キリヴァがクラウスを見つけたのは、湖のほとりだった。三角座りをしてこうべをたれているから眠っているものだと最初は考えたが、脇腹から流れる紅の液体を見て戦慄した。目を伏せてはいたが、耳をすませば荒い呼吸も聞こえた。胸も腹も赤黒く染まる彼を放って置く訳にはいかないと、キリヴァが自宅で介抱をした次第である。
今、クラウスは寝台に横たわり眠っている。穏やかな寝息と共に、静かに胸が上下する。
クラウスは見た感じハタチ前後の青年だ。体格の良い体にはあるべき筋肉がしっかりついている。それはキリヴァの知る『天使』というモノとしては違和感を覚えるほどだ。『天使』らしいと言えば、片割れの少女(らしき姿をとった)あのねぼすけの方がよっぽどである。彼らの話から推測するにクラウスの方が先輩なはずなのだが、とキリヴァはひっそり首を傾げる。

「……あ。」

不意にクラウスのまぶたが震え、開かれた。キリヴァは椅子に腰掛けたまま歯を見せる。意識を取り戻したことにひとまず安心である。

「ようやくお目覚めかいな、天使のニーチャン?」

当のクラウスはぼんやり虚空を眺めている。そしと三度ほどのまばたき後、ようやく恩人に焦点を合わせた。へらりと気の抜けた笑みを浮かべる。

「キリヴァくんごめんね、迷惑かけちゃったみたいだ。」
「オレも怪我しとる知り合い見てほっぽっとけるほど薄情でもないわ。謝らんといてな。」

よいしょ、などともらしながらクラウスは身を起こす。天使であるとは言え重傷を負った身、まだ安静にしているべきだ。キリヴァは彼を押し戻そうと椅子から腰を浮かせた。

「でも、ぼくなんてほっといても大丈夫だったのに。あのままでいても太陽が三回くらい昇って降りてすれば、きっと元どおりだったよ?」
「自分はほっときゃ治るバケモンみたいな身体しとるからって知らんぷりしてもかまへんって?あんさんアホかいな。」

本人の言い分も一蹴し、キリヴァはクラウスを再び布団に沈める。多少乱暴に小突くようなやり方になってしまったのは彼の不器用さ故か。
さすがに二度同じことをする気にはなれなかったようで、クラウスはおとなしく横になったままだった。眉を下げながらも笑っていられる辺り、予測はできていたのだろう。イタズラっぽい言い方で、彼はキリヴァを責め立てるような内容を呟いた。

「そんなとげとげしい言い方しないでよ、ひどいなぁ。」
「他人行儀にもほどがあることのたまうあんさんよかマシやわ。」
「キリヴァくんってお節介なんだね。」
「せやな、昔からお節介で有名やったんやでオレ。」

クスクス、にやにや。顔を見合わせ、二人は笑う。最も、二人とも種類は違えど笑顔が基本の表情であるが。

「お節介ついでに聞くけど、あんさんはなしてそないな怪我したん?」

さりげない調子でキリヴァが尋ねた。クラウスの瞳がほんのわずかに陰るのを、彼は見た。

「あのね。あるところに世界の全てが憎い、っていう男の子がいたんだ。世界の全てが憎いからみんな殺してやる、って。いわゆる無差別殺人がしたかったんだって。」

クラウスの台詞が途切れる。彼の肩が激しく震えた。喉の奥からはゼィゼィと掠れた音が漏れる。それでもクラウスは表情を保ったままであった。それでも生理的なものなのだろうか、双眸にはうっすら涙がにじんでいる。

「でもきっとそれじゃあ彼も周りの人もひどく傷付いてしまう。だからぼくを代わりに刺してもらった。」

言葉を失うキリヴァに、彼は話を続ける。

「ぼくは外傷じゃ死なないからね。好きなだけ刺しなよって言ってあげたら彼は五、六回刺して満足したみたいだった。その後説得したらちゃんと聞いてくれたんだけど、いくらぼくでもあれだけの怪我をしたまんま次に行くとその世界で倒れちゃうだろうから一回帰って休もうと思ったんだ。」

言葉の区切れが話の区切れと捉えたキリヴァは、一度深いため息を吐く。語り手はとうとう最後まで表情を崩さなかった。
この青年のように見える天使の頭は、どんなものの考え方をしているのだろう。少なくとも倫理的であるとはとても言い難い。全て丸く収まっているから問題ないとでも言うのか。到底理解できない。
キリヴァは頭の中であれこれ悩んだ末、心底呆れた声色でようやく問いかけた。

「それであないへんぴなとこにいた、っちゅう次第か?」
「うん。人目は少ない方がいいと思って。血痕がある昏睡状態のひとをみたら、きっと誰だって戸惑うからね。」
「っちゅうことは、オレが気付かんかったらあんさんは三日三晩昏睡してたんかいな……」
「そうなるかな。」

なんともまぁ、あっけらかんとした態度だ。なにを言ってやる気力も削がれたキリヴァは椅子の背に体重を預け、天井を仰ぐ。
一方のクラウスはクラウスで、今度は布団から出ないままに頬杖をついてキリヴァを見ていた。彼自身も自分がキリヴァの視界に入っていないことはわかっているようだったが、それでも話をした。

「ありがとうね、きみの手当てのおかげで傷の治りが早くなりそうなんだ。これなら時間を有効に使えるよ。」

最早返事をする気も起こらない。弱い声であーだのうーだの言うところが限界だった。キリヴァとクラウスは、あまりにも価値観が違いすぎるのだ。
憔悴し切ったキリヴァから、彼も感じるものがあったらしい。世間話をする口調から、聞き分けのない幼子に言い聞かせるかのような口調に変わった。

「いいかい、キリヴァくん。精神的な傷を治すより、身体的な傷を治す方がよっぽど簡単なんだよ。」

クラウスは自身の胸を撫でる。そのシャツの下には先ほどキリヴァが巻いた包帯が痛々しい傷を守っているのだろう。彼がただの人間であったら命を落としていたであろう程度の傷だ。天使である彼にとって死とはどの程度のものなのかは甚だ疑問だったが、何事もなかったように振る舞うのは無理だったのは明白である。
たった一人の名もしれぬ男のためにそれだけの傷を負うことも臆さないクラウスは、まさに天使と呼ぶに相応しかった。
しかし、彼に行動を起こさせたのは自己犠牲精神ではなく、単なる効率化された思考回路であるとキリヴァには理解できた。いくら微笑んでいても、いくら優しげな言葉遣いをしても無駄なのだ。間違いなく、彼は自分の体を道具として扱っている。
しかし、キリヴァもまた一度死んだ身である。命や身体の大切さを説教できるほど彼は偉くもない。できることと言えばたかがしれていた。天井のしみを数えるのをやめ、キリヴァはクラウスを一瞥する。彼は依然としてにこやかな視線をキリヴァに送っていた。
全く、この『休息場』の天使はろくでもないのしかいないのか。そんなことを考えながら、キリヴァはとりあえず手始めに彼から目を逸らす。そしてためらいもなく、クラウスの眼鏡のブリッジをへし折った。



眼鏡天使と似非関西弁のささやかな相違



(あっ眼鏡)
(せやかてな、クラウス?カンペキに傷が治るまではあんさんを家から出さへんから。眼鏡も没収っちゅーこと)
(えー困るなぁ、それは)
(えー、やない。終いにゃ土手っ腹に一発決めんで)
(キリヴァくんこわい)


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