのも嫌になって僕は静かに店を後にした。
 夫婦喧嘩は犬も食わない、夫婦円満が一番とは言うけれどこいつに関してはちょっと喧嘩してみろなんて思ってしまった。



 名前ちゃんが珍しく簪なんて指しているものだからアタシ驚いたの。鼈甲の品の良いそれで艶のある髪を結いあげて彼女、とても嬉しそうに笑っていたわ。
 もちろん彼女本人がこんな物を買うとは思えない。だからすぐに贈った人物は分かったのだけど、ここはからかいも含めて「素敵ねェ、誰からもらったの?」って聞いてみたの。そしたら、

「鬼灯様にいただいたの、貴女に似合うと思ったからって」

 なんて惚気をいただいてしまって渋いと思っていたはずの緑茶が一気に甘くなった気がした。でもきっと名前ちゃんはそんな事気がついてもいないのよね。あんみつを口に運んで笑う顔は、奥さんでお母さんである事も忘れさせてしまうほどに一人の女性だったもの。

 幸せそうねえ、アタシの呟きに頬を染めながら頷いた顔をきっとアタシは暫くの間忘れないわ。



 なんて話を一日に別の人物から聞いてしまったわし。あの冷徹、冷酷な鬼灯くんのとんだ惚気話なんて鳥肌物以外の何物でもないよ。
 まあ確かに彼が名前ちゃんの事を心底愛してるのは知ってるけど、彼女も大概だよね。ああいうのを現世ではバカップルって言うんじゃないのかな、ああ、夫婦だからバカ夫婦か。

 ようやく片付いた書類の束を持って久々に床へ降りる。「出来上がったら持ってこいメタボ」って今にも殴って来そうな眼光でそう言った鬼灯くんは今は自分の執務室へ籠っている。きっとわし以上の仕事を片付けているに違いない。ああ、冷徹冷酷とか言ったけど何だかんだこうして手伝ってくれる辺り彼はとても優しい鬼だ。
 鬼灯くん、終わったよ。とんとんと部屋の扉をノックするけど返事がない。何度かそれを繰り返して、それでも返事がないとなるとわしも少しおかしいと思い始めた。もしかしてもう帰ってる?わしを置いて。首を捻りながら、そうっと扉を開けてわしは思わず手から書類を落としてしまった。
 幸いにも音は小さくてあちらには聞こえていないようだ。急いで扉の影に隠れて恐る恐ると中を覗きこめば、ああやっぱり。

(ここ仕事場だよ君たち!!)

 こちらからは鬼灯くんの背中しか見えないから事態を完全に把握する事は不可能だけどこれは絶対キスしてるよね。だって彼の手名前ちゃんの顔へむけられてるし、名前ちゃんの物と思われる白い腕は彼の背中に回されてるわけだから。
 年甲斐にもなく動揺しているわしが一番恥ずかしい。早く離れて!そんでここで居た堪れない思いをしているわしに気がついて!と心の中では叫ぶけど、仕方がないのかもしれないとも思う。あの二人は三百歳にもなる子供がいるにも関わらず、想いが通じて結婚したのはつい最近の事だ。だからこうしているのも何となく理解ができてしまう。それに離れている間、知らなかったとは言え彼に「早く結婚したら」なんて言ってしまった悪感もある。ここはわしが大人らしく黙って立ち去ろう、そう思った時だった。

 ヒタリヒタリと足音がして白い、けれど大きな手がわしの腕を掴んだ。錆びついた機械のような音を鳴らして振り返る。

「なに覗いてんだくそ爺」

 そこには金棒片手に般若が立っていた。一段と光り輝く棘が目前に近づきながらわしは思うんだよ。やっぱり君たち職場でこういう事はしない方がいいよ、って。まあそんな事言える時間も残されてはいないのだけれど。

140909