ずっと青くてきっとせつない


 休日の朝は、携帯に表示された『十時に駅前のカフェテリア。時間厳守』というこちらの意見をまったく聞き入れる気のないメッセージから始まった。あまりの強引さに嫌気が差すとともに、慌てて身仕度をする己のちょろさに呆れる。
 小走りで指定されたカフェまでやってくると、テラス席に覚えのある金色を見つけた。思わず緩みそうになる頬をぎゅっと引き締める。不機嫌な顔を作って、ゆっくりとクラピカに近づいた。

「遅い」

 向かいの席に座れば、挨拶もすっ飛ばしていきなり文句が飛んできた。これにはさすがにむっとする。

「これでも頑張ったんですけど」
「時間厳守だと送ったはずだが」
「だったらもっと早く連絡してよ。こっちにも準備ってものが……」
「急遽時間ができたんだから仕方ないだろう」

 軽く受け流され、顔が引きつるのがわかる。クラピカのやつ、会うたびにふてぶてしさが増している気がする。
 クラピカからの連絡はいつも突然で、その内容は一方的だ。こちらの都合など御構い無し。おかげで私は常に携帯を手放せない生活を余儀なくされている。クラピカからは『返信がなければ会えないと判断するから問題ない』って言われてるけど、こちらとしては問題大有りだ。クラピカと会える貴重な機会をみすみす逃すような真似はしたくない。

(クラピカ、痩せたな……)
 
 コーヒーを嗜む姿をこっそり観察する。スーツの袖口から覗く手首は細く、頬もすこしやつれている。何より目の下に刻まれた隈が疲労の色を濃く現していて。心の中で拭い切れない影が雨雲のように広がった。

「クラピカ、ちゃんと休めてる?」
「問題ない」
「ちゃんと食べてる? 忙しいからって食事をおろそかにしてないでしょうね」
「問題ないと言っている。そんなことより、」

 そんなことって何だ。大事なことだろうが。軽くねめつけるが、抗議の視線はまるっと無視された。

「これを見てほしい」

 ばさ、と音を立ててテーブルの中央に落ちたそれ。叩きつけるように置かれた分厚い紙の束に目を丸くする。何だこれ。視線で問えば、クラピカは眦をつり上げた。

「ナマエが会っている男を調査した報告書だ」
「は……?」
「悪いが調べさせてもらった」

 なんだって?
 クラピカの顔と報告書を交互に見ながら目を白黒させていると、乱暴な所作で表紙が開かれた。

「対象者の素行、身辺、生活状況、資産状況、健康状態、交友関係をすべて調べ上げた。調査期間は一週間だったがぼろぼろ出てきたよ。対象者はギャンブルに傾倒し金の無心にくると周囲からの評判もよくない。消費者金融にも金を借りているようだ。交友関係も調べ上げたがろくな連中と付き合いがないな。一週間の間で会っていた女がナマエ以外に二人。どちらも親密な間柄だ。」

 滔々とまくし立てられ呆気にとられる。クラピカの表情は険しさに満ちていて、眉間に深々と刻まれた皺からは敵意すら感じられた。

「及第点を与えられるのは健康状態くらいだな」

 一方的に喋っておきながら聞くに堪えないみたいな顔して、クラピカは報告書を閉じる。

「ナマエの趣味の悪さには感服すらするよ」

 皮肉たっぷりの発言を受けて、停止していた脳がようやく始動する。今の私の心情を表すならまさに「解せぬ。」ってやつだ。色々と言いたいことはあるが、まずは大きく息を吸い込む。そして、思いの丈を込めて吐き出した。

「本っ当に、余計なお世話だわ!!」

 外で出すには少々マナー違反な声の大きさだったが止まらなかった。

「し、信じられないっ……! あり得ない! 完全にプライバシーの侵害だから!」
「ナマエの許可なく行ったことは悪いと思っている。だが調べて正解だった。お前がどれだけ男を見る目がないかよく分かった」
「んなっ……!」
 
 しれっと言われて、もうどう反応していいか分からなかった。馬鹿みたいにあんぐりと口を開けて絶句していたら「今後一切あの男とは関わるな」とまるで子供を叱りつけるように言い放たれた。

「別にこの人と付き合ってないから! 一度だけご飯に行ったぐらいで……」
「そもそもこんな人間と二人で食事に行く神経を疑うよ」
「そんなすぐに相手の素性なんて分かんないよ!」
「だからお前は見る目がないと言っている。ナマエのことだ、どうせ何も考えずに誘いを引き受けたんだろう」
「そういうわけじゃ、ないけど……」

