臆病な犬のままで


「またいる……」

 深夜。シャルから頼まれた雑務をこなし、疲れ切った体を引きずりながら帰宅すると招かれざる客がソファでふんぞりかえっていた。

「頼むから土足はやめてくれませんかね……」
「こんな小汚い場所で靴脱ぐなんて考えられないね」
「汚くないから!今朝掃除機かけました!」

 フェイタンは、煩わしそうに眉を顰めると「ささと茶出せ」と命令してきた。王様かこの男。

「掃除するこっちの身にもなってよ……まったく……」

 ぶちぶち文句をこぼしながら台所へ向かう。結局フェイタンに従ってしまう自分が情けないけど、今に始まったことじゃない。ああ、人権が欲しい。

 私は、かの悪名高い幻影旅団の団員……ではなく彼らの雑用係だ。ともに流星街で育った私は『弱いから』という極めてシンプルな理由でメンバーから外され、それ以降は団員の雑用係兼パシリとして飼われている。なかでも特に酷いのがこの男だ。普段から人を人とも思わない扱いだが、その傍若無人っぷりはとどまることを知らず、こうして無断で家に入り込まれるまでになっている。何度やめて欲しいと懇願しても「雑魚に人権はないね」と一蹴されるので半ば諦めていた、のだけれど……。

(なんでよりにもよって今日なんだ!)

 思わず頭を抱えたくなる。どうか今日だけはいないでくれと願っていたのに、最悪だ。

(どうやったら機嫌を損ねずに帰ってくれるかな……)

 こっそりとフェイタンの方を窺う。しかしこちらの視線はすぐさま気付かれ、早くしろと言わんばかりに睨まれた。だめだ、小細工なんて通用しない。多少の罵詈雑言は覚悟して言うしかない。

「どうぞ……」

 ソファの前のローテーブルにカップを置くと、フェイタンは冷え冷えとした視線をよこすだけだった。遅いって意味だろう。いつもならできるだけフェイタンを刺激しないようにするところだが、今日ばかりはそうもいかない。

「あのさ」

 なけなしの勇気を奮い起こして切り出した。

「明日の朝に人が来る予定なんだよね。だから今日はその……」

 口ごもっていると「あ?」と返された。意味がわからないって反応だ。

「お客さんがくるから早めに帰って欲しいんだけど……」
「客て男か」

 うわ、それ聞いてくるのか。そこだけは聞かれたくなかったのに。どうしてこうも人が嫌がるところを突いてくるんだこの男は!

「……まあ、うん」

 しぶしぶ答えると、フェイタンの瞳孔がぐわりと開かれた。とっさに顔を伏せる。一体どれほどの嘲罵を浴びせられるだろう。心を折られるのを覚悟して目を閉じると、ヒュッと空を切る音が走った。次の瞬間、とてつもない轟音が響きわたった。

「えっ!?」

 おどろき顔をあげれば、横手の壁に大穴が開いていた。その下には大破したテーブルが。あまりの光景にあっけにとられていると、唸るような低い声が聞こえた。

「お前、殺されたいか?」

 それはもう恐ろしい形相だった。死を覚悟するほどの。恐怖で凍りつく私の横をフェイタンが通り過ぎ、次は椅子を蹴飛ばされる。
 お願いだからこれ以上家を壊さないでくれと願っていたら、ドサっと何かが落ちるような音が聞こえた。おそるおそる音の方向を見れば、フェイタンがベッドに横たわっている。

(うそ……寝た……?)

 もうどう反応していいか分からずしばらくその場で立ち尽くした。本当に意味がわからない。

 結局フェイタンは朝まで微塵も動かず、彼との約束を泣く泣く断る羽目になった。相手は気にしないでって言ってくれたけど、なんとなく終わりの兆しを見てしまった気がした。

 ああ、切実に人権が欲しい。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -