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まわりくどい共犯者


「キル」

 背後から呼び止められて、キルアは、うげ、と舌を出した。厄介なヤツに見つかった、と内心で舌打ちをする。表情を取り繕って振り返ると、こちらに向かって足早に歩いてくるイルミの姿があった。

「どこへいくつもり?」

 スケボーを小脇に抱えるキルアを一瞥して、イルミが問いかける。その問いかけが、キルアには詰問のように感じられた。今日分の訓練は終わっている。責められるいわれはない。キルアは廊下の窓から見える中庭を指差して「そこらへん」とそっけなく答えた。

「あと三十分で夕食の時間だよ」
「それまでには戻るって」
「そう。ならいいよ」

 なんでいちいちイル兄の許可貰わなきゃいけねーんだよ。口にできない言葉が、キルアの脳内を走る。

「じゃ、オレもう行くから」
「キル」

 踵を返そうとしたが、さっきより強い口調で呼ばれて動きを封じられた。イルミはじっとキルアの顔を見ている。無機質な黒い双眸。この目にさらされると、蛇に睨まれた蛙のごとく身動きが取れなくなってしまう。

「……なに」
「お前さ、オレに何か隠してることないよね?」
「はぁ? なんだよそれ。別になんもねーよ」
「ふーん。ならいいけど」

 そう言って、イルミはおもむろにキルアの頭に手を乗せた。途端に、心臓がざわざわと落ち着かなくなる。歯を食いしばり、逃げ出したい衝動を抑え込んだ。
 近頃、キルアはこの兄の存在を苦手に感じるようになっていた。兄からの過度な干渉が煩わしくて仕方がないのに何故だか逆らうことができない。イルミを前にすると反抗心が萎んで、まるで無力な生き物になったかのような錯覚に陥る。その不可解な感覚が苦手に感じる要因だった。
 頭に手を乗せたまま、イルミはひたすらキルアを見つめている。視線が泥のようにまとわりつく。見るな、触るなと言いたいのに言葉が出ない。耳の奥で心臓の音がする。狭い耳管で鼓動が反響し、耳鳴りがする。急に現実感が遠ざかって、周囲の音が遮断されかのようだった。――呑まれる。咄嗟にそう思った。

「キルアー?」

 突如、廊下に響いた高い声にキルアの意識は引き戻された。

「どこいんのー?」

 廊下の奥から間伸びした声が近づいてくる。姿は見えないが、誰の声かは分かりきっている。イルミは不快そうに眉を寄せて、声がする方を振り返った。へばりついていた視線が剥がれ、ほっと胸を撫で下ろした。

「うわっ」

 やがて廊下の奥から姿を現した姉が、こちらを見た途端に顔を顰める。正確には、イルミを見て。

「最悪、何でいんのよ……」
「それはこっちの台詞だよ。キルに何の用?」
「イルミに関係ないでしょ」
「あるよ。お前がキルに構うと碌なことが起きないからね。オレの許可なくキルに近づくなって前に言ったよね?」
「そんなの了承した覚えないし。何であんたの指図を受けなきゃいけないわけ? 何様のつもりなのよ」

 いきなり繰り広げられる舌戦に、また始まった、とキルアは天をあおいだ。
 姉のナマエは、双子の兄であるイルミととにかく折り合いが悪かった。顔を合わせれば売り言葉に買い言葉で罵り合い、時には家族を巻き込むほどの争いに発展することもあるほど。二人がいがみ合う姿は、キルアにとってすっかり見慣れた光景だった。

「お前、また勝手に依頼を断ったらしいね。親父がボヤいてたよ」
「それが何? どの依頼を受けようが私の勝手じゃない」
「その尻拭いを誰がしてやってると思ってるの? ナマエごときが仕事を選り好みするとか百年早いんだよ」
「やりたくなきゃ断りゃいいだけの話でしょ。私はあんたみたいに誰彼構わず殺るみたいな血も涙もないことしたくないの」
「はは、何それ笑える。殺しに余計な私情を挟んでどうするんだよ。だからお前はいつまでも半人前なんだよ」
「あーやだやだ、これだから優等生は。そういうの価値観の押し付けって言うのよ」

 いつの間にか話題はキルアから離れ、お互いの批判へと移行していた。

(ほんと飽きずによくやるよな)

