青年がひとり、石畳の街を闊歩する。
 彼の堂々たる足取りは我が物顔で自分の庭を見回る主人のようだがしかし、その手に握られているのは羊皮紙に描かれた地図である。青年の瞳に映るのは彼の見知らぬ土地であり、行き交う人々は出会ったことのない人達ばかりだ。
 翻る厚手の外套と尻尾のように括られた髪は道行く人の視線をよく集める。あっちこっちと興味の赴くままに色々な方へ向くつんと上向きの鼻や気ままに踊る指先、自分一人の速度でどんどん歩いていく姿はどこか猫のような印象を人々に与えた。それを気にする様子もないのは当の本人のみ。琥珀色の眼差しは好奇心旺盛なわりに、ひどく鈍感だった。

 「お兄さん、旅人かい?」
 青年がふいと足を止める。はたと振り返ってみれば、男がよいしょと腰かけから立ち上がるところであった。浅黒い肌と豊かな巻き毛を見るに、その街の住民であるようだ。じ、と視線をそらさないまま青年が見つめていると男は軽快な足取りで歩み寄ってきた。
 「お兄さん、お兄さん、あなたのことだ」
「そんなところかなとは思っていたさ。俺以外、それっぽい人もいないし」
 にこり。人好きのする顔で青年は微笑む。「それで、なんの御用かな」と首を傾げて見せる彼からは、容姿の年齢に不相応な少年じみた幼気が感じ取れた。すると男もまた愛想良くひらりひらりと手を振る。
 「いや、なに、不思議なものを身につけているなと思ってね」
「不思議なもの?これのことかい」
 青年が首元に手をやると、男は頷いた。
 彼が異邦の者であるということは一目見てわかるが、全身でなにより目を引くのは襟巻きである。
 それは細い線を描いて彼の首に巻きついていた。それの体躯は布地がまとわりつくように絡んで全貌は推測し難いが、片方だけ膨らんだ襟巻きの先の形は蛇の頭のようだった。布地から垣間見える地肌はどこもかしこも均一に鱗で覆われており、太陽の光を跳ね返しては真白く光る。背中からは蝙蝠のものと似て薄く膜を張った翼が伸びている。胴体から突き出た腕は短く、その先端を飾る鉤爪は曲線を描いていて尚且つ鋭い。男の見立てでは人の肉など紙でも裂くように簡単に抉れるだろうと思われた。
 「お兄さんの首の、そいつぁ竜かい?」
「あぁ。そうだよ。あんた、随分と目が効くみたいだね」
 嬉しそうに青年の肩にかかっているのは、現世からは姿を消したとすら噂される竜(ドラゴン)そのものだった。見事に言い当てた男はしたり顔でもう一度頷く。
 さて、男が知る竜にまつわる噂と言えば、「上流貴族間では観賞用の動物として竜の子(ドラゴネット)が高額で取引されている」というものがある。血を好む黒色種、火を吹く緑眼種、翼を持たない赤褐種、記録に残る竜は様々いるが、中でも白色種のものは鱗の光沢が際立って美しく高い値段がつくと聞く。なんでも、売り手が上手いと他の種より零が一つも二つも多い価格になるらしい。
 偶然にも青年の連れた竜は白く、また、大きさは狐の襟巻きと大差がない。この竜は幼体のものに違いないと男は読んでいた。とすればこの青年はどこかよその土地からやって来た上流貴族 ――さらに言うのであれば高額である竜の子を見せびらかしてしまうような世間知らずの坊ちゃん―― であるはずだ。旅人だと本人は言ったがせいぜい放蕩息子と言ったところだろう。カモにするには良さげだ、と男は内心でせせら笑う。
 「一目見た瞬間にぴんときたんだ、そこいらの三流商人が売りさばいてるような火蜥蜴(サラマンダー)の襟巻きなんかじゃあないなってな!」
「そうそう、よく言われるんだ。火蜥蜴の襟巻きと一緒にされたら、怒るに決まってるのにね。なにせこいつは正真正銘本物の竜だから、矜持が高いったらないんだ。あんた、こいつが昼寝の真っ最中で良かったね。下手すると喉笛を食い千切られていたかも」
 笑った顔のまま青年は言う。見れば蛇腹になった竜の腹部と思しき部分は一定に上下している。
 竜の鉤爪はごく鋭いが、己がこの生き物に殺されるのだろうか。一瞬、ただの襟巻きかと見紛うほどぐっすりと眠りこけている、この小さな生き物に。男にとって現実味のない空想は難しかった。ひょっとするとこれは青年なりの冗談かもしれない。だとしてもあまり笑えない。男の唇の端には嘲りがちらついた。
 「竜ってのは、人の言葉がわかるもんなのか? 」
「もちろんさ。むしろ人間よりも賢いかもしれないな」
「へぇ、竜なんざ初めて拝んだ俺にゃ知る由も無いことだ!」
 おどけるように男が大げさに声を揺らすと、青年も笑い声をもらした。やはり青年の挙動にはどこかあどけなさが目立つ。そろそろ頃合いかと男は「ところでお兄さんよ」と話を切り出した。
 「ここの街には何が目当てでやってきたんだい? ものによっちゃあ、俺も案内できるぜ」
