ガタン。乾いた音をたて、キーロが立ち上がった。机に向かい作業をしていたネリアルは密かにしっぽの毛を逆立てる。彼の獣耳は人間や天使よりも音を拾いやすいのだ。温厚な彼も音に関しては敏感である。それでも元来からの強く出ることのできない気質からか、彼の声は柔らかいいつもの調子だった。


「どうしたの、キーロ」
「来る」


なにが、と言おうとしたとき、ネリアルの耳が音を捉えた。木がきしむような、 それでも耳障りではない程度の音。そこでネリアルはキーロが一心に扉を見つめていることに気付いた。キーロの目は心なしかいつもよりも見開かれているように思える。
さて、「来る」とは誰が来るのだろうか。キーロにならいネリアルも扉に顔を向ける。



「ーーやぁ、キーロ。久しぶり」
「クラウス!!」


一瞬だった。ふと気がつけば、クラウスの腕の中にはキーロはいた。クラウスとキーロのいた場所は机、椅子の障害物も含め五メートル以上は離れていた、はずだ。天使の身体能力とは、とネリアルはひっそり首をかしげる。電光石火の早業というのはこういうことをいうのだろう。普段は眠たげなキーロの本気を垣間見たような気がした。当のキーロはクラウスの胸にぎゅうぎゅうと抱きついているが。ぼーっと天使二人を眺めていたネリアルに、クラウスがようやく気が付いた。


「ネリアルくん。キーロのお手伝いをしてくれてたのかい?」
「はい、こんにちは。あれ、おかえりなさいの方がいいのかな?」
「そうだな。久方ぶりの帰宅、って感じだから」

キーロの頭を撫ぜながら、クラウスは悠然と微笑む。このような事態にはなれているようだ。クラウスの兄スキルもそろそろカンストする頃であろう。
天使キーロの仕事のひとつは、『休息場』の様子を報告書にまとめることである。しかし、キーロはその仕事を酷く嫌っておりなかなか手をつけたがらない。報告書自体「上司」に提出ものなのだが、怒られては困るとキーロはよく他人の手を借りる。
もちろん報告書を他人に任せていいのか、という疑問もたびたび持ち上がる。書かなければならない報告書は「異常なし」ばかりなので問題はない
しばらくして満足した様子のキーロがクラウスから離れた。

「帰ってくるたびにこうなんですか?」
「うん。キーロは寂しがりだからね」
「……うん」
「さび、しがり……?」

だいたいキーロは一人で過ごしてるような気がするんですけど……ネリアルはそう言おうとしたが、すんでのところで飲み込んだ。これも元来の気質に由来しよう。おそらく、ネリアルの表情は非常に曖昧で奥歯にものがはさまったようなものだろう。まったく損な気質である。と、クラウスが不意に笑みを深めた。

「なぁんて、キーロは寂しがりではないね。どっちかっていうと甘えただよ」
「クラウスさんの冗談わかりづらいです……」
「だね。面白くもない冗談だ」

真偽が怪しいのは仕様だとばかりのにこやかな笑顔である。クラウスの笑顔はキーロの無表情と同じ程度のものだと考えた方が良さそうだ。
そも、ネリアルは常々から『休息場』の人の笑顔はだいたいろくなもんじゃあないと思っている。まずろくな性格の人間……もといエルフやらなんやらはいない。もちろん、この二人の天使だって例外ではないのだ。


「そういやキーロ、どうしてこぐれくんにお手伝い頼まなかったんだい?いつもはこぐれくんなのに」
「ん、なんとなく。ネリアルの方が効率良さそうだった」
「なるほど。ネリアルくんは学者様だったからね」
「やだ、学者様ってのやめてくださいよ。恥ずかしいじゃないですか」

ネリアルが学者様「だった」というのは、無論生前の話だからだ。その頃の名残か、今もこぐれの図書館に入り浸るなどしてはいるようではある。昔から学者様と呼ばれてはいたけど未だに慣れないとネリアルは笑う。

「んで、実際、どう?」
「あんまりこぐれと変わらない」

キーロの辛口な評定にネリアルは少しだけ肩をすくめる。

「え、なんか心外だな……そんな高々十六年くらいしか生きてなかった子と同等って……俺三百歳こえてたんだけど……」

……が、実際はかなり傷付いているようであった。一応、彼にもプライドはあるらしい。ぶつぶつと呟くようにして口ごもった。そこに追い打ちをかけるようにしてキーロは言う。

「言いたいことがあるなら、はっきり」
「うー、俺なんてどーせ役立たずなんでしょー」
「こぐれの方が良かったかも」
「こらこらキーロ、あんまり失礼なことばっかり言うもんじゃないよ」

ネリアルがじとっとした目で斜め下を見ていた。誰の目にも不機嫌である。と、クラウスがキーロの頭を小突いた。小突いたと言ってもあまり力の入っていない、いわゆる「おでここつん」くらいの力だ。痛くないようにたしなめるこのやり方、やはりクラウスの兄スキルはカンストしている。キーロは表情を変えないまま頭をさすった。

「ごめんなさい」
「それでよろしい。ネリアルくんは、許してくれるかな?」
「あ、はい。いいです、よ?」
「うんうん、これでいい!」



眼鏡天使とねぼすけ天使とケモミミ学者の再会



(俺、さほど怒ってもなかったんだけどな)
(だってキーロだし)
(……クラウスさんはわかってそうだけど)


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