 まるっきり図星だった。しどろもどろになる私を見て、クラピカはこれ見よがしの溜め息をついた。

「頼むから軽率な行動は控えてくれないか。仲間が質の悪い男に騙される姿なんて見たくない」
 
 仲間、という言葉に胸がずきりと痛んだ。
 たしかに軽率だったかもしれない。クラピカが仲間として心配してくれてるのも分かる。でも、誰にでも踏み込まれなくない領域ってあるでしょう?他でもないクラピカだからこそ、なおさら。私のことなんて放っておいてほしいのにどうして構ってくるんだ。そんなことするなら、だったら。

「だったら……」

 自分の湿っぽい声にはっとして口を塞ぐ。頭のてっぺんから血の気が引いていく。なんてことを言おうとしてるんだ。また同じことを繰り返す気か。
『私では、ナマエを幸せにできない』
 過去にクラピカから告げられた言葉が脳裏に蘇る。ああ、嫌だ。考えるだけで泣きそうになるから頭の片隅に追いやっていたのに。こんなことで思い出してしまうなんて。

 一瞬、沈黙がおりる。聡い彼のことだ。きっとさっきの一言でいまだ捨てきれない未練を察したことだろう。クラピカの言葉を聞きたくなくて、あわてて口を開いた。
 
「いい人が見つからなかったらレオリオが結婚してくれる約束だもん」
「………は?」

 クラピカの目がぎょっと見開かれる。

「待て、何だその話は」
「前に飲んだ時に約束したの。この先ずっと独り身だったら一緒になるかーって」
「……お前というやつは…っ!」

 苛立ち混じりの仕草でクラピカが眉間をおさえる。周りの空気がどんどん重く不快なものをはらんでいくのが分かった。レオリオの『オレを巻き込むんじゃねぇ!』っていう声が聞こえてくるようだ。ごめん、レオリオ。今度奢るから許してくれ。

「レオリオなら問題ないでしょ?」
「本気で言ってるのか?」
「そうだよ。レオリオなら将来有望だし、優しいし……」
「ダメだ、認めない。」
「なんでよ!」
「それが軽率だと言っているんだ! もう少し考えて行動しろ!」

 声を荒げられ、一瞬ひるむ。しかし次第に怒りがこみ上げてきた。せっかく前に進もうとしてるのに、どうして水差すようなことばっかり言ってくるんだ。

「あれもダメこれもダメって、じゃあ誰だったらいいの」

 真っ向から見すえたクラピカの目がたじろいだように見えた。

「私にこの先ずっと一人でいろとでも?」
「違う、そんなことは言っていない。ただ相手を選べと言っているんだ」
「そんなことクラピカに言われなくても分かってる!」
「どの口が言ってるんだ?」

 テーブルに置かれた冊子を一瞥をして、フンと鼻で笑われる。うわ、腹立つ!

「クラピカこそどこで何してるか分からないくせに」
「いま私の状況は関係ないだろう」

 一言でばっさりと切り捨てられ、閉口する。
 いつもそうだ。身勝手に干渉してくるくせに、自分の領域には一切足を踏み入れさせない。悔しさと悲しさが入り混じった感情が込み上げて、やっぱり何も言えなくなった。

 しばらくにらみ合いを続けていると、ふいにクラピカの視線が下方にずらされた。時計を気にする様子を察して、とっさに立ちあがる。「待て、まだ話は……」って引き留められたけど、無視して歩き出した。どうせあと少ししたらクラピカの方から居なくなるくせに。
 何歩か進んだところで、背後を振り返る。憮然とした顔のクラピカと目が合って、大きく息を吸い込んだ。

「関係なくないわ! バーカ!!」

 捨てセリフを吐いて私は走り去った。



 最後にクラピカと会ってから数ヶ月が経った。向こうからの連絡はなく、こちらから送っても応答はない。クラピカの身に何かあったのだろうか。靄のように広がる不安がしだいに恐怖へと変わり、眠れない夜が続いた。
 ベッドに入ったはいいが目が冴えてしまって、ぐるぐると同じところばかりを行き来する思考に嫌気がさしてきた頃、部屋のインターフォンが鳴り響いた。「ナマエ、私だ」という声に心臓が止まりそうなほど驚いて、ベッドから飛び起きる。