「実は、特に何が目当てってわけでもないんだ。たまたま通りかかっただけの街というか、ほら、俺は旅人だから。あまり目的意識とか持ってなくて」
 そら、かかった。
 顎に手を当てて考え込む青年を見、男は手を打った。
 「だったら俺が案内してやろうか。自分で言うのもなんだが、俺ぁこの辺の歴史だとか地理だとかには詳しいくちなんだ」
 こう言えば、大抵の旅行者はじゃあお願いしようかと言って案内を任せてくる。そこからは簡単だ、適当なことをでっち上げながら街を練り歩いて案内料をふっかければいい。なんとも単純だが手堅く金が入ってくる方法だ。こうした手口に慣れ切った男はそのことをよく理解していた。
 彼の行いと顔は街の人々には知られているのか、時折気の毒そうに青年を振り返っては去っていく者もいた。だが哀れな旅人のために足を止める者はいない。
 こうした詐欺行為は日常茶飯事であり、どこの街にもこの男と似た行為をする人間は現れる。そうした人々との出会いは、旅をする者にとっては必然だった。旅人は経験を重ねるうちにそれをいなして躱して切り抜ける術を学ぶものだ。無論、いかにもおぼこなこの青年にもその洗礼は行われたのだった。
 「それじゃあ、あんたに案内でもお願いしようか」
「わかったぜお兄さん、この俺にどーんと任せてくれってな! それじゃあ早速街の名所へ繰り出しに行くとするか」
 青年を引き連れ男は歩き出す。今回はどの程度搾り取ろうかなどの考え事で彼の頭はいっぱいだが、口から溢れる出まかせは続く。
 「この街の名物と言ったら、まぁ、闘技場だろうな! 随分と昔の建物で、今の所有者……皆支配人と呼ぶんだ、そいつが剣闘士らを戦わせる闘技会を開くんだ。ちょうど開いてる真っ最中だから行ってみるといい、他所では見られない臨場感あふれる試合が見られるだろうな。立ち見席なら金はいらないんだ、良い制度だろ? 俺もよく見に行くんだ、ちょいと賭け事を楽しみにね。お兄さんも賭け事が好きだったらちょっとやってみるといいさ、あれは癖になるほど愉快だからね、」「よぉ! 今日も精が出るなロベルト」
 男の動きが止まった。男のおしゃべりを遮った声に覚えがあったからである。ロベルトと呼ばれたその男は密かに舌を打ち、声に応えた。
 「よぉクリス、俺の仕事はいいとしてそっちの仕事はどうしたんだ? 宿屋の主人がさぼってほっつき歩いてるなんてこたぁないよな?」
「まさか! ちょっとした買い出しだよ買い出し」
 ここで青年はようやくクリスと呼ばれた者が向こうからやってくる手提げを持った赤毛だと察する。クリスは好青年然とした微笑みを口元に浮かべており、爽やかな印象を受けた。宿屋の主人というにはあまりに若いようにも見えたがなるほど、この様子ならひとまず客受けは良いだろう。
 「時に知ってるか、ロベルト。今日は闘技場の周辺警備を強化するらしいな」
「それがどうだって言うんだ」
「闘技場の警備って言ったら、支配人が雇ってる輩が来るんだろうさぁ……アイツが来る、か、も、よ」
 人目をはばかるようにひそひそと紡がれた「アイツ」という語を聞いた途端、ロベルトの目尻に痙攣が走る。彼が何を生業としているかを知るクリスの外連味やもしれないが事実だった場合は大層まずいことになる。絶好のカモを逃すのは痛い、だがしかしそれ以上の痛手が出る可能性が高い。となると利益の大きさよりも不利益の危険性の方が優先順位は上がる。なによりロベルトは詐欺という行為において警戒しすぎるということはないと知っている。
 ロベルトはこっそりと青年の様子を伺った。瞬いてはクリスとロベルトの顔を交互に見るだけの彼は今の会話の意味を理解していないらしかった。とすれば今すべきことはたった一つである。
 「青年、今の話を聞いてたか?」
「まぁ一応ね」
「悪いが俺にはあすこの警備兵の中で一人折り合いがよろしくない相手がいる。そいつとうっかり鉢合わせるとなると、その……」
「ちょっと、まずい?」
「そう。ちょっと、かなり、まずいんだ。だから」
「案内はしてもらえないってことかな。残念だけどそりゃ仕方ないね」
「あぁ、そうだな! 残念なのは俺もだよ、それじゃ、じゃあな」
 肩をすくめて諦めを表す青年を見るや否や、ロベルトはさっと踵を返し早足で歩き始めた。青年が呼び止める間も無く男は路地裏に飛び込むようにして去っていった。残されたのはぽかんと立ち尽くす青年と、赤毛の主人ばかり。
 「少し、話をしようか」
 そう切り出したクリスと目が合う。そこに先ほどまでの人当たりの良さはなく、片眉を釣り上げた表情はどこか不遜さすら感じさせた。青年は何を言うでもなく、ただ、微笑むことでそれを肯定した。



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