扉のノブを回したのは、ほんの好奇心である。見慣れぬ教会に入ってみようなぞという気まぐれにすぎない。知らないものへの好奇心は、いつから自身の胸に帰って来たのか。そいつはいつからか旅に出ていたような気がしたのだが。瑛はひっそりと笑う。
木製の扉は、押してみると瑛の予想通りの手応えがあった。音を立てて軋むのはまさにイメージ通りと言ったところか。
自分一人が通れるくらいの隙間を開き、瑛がするりと内部に滑り込んだ。後ろ手で完全に扉を閉じてしまえばそこはもう教会の内部の世界である。

教会は、狭かった。大きな聖母像やシャンデリアなどの装飾は一切存在しない。ただしそれらすべての代わりとでもとれそうなほど豪奢なステンドグラスが正面の壁一面を埋めていた。それこそがこの場において唯一の光源だった。
絵画を模したステンドグラスを通った光は、もはや濃密な色の粒に近い。そのためかグラスの大きさに対して室内は薄ら暗く、室内に満ちるのは光ではなく色であった。眩しいわけでもないのに、瑛は目を細める。極彩色の中に、誰か先人がいたのだ。

「この教会はね、一人の男の子が建てたんだ。死してなお、祈りすがるモノが欲しかったんだろうね。」

朗々とした声が響く。その声は、他の誰にあてられたものでもなく瑛に向けられたものである。
そのひとのことを瑛はよく知らないが、青年がクラウスと呼ばれる天使だということくらいはわかる。実のところそれは単なる直感であったが、瑛には確信的なものがあった。伸ばしたように薄く長く伸びた青年の影法師の肩口に、羽のようなものを見たからかもしれない。

「こんちは。」
「こんにちは、瑛くん。」
「……よく俺だってわかりましたね。」
「あ、やった、直感が当たった。嬉しいなぁ。」

青年の声とその場の空気にそぐわないほど、幼げで無邪気な言葉。瑛は閉口する。どうもこの人は、見た目ほど成熟してはいないらしい。

「そうそう。この教会を作った子は、自己嫌悪と破壊衝動のせいでひどく傷だらけの子だったよ。」

話を元に戻したのか、声色がほんの少しだけ変わった。自分より年の下の者に物語を語って聞かせる穏やかな年上の声である。
それでも、磔刑になった聖人図を見上げるクラウスの顔は見えない。彼の雀茶の頭部におちる影は色鮮やかで目もくらむばかりである。ステンドグラスをあんなに近くで見上げて彼の目にはしみないのだろうか。瑛は小さな疑問をかみ殺した。

「あの子を癒すのは休息の眠りと……それからもっと別のモノかもしれないな。」

クラウスは、この教会をつくった少年のことももうとっくにお見通しのようだ。煙に巻くようなことを言っていても彼には「もっと別のモノ」が見えているのだろう。この青年の姿形をした天使もまた、瑛とほんの少しだけ似た目を持っていた。否、瑛の目が天使のそれに近しかったのかもしれない。


「それにしても、不思議な話だよね。」

くるり、振り向いた。
クラウスはひとの良さそうな、見るからに温厚な笑みを口元にたたえている。
彼の、藤色の瞳。不思議なことに、その色は彼が背に受ける色ほどに眩しい。光は背後にしかないのに、瞳は発光しているかのごとく浮き立つのだ。教会と天使とステンドグラス、神聖で美しいはずの組み合わせにも関わらず、どこか薄気味の悪い光景であった。

「彼が許しを乞う神様なんて、ここにはいないのに。」

ほんのわずかな一瞬、クラウスがまたたくまでのその一瞬。瑛の背にどうしようもなく悪寒が走った。それは、精巧に作り込まれすぎた人形と目があった時の感覚に似ていた。本物かと錯覚するほどの作り物の中に本来なら見えてはいけない裏側が見えるその不気味さ。知らずのうちに、瑛の手のひらが湿気を帯びる。

「神様にも救われなかったひとたちが、自分一人の自己治癒力に任せて傷が癒えるまで待つ場所。『休息場』の、ここの存在意義って、そんなことなんだから。」

神様にも救われなかったひと。神様からも見捨てられたひと。クラウスの声で言葉がリフレインする。鮮やかな色に頭まで毒されたのか、瑛の思考は鈍い。

「その男の子も、そして瑛くん、きみも。おんなじなんだよ。」

そんな瑛の喉にナイフを突き立てるように。顔に浮かべた微笑みはそのままにして彼は言った。突き放すようなことを、彼はあまりにも優しく甘やかに言い放つ。教会を作り上げた少年が今の言葉を聞いたらなんと反応するのだろうか、瑛はぼんやりとした少年像を思い浮かべては打ち消す。俺なんかの貧困な頭じゃ想像も及ばない世界だ。しばしの間反応に困ってから、瑛は黙って肩を竦めた。



眼鏡天使と慧眼少年の色の世界



(悲しくはない、切なくもない)
(事実としてそれはそうなんだろうなとしか思わない)
(ただ、俺にとってはは自分がそこまで客観的である事実の方がよっぽど)


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