「夜分にすまない」

 玄関のドアを開けると、スーツを着たクラピカが夜闇を背に立っていた。突然の呼び出しはあれど、何の予告もなく家を訪ねてこられるのは初めてだった。

「どうしたの」
「たまたま近くまで来たんだ。……入っても構わないだろうか」

 ちらりと部屋の奥を覗かれ、頷く。クラピカは静かに部屋の明かりの内側へ入ってきた。「適当に座って」とうながされるままソファに腰を下ろす姿はわずかに精彩を欠いているように見える。

「コーヒーでいい?」
「ああ、頼む」

 インスタントのコーヒーを準備しながら、私は胸の奥で安堵の息をついた。あの日が最後だったらきっと後悔してもしきれなかっただろう。こうしてまた会えて、本当によかった。
 コーヒーを注いだカップを差し出し、少し迷ってから一人分の距離をあけて隣に腰かけた。クラピカがいるだけで、見慣れた部屋がまるで知らない場所のように見えて落ち着かなくなる。
 クラピカはカップを手に取り、揺らめく湯気に鼻先を寄せた。その横顔がどこか張り詰めているように見えて、思わず問いかけた。

「忙しいの?だいぶ疲れてるみたいだけど」
「……ああ」
「そっか。ま、生きててくれてよかったよ」

 冗談めかして言ったけど紛れもない本心だ。私の声の調子につられて、ようやくクラピカがくつろいだ表情を見せた。

「ナマエはまだこの家に住んでいたんだな。古くて不便だから引っ越したいと言っていなかったか」
「んー、そうなんだけどさ、いざ引っ越しするとなるとなかなか腰が重くてね……」
「その調子じゃ行動に移せるのは当分先だな」
「夜中にわざわざ小言を言いにきたの?」
「そういうわけではないが」

 むっとして口を尖らせれば、クラピカが小さく笑った。
 取り留めのない会話を交わしながら、内心で違和感を覚えていた。クラピカがまるで核心にふれるタイミングをはかっているみたいで、胸の奥がざわつく。その不穏が明文化されるのを避けるため、私はしきりに話題を繋げた。しばらく蜃気楼のように実体のない会話を続けたが、とうとう沈黙に到達してしまう。

「ナマエ」

 名を呼ばれ、背中がこわばる。まずい。そう思った時には、クラピカがまっすぐこちらを見据えていた。決意を宿したまなざしを受け、心臓が嫌な音を立てる。

「これからしばらく会えなくなる。今日は、それを伝えにきた」

 予感は、的中した。身にせまる恐慌に唇がわななく。

「……しばらくって、どれくらい?」
「分からない」

 答えはそれだけだった。それが、すべてだった。
 いつかはくると分かっていた。何度も覚悟したはずなのに。いざ目の前に突きつけられると絶望がなだれをうって押し寄せた。

「ナマエ、すまない。私が……私の存在が、ナマエの妨げになることは分かっていた。その上で、お前に接触していた」

 クラピカの指先が伸びてきて、頬に触れる寸前でためらうように握られ、そして離れていく。

「だけど、ナマエの幸せを願っていることは紛れもない本心なんだ」

 その声は悲痛なひびきに溢れていて、一瞬、私の胸が凍ったかのようだった。
 耳を塞いで、叫んでしまいたかった。行かないで、と。身も世もなく泣き縋ってしまいそうで、ぎゅっと唇を噛み締める。違う。今私が言うべきことはそれじゃない。はりつめていた息を、深く細く吐き出す。

「ありがとう」

 涙を飲み込んで、必死に笑顔を作る。不恰好かもしれないけど、今はこれが精一杯だ。向き合ったクラピカの瞳が揺らめいた。

「安心して! クラピカが文句のつけようがないくらい良い男を見つけるからさ!」

 できるだけ明るい声でそう言えば、クラピカは一瞬だけ辛そうな顔をして、すぐに微笑みを象った。

「信用できないな、ナマエは見る目がないから」
「私もそう思うよ。あーあ、本当に碌でもない奴を好きになっちゃったな」

 大仰にため息をつけば、クラピカがなんとも言えない顔をした。驚いたような、ちょっと困ったような。その顔がおかしくて吹き出してしまう。

「クラピカ」

 透き通ったその瞳をしっかり見すえる。

「私、ちゃんと幸せになるよ。だから、心配しないで行ってきて」
「……ああ」

 クラピカの泣き笑いの響きを帯びた声に、とうとう涙がこぼれた。あとからあとから溢れて止まらないそれを、それでも笑顔を保ちながら拭う。

 私はきっと、今日の日のことを何度も思い出すだろう。そしていつか、胸を締めつけるこの感情も思い出になって青く彩られる。そうやっていつまでもいつまでも私の中に在り続けるんだ。


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