恋する悪魔


「好きだよ」

 静まり返った空間の中でその声はひときわ大きく響いた。聞き間違いか、言い間違いか。どちらにせよ何かの間違いだろうと無視を決め込む。しかし、ふたたび不可解な音階が耳を打った。

「好きだよ」
「何が?」
「ナマエが」

 さすがに二度目は無視できずぶっきらぼうに聞きかえすと、衝撃的な答えが返ってきた。

「…………はあ?」

 一瞬放心する。言われた言葉を脳が処理するのに数秒。ひとつ前の発言と繋げて理解するまでに数十秒。それでもちっとも意味が分からなくて混乱する私をよそに、イルミはさらなる追いうちをかけてきた。

「はー、やっと伝えられた。あ、オレと付き合うのに何か問題ある? ないよね? よし、付き合おう。」
「まっ……待て待て待て! 勝手に話を進めるな!」
 
 つらつらと立て板に水の勢いでまくし立てられ、慌ててストップをかける。こちらの制止を聞いてイルミはひとまず黙ったが、じっと見つめられて背中に嫌な汗が伝った。

(イルミが、私を好き?)

 突然の告白。それはまさに晴天の霹靂だった。
 イルミとはそこそこ長い付き合いになるけど、一度だってそんな素振りを見せられたことはない。

(ない、よな? ……うん、ない。ないない絶対ないわ)

 一瞬、自分が鈍感すぎて気付かなかったのかと不安になったが、過去のイルミとのやりとりを遡ってすぐに思い直した。
 これまでイルミと交わした会話のほとんどが仕事に関するもので、それ以外は悪態をつきあった覚えしかない。嫌われていると思うことは多々あれど、好かれているなんて夢にも思わない関係だったはずだ。

(なのにいきなりどうした? ご乱心にもほどがある……何かの罠か?)

 イルミの真意が分からず頭を絞るが明確な答えが導き出されるはずもなく。次第に考えるのが面倒になってきて頭の中で逃亡ルートを組み立て始めていた。だが不運なことに背後は壁で、出口はイルミの後方にあるドアだけ。逃亡は諦めた方がよさそうだ。それに、今ここで逃げ出した方がのちのち酷い目に遭う気がする。
 かといって立ち向かったところで口でも頭でも力でも敵う相手じゃないことも分かっている。……あれ? もしかして私詰んでる?

「いろいろと突っ込みたいたいところはあるんだけど、とりあえず……」

 考えがまとまらないまま私は真っ先に浮かんだ疑問を口に出した。

「なんで今なの? もっと他にタイミングなかったわけ?」

 聞かずにはいられなかった。だって、あまりにも不釣り合いなシチュエーションなんだもの。
 私たちは今さっき仕事を終えたばかりで、足元にはゴロゴロ死体が転がっている。人を殺めた直後に告白なんてどう考えても正気じゃない。元々まともだなんて思ってないけど。
 イルミは瞳に一切感情を宿らせないまま、唇だけを動かした。

「願かけみたいなものかな」
「は……?」
「ナマエと出会った日から数えて千人暗殺したら告白しようって前から決めてたんだよね」

 こいつはアホなのか?

「千人って……そんな前から考えてたの……?」
「うん」

 私のひきつった顔を見ても、イルミはどこか得意げだった。この男が普通じゃないことは重々分かっていたけれど、まさかここまでイカれてるとは。驚きを通り越して呆れてしまう。

「無理。ついていけない」
「ナマエって物分かり悪いよね」
「…………」

 なんだかもう、まともに相手をしているのが馬鹿らしくなってきた。とにかく疲れた。早くお家に帰りたい。そんな心情を隠すこともせず項垂れていると、頭上から湿度のない声が降ってきた。

「オレの言葉が信じられない?」
「信じられないっていうか……まぁ、信じられないくらい驚いてるっていう意味では、そうだけど」
「ふーん、そうか。わかった。」

 何の「わかった」なのか。意味をはかりかねて顔をあげれば、イルミの腕がゆらりと伸ばされていた。さすがに身の危険をおぼえて半歩後ずさる。だが、もう遅かった。大きな掌が私の頬に伸びて、そして。

「ナマエ」

 冷たい手が左右から私の頬を挟み、すくいあげるようにして持ち上げた。ぐっと顔を寄せられ、底の見えない淀んだ瞳で深々と覗き込まれる。
 いつになく近づいた距離に硬直する私を見据えたまま、イルミはゆっくりと口を開いた。

「好き、愛してる」
「ひぃぃぃ!!」

 言われたことを頭で理解するより先に悲鳴が口を衝いた。激しくかぶりを振ってイルミの手から逃れる。
 何の変哲もない、ごくありふれた台詞のはずだ。愛想もそっけもないせいで単語の羅列にしか聞こえないけど。なのにどうしてこんなにもおそろしく聞こえるのだろう。これなら罵詈雑言を浴びせられる方が百倍マシだ。
 壁際まで距離をとって「勘弁して!」と叫ぶ私を見て、イルミはわずかに眉を顰めた。

「ナマエがオレの気持ちを信じられないっていうから言葉を尽くしてやってるのに、お前はどうしたら納得するんだろうね」

 語尾が跳ね上がった口調にぎくりとする。まずい。イルミの機嫌をそこねた。緊迫感を帯びていく空気に肌が粟立つ。

(ふざけんな! ワケ分かんないことばっかり言いやがって、キレたいのはこっちの方だわ!)

 心の中でそう叫びながらも声にはならなかった。過去の経験則からイルミの不興を買うと碌なことにならないと分かっているからだ。
 私はあわてて背中をはりつけていた壁から離れ、イルミに数歩だけ近寄った。

「わ、わかった。信じる。信じるから」
「そ。じゃあもう何も問題ないね。付き合おう」
「いやいやいや、だから勝手に話を進めないでってば! 色々と順番おかしいから!」
「おかしい? 何が?」
「付き合う云々の前にまずは私の返事を聞くのが先だから」
「それって必要なの?」
「必要に決まってるでしょうが!」
「分かった。じゃあ言ってごらん? ナマエの気持ちを、今ここで」

 さあどうぞと手振りをつけて促され、とたんに言葉につまった。

「えっと…………」

 啖呵を切ったはいいものの、とてもじゃないけど「お断りします」なんて言える空気じゃない。でも、このまま黙っていたらイルミのいいようにされてしまうのが目に見えている。

「早くしてくれる? オレも暇じゃないんだけど」

 答えに窮してうつむく私に向かってイルミが鋭く言い放つ。どうしてこの男はこうも自分本位なのだろう。傲慢だし、人の話聞かないし……。
 そう思う一方で、ついさっきまで仕事のパートナーでしかなかったイルミに興味を持ち始めているのも確かだった。あんな脅迫まがいな告白であっても、とてつもない威力があった。私の中の何かを粉々に打ち砕くほどの。あとに残るのは、未知への興味だ。
 肺の奥まで空気が満ちるように息を吸い込む。うつむけていた顔をあげて、イルミの姿を正面から見た。

「まずは、お友達からはじめませんか……?」

 考えあぐねた末、導き出された返答はひどく陳腐なものだった。それでも、イルミから逃れるためのその場凌ぎの答えではない。私にとっては前向きな返答だ。
 イルミの目をまっすぐ見つめたまま手を差し出す。しかしその手がとられることはなく、イルミは不機嫌そうに眉をしかめるだけだった。

「暗殺者に友達は必要ないよ」
「うるせぇ、黙れ!」

 ぶち、と何かが頭の中で切れる音を聞いてたまらず叫んだ。やっぱりやめた。こんなやつ、死んでもお断りだ!


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