毎年の事で既に諦めた事ではあるが、どうして現世の人間はこの時期になるとこうもはっちゃけてしまうのか。川に飛び込んだ、酒の一気飲みによる急性アルコール中毒、餅を喉につまらせた。様々な死因を読みあげて鬼灯は痛む目蓋を指で押した。
 この三日間満足に睡眠時間も取れていない。しかも今日に関してはようやく取れた仮眠すら叩き起こされてしまい、疲労はもはやピークを越えた。嗚呼、布団が恋しい。出来るのであれば今すぐにこの書簡を亡者もしくは大王に投げつけて部屋へ戻ってしまいたい。
 そんな事を考えていたから、動き出した亡者に気づく事が出来なかった。

「鬼灯様!」

 普段の鬼灯であれば楽々と避けて、金棒で殴りつけていただろう。しかし何度も言う事であるが彼は今日疲れ切っていた。ゆえに獄卒の腕を振り払い突進してきた亡者がすぐ傍に近づくまで、身に迫る危険に気付く事がなかった。
 血走った眼を見開いて亡者が何かを叫び、腕を振り上げる。大王や獄卒の呼び声がして、次の瞬間体に衝撃が走った。

「名前さん…?」

 無様にも尻もちをついた自分と目の前で倒れ込んだ名前に普段冷静なはずの脳が上手く働かない。取り押さえられた亡者の喚き声を耳に挟みながら冷たい床に伏した女性の名前を呼ぶ。力なく床に倒れた体はピクリとも動かず、殴られたであろうその顔は髪に隠れて覗けない。けれどその頭皮から流れる一筋の赤を見て、一気に頭が冷めた。
 轟音と共に金棒が宙を舞い、獄卒を巻き込んで亡者を床へ沈める。ピクピクと無様にけいれんを起こす亡者と、それを一度取り逃した獄卒へ向ける双眼は酷く冷たい。

「…その亡者を外へ。あとその獄卒は後で始末書を出すように」

 その声もまた冷たく、その場にいた全員を震え上がらせるには充分であった。唯一震える事がないのは未だ床に倒れたままの名前のみ。他の獄卒に連れられ、二人が退室すると鬼灯は心配そうに見降ろす閻魔の視線を感じながら彼女の横に膝をついた。

「何時までタヌキ寝入りするつもりです、名前さん」

 暫しの無言の後、見降ろした肩が小さく揺れた。

「あー面白かった。鬼灯様、とても驚いていましたね」
「こんな事があれば誰だって驚きますよ。起きられますか?」
「はい、もちろ…っと」

 腕に力を入れて起き上がるや否や、体が横へ傾く。それを片手で支える事で阻止して大きなため息をつけば、彼女は恥ずかしそうに頬を掻いた。その表情は常の飄々とした部下の物であるものの流れる血が笑い事ではないのだと告げている。

「女性なのですから、体は大事になさい。男の私を庇って怪我なんて笑い話にもなりませんよ」
「でも鬼灯様が怪我したらそれこそ大変ですよ。私以上に周りは大騒ぎするだろうし、打ちどころが悪かったら暫く裁判にも出られないじゃないですか」

 名前は元は亡者。一度死んでいるが故に、どんなに大怪我をしようと「活きよ」の言葉で元へ戻る。生前の彼女は聡明で、大した罪もなかったために鬼灯は彼女を傍へ置いた。亡者ならば多少の無理も効くし、何より期待通り覚えも良く、余計な感情を持ち込みもしなかった。それを彼女は良く理解している。
 それが酷く残酷な事のように思えて鬼灯は言葉に詰まった。過去に冷徹な判断でそばに置いた事を後悔していた。

「名前さん、すみませんでした」
「え?」
「これからはあまり無理をしないように。今度このような事があった時は何もせずとも結構。先ほど言った通り自身を一番大事になさい」

 でも、と続けようとする口を一指し指で押さえる。ちょうど閻魔大王から死角になっている事を確認して彼はそっと形の良い唇を赤く色づいた耳朶へと近づけた。

「いいから私に守られていなさい、ね?」

150302