「鬼灯様と名前さんってあまり似ていませんよね」

 もう何度目になるかも分からない言葉に一瞬鬼灯の眉が顰められる。今にも金棒を振るってしまいたいが、ここは商店街で相手は行きつけの和菓子店の店主。もし相手が獄卒であったならば容赦なく殴り飛ばせていただろうが、一般市民相手に暴力に出るのは閻魔大王第一補佐官として許される事ではなかった。だからちょっとした嫌みをこめて、

「そうですか…でも貴方の子供さんも似てませんよね?あ、そういえば近所の小物屋の若旦那に最近良く似て来たような…」
「ありがとうございましたッ!!!」

 自分がされたら嫌な事を人にしない。それくらい親や学校で痛いほどならっているでしょう?
 九十度の角度で頭を下げた店主を絶対零度の眼差しで見降ろして鬼灯は踵を返す。片手には最近特に気に入りである団子と、件の近所の小物屋で買った小包を持って。
凛と伸びた後ろ姿と相も変わらず無表情ながら端正な貌。しかし街行く非番の獄卒たちに挨拶を返す彼の心は表情とは裏腹に荒れ狂う。「似ていませんね」言われなくても分かっている。どうせ自分たちは赤の他人。ただ寂しさを紛らわすために兄妹ごっこをしているに過ぎないのだ。



 妹と出会ったのは地獄に来てまだ日も浅い夕暮れ間近での広場だった。つい先ほどまで烏頭たちと遊んでいたのに、二人は家に帰ってしまって自分は行く場所もない。彼らは自分たちの家に来ればいいと言ってはくれるが、ただでさえ良くしてもらっているのにそんな事までお世話になる訳にはいかないと断り続けていた。
 骸骨を足で蹴り、暇をつぶす。夕飯は昨日とった山菜があるからあれを汁にでもしよう、そんな事を考えている時だ。広場の片隅でじっとこちらを見つめる子供がいた。年齢は三歳ほどか。サイズの小さい薄汚い着物を着てざんばらな黒髪の隙間から大きな瞳がこちらを見つめている。

 細い腕と足、汚れた体…それらを見て聡明な少年はすぐに悟った。嗚呼、この子も私と一緒なのだと。

「いらっしゃい、帰りますよ」

 寂しいという感情は人間として生きていた頃から少なからずあった。寒い夜、体温を分け合える存在がほしい。親は望まない。とてもじゃないが得られない。ならばせめて"きょうだい"のような存在がほしかった。自分を慕い、じゃれあいながら寒い日には体を寄せあえる存在を。
 小さな手は迷わずに差し出した手を掴んだ。ぎゅっと弱々しくも力の限りに握り返して涙を流しながら子供が笑うものだから、少しだけ鼻の奥がツンとした。



「お帰りなさい、兄さん」

 鬼灯の紋の描かれた扉を潜れば、すぐに出迎えてくれる幼い笑みに荒れ狂っていた心がスッと軽くなる。今日は、掃除でもしてくれていたのだろうか。かっぽう着にバンダナで片手には埃叩きと、女ざかりの少女がするような格好ではないが、一生懸命に頑張る姿は兄の贔屓目を抜きにしても可愛らしい。

「喜びなさい。兄のために休日返済で頑張ってくれた妹のためにお土産を買って来ましたよ」
「わーっ!さすがは兄さん!私ちょうどここのお団子食べたかったのっ」

 喜びのあまり飛びついてきた体はあの日とは違い細すぎもしなければ薄汚れてもいない。サイズもぴったりな桜色の着物と健康そうな肌。よくぞここまで立派に育ってくれたと鬼灯は思わず感動しそうになった。

「美味しそう…あ、これ新作ですよね!?限定三十本!今人気の地獄の釜の成分を練り込んだ鉄団子!」
「え、それ食べたかったんですか?ちょっとしたジョークのつもりで買ってきたんですけど」
「だって浪漫感じるじゃないですか。亡者たちの血涙を啜った釜から作られた真黒いお団子…あ、ここ仄かに赤い。これ血ですかね?」
「…本当、健康に育ってくれて何よりです」

 正確には血ではなく、横の地獄の赤をモチーフにした団子のタレがくっ付いただけである。しかしこうも喜ばれては、そう指摘するのも憚られるもので。美味しそうに頬張る頬を軽く突くいて鬼灯は彼女の後ろへと回った。

「あともう一つ、土産があるんです」
「ふぁい?」
「きっと気に入ってくれるとは思いますが…どうでしょう、それで喜ぶ貴女を見ていたら不安になってきました」

 団子以外のもう一つの小包。若草色の包装を解いて、そっと長い黒髪へと触れる。自分と同じ色ながら全く手触りの違う髪質に一抹の寂しさを感じつつ、手に持ったそれを器用に髪へ指してやった。

「結婚おめでとうございます。明日からは私から離れて生きて行くんです。こんな物しかあげられませんが、嫁入り道具だと思ってください」

 見上げてくる少女の頬を両手で包み、目を伏せる。様々な記憶が堰を切ったように脳裏に流れる。初めて連れて帰った日、寒くて眠れぬ夜に抱きしめてあげた事、鬼灯の名を閻魔からもらった時に泣いて喜んでくれた事、中国へ行ってしまう自分に寂しいとぐしゃぐしゃな顔で告げた事…そして兄と初めて呼んでくれた日の事。

「仕事が忙しく、あまり構ってやれず寂しい思いも沢山させました。良い兄ではありませんでしたが、これでも貴女の事を一番大切にしてきたつもりです」

 可愛い可愛いたった一人の家族、妹。たとえ血の繋がりがなかろうと、それを他人に指摘されたとしてもこの子が今までの自分を支えてくれていた事に変わりはない。

 もう小さくはない体をそっと抱きしめる。ぎゅっと握りしめられた着物が皺を作り、腕の中からは鼻を啜る音が聞こえた。
 泣き虫な所は何時まで経っても変わらない。今生の別れになる訳でもないのに、大げさなと思えどそうなるよう仕向けたのは他でもない自分自身。もう明日からはこうして泣く妹の事を「泣き虫さん」とからかってやる事も出来なくなる。その役目は数カ月前に挨拶に来た彼女の夫の仕事となるのだ。

 大丈夫、この子は明るくて優しい子だから向こうでもきっと可愛がってもらえる。そして何時の日か、新しい家族を連れて会いに来てくれるだろう。
 そんな未来を夢見て鬼灯は人知れず静かに微笑を零した。

「名前、貴女をたった一人の家族として愛しています。どうか、幸せにおなりなさい」

150411