 ムキになって言い争う両者の姿を、キルアは呆れた眼差しで眺めていた。こうして見るとあれだけ威圧的だった兄も子供っぽく見えるのだから不思議だった。
 キルアから見て、この双子の兄妹はとにかく対照的だった。見た目の印象も、性格も、行動も、何もかもが正反対の二人。これだけ真逆なのだから相容れないのも納得だが、だったらお互い関わらなければいい話なのに、いちいち衝突するのだから周囲の人間にとっては迷惑極まりなかった。
 ただ、キルアにとっては好都合な部分もあった。姉がいる時だけ、イルミの関心が自分から外れる。イルミの視線は姉だけに注がれる。最近特に兄を苦手に感じているキルアにとってこの姉の存在はありがたかった。
 とはいえ、喧嘩に巻き込まれるのは勘弁してほしい。こうして傍観している間にも、口論はどんどん熾烈さを増していく。両者の背後にどす黒い雲がうず巻いているような気がした。

「ナマエはいつもそうだよね。何もかも中途半端で無責任で、いつまで経っても成長しない。お前を見てると虫唾が走るよ」
「それはこっちの台詞。あんたのその何もかも自分の思い通りにならないと気が済まない傲慢さには反吐が出るね」

 一触即発の空気に、キルアの背中がびくりと震えた。

(あ、これやべーかも。巻き添え食らう前に逃げねーと)

 危機を察知したキルアは一歩後ずさった。二人はそれに気づかず睨み合っている。もう一歩後退し、振り返って走り出そうとした時だった。

「まぁまぁまぁ! あなたたちったらまた喧嘩なんかして!」

 耳をつんざくような甲高い声が上げながらキキョウが駆けてきた。

「キルの前でやめてちょうだい! あぁもう、どうしてそういがみ合ってばかりいるのかしら!」

 キキョウの登場により場の空気は一変した。殺気立っていた二人もすっかり気勢が削がれた様子だった。場が収束したことにホッとしつつも、大声で喚く母の姿にキルアはうんざりした。

「まったくもう、ふたりとも小さい頃はとっても仲良しだったのに……」

 ブツブツとぼやく母の言葉はこれまで何度も聞いたものだったが、キルアはいまだに信じられなかった。何しろ物心つく頃には二人は既に犬猿の仲だったのだ。仲睦まじい姿などまったく想像できない。
 嘆き続ける母を間に挟んで、両者は依然として睨み合いを続けている。特に姉の方は露骨に顔を顰めていた。

(姉貴もそんなに嫌だったらさっさとこんな家出て行きゃいーのに)

 昔から姉は自由奔放だった。やりたくないことはやらず、ことあるごとに家族に反発し、時には家のルールさえも無視するナマエは、ゾルディック家において異端な存在だった。この姉の性格ならとっくに出て行ってもおかしくない。というか、むしろそっちの方が自然に思える。しかし一向に姉が家を出る気配はない。出たがる素振りすらも。どうして姉が家に居続けるのかキルアには不思議だった。
 過去に直接本人にも聞いたことがある。そんなにイルミが嫌いなら家を出て行けば顔を合わせなくて済むのに、どうしてそうしないのかと。姉の答えは「まぁ、あれでも一応家族だからね」という意外なものだった。
 家族だから。その一言が、キルアはどうにも腑に落ちなかった。家族だから、どんなに嫌いでも一緒に暮らさなければいけないのか。自分を犠牲にしてでも、受け入れなければならないのか。十歳になったばかりのキルアの胸には、そんな疑問が芽生え始めていた。

(こんだけ仲悪いのに離れないとか意味わかんねー)

 顔を合わせればまるで磁石のようにひっついて憎まれ口を叩き合う二人の姿が、キルアの目にひどく奇妙に映った。

(まあいいや。どうせ考えたって分かんねーし)

 さほど興味もない。今のキルアの関心ごとは、いつこの家から出て行くかということだ。

(さっきイル兄に怪しまれたし、本格的に勘付かれる前に行動しないとな)

 姉も一緒なら心強いが、本人にその気が無いなら一人でやるしかないだろう。今はとにかく母や兄から離れたいという気持ちが強かった。

(出ていくときはぜってー大暴れしてブタくん泣かせてやる。あー楽しみ)

 密かな企みを胸に、今ただ傍観者に徹した。


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