ふれあい不感覚 2
「久しぶり」
扉を開けた瞬間に後悔した。私の家を訪ねてくる人間が限られることくらい、考えればすぐ分かることなのに。どうして私はこう迂闊なんだろう。
「イルミ……」
「や」
気安く挨拶される。イルミは平素とまったく変わらない態度だった。あんなことを言った後なのにどういう神経してるんだ。
「何で、ここに」
「あんな電話の切り方されたら気になるだろ?」
直球な言葉に、ビクリと体が震える。
イルミは微塵もためらうことなく部屋に入り込んできた。無遠慮に部屋を見回し「へーこんなとこに住んでるんだ」とお粗末な感想をもらすと、ダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした。
「茶くらい出せないの?」
「あ、うん」
言われるままフラフラと台所にむかう。動揺が抜けきらず手先が小刻みに震えるせいで、食器同士がぶつかって音を立てた。
きっと気味悪がって連絡してこなくなるだろうと思ってたのに、まさか訪ねてくるなんて。計算違いにもほどがある。
こっそりダイニングの方を見ると、イルミが姿勢良く座っていた。異様な状況に動顛すると同時に、とてつもない気まずさに襲われる。どんな顔して向き合えばいいか分からない。
いっそ逃げ出したくなるが、背後から「まだ?」と声をかけられ慌ててポットの湯を注いだ。
「どうぞ」
「どうも」
差し出したカップには一瞥もくれない。その眼差しは、ずっと私に固定されたまま。耐えきれずうつむいたが、一向に視線が外れる気配がなくて途方に暮れた。
拷問に近い沈黙が続く。身の置き所がなくてひたすら自分のカップに口をつけた。しかし、いよいよ飲み干してしまいそうになったところで、イルミから爆弾発言が落とされた。
「オレたちやり直さない?」
「ぶっ!」
あやうく口に含んだ紅茶を噴き出しそうになった。
「はっ、はぁ? イルミ、なに言って」
「オレたち、家族としてやり直せないかなと思ってさ」
「……」
こいつ、絶対わざとだ。
口元を拭いながら、恨みがましい目線を送る。
「やり直せるわけないでしょ。私はもうあの家を出たんだから」
「どうして?戻ってくればいいだけの話だ。父さんも母さんもきっと喜ぶよ」
軽々しい口調で切り返され、困惑が強まる。イルミの意図が分からない。どうして今更、家に戻ってこいだなんて……。
「オレたち血を分けた姉弟だろ? どうして遠ざけるのさ」
その言葉で、頭がサーっとさざめいた。咄嗟に立ち上がろうとしたが、叩きつけるように名を呼ばれ硬直した。
「姉さんが出て行ってみんな寂しがってるんだ。帰ってあげないと可哀想だろ?」
噛んで含めるような物言いに神経が揺さぶられる。聞きたくない。でも、耳を塞ごうにも体が動かない。
「オレのことは気にしなくていいんだよ?姉さんに恋愛感情を持たれても一向に構わない。だから、気兼ねなく戻っておいで」
――ああ、そうか。わざわざイルミが私の元を訪れた理由が分かった。
イルミの手が眼前に差し出される。固まった体を奮い立たせ、それを弾き返した。
「あんた、目の奥が笑ってんのよ」
こいつは、復讐しにきたんだ。忌み嫌う双子の姉を陥れるために。
イルミが叩かれた手に視線を落とす。
「さすがに騙されないか」
「利用してやろうって魂胆が見え見えなのよ」
敵意をもってイルミを睨みつけるが、一笑に付された。
「お前のどこに利用価値があるって?」
露骨に相手を見下した嫌な笑い方だった。
「こんなのただの遊びだよ。だってそうだろ?今まで散々オレを拒んできたナマエが、まさかオレのことを好きだなんてさ。はは、こんなおかしな話があるんだね」
相手を傷つけるための言葉だ。分かっている。それでも、傷つく心をどうすることもできない。
「最低……」
「その最低な弟に肉欲を感じてるお前はどうなの?」
ひどい後悔が胸に迫った。ああ、どうして遠ざけられるなんて思ったんだろう。この弟がそれだけで終わらせるはずがないのに。何も知られず、対等なまま終われたらどんなに良かったか。じわりと視界が滲んでいく。その様子を見たイルミが楽しそうにたたみかけた。
「そんなに嫌なら、オレのこと好きじゃなくなればいいのに」
「……」
「それでもオレを嫌いになれないんだね、姉さんは」
答える気にもなれず項垂れる。涙がこぼれ膝の上を濡らした。
ふと、何かが顔にふれた。拒もうと身を引くが、強い力で顎を捕まれ顔を上げさせられる。涙を流す私を見て、イルミは愉悦に染まった瞳に異質な光を宿らせた。
「ずっと、ナマエが憎かったんだ」
うっとりと、イルミはいった。言葉とは裏腹の表情に気持ち悪さに似た違和感を覚える。
「生まれた時からずっと同じように育てられてきたのに、ナマエだけはあの家に染まらなかった。それが憎くて憎くて仕方なくて、いっそ壊してしまおうと何度思ったことか」
私は愕然とした。イルミから溢れ出るその言葉に、初めて聞く本心に、ただただ圧倒される。
「そんなナマエが、オレを好きだって? オレを拒み、否定してきたナマエが?」
顎を掴まれたまま、ぐいっと顔を寄せられる。目一杯見開かれたその瞳には、怯えた私の顔が映っていた。――愚かな私は、そこでようやく気が付いた。身に迫るおそろしさを。イルミの中の何かとんでもないものを呼び起こしてしまったことを。
「姉さんの中でようやく見つけた歪みが、オレへの感情なんてね」
イルミの髪が頬にかかる。こちらを覗き込む澱んだ瞳に、情欲の色が見えてぞっとした。逃げ出そうとしたところで何もかもが遅い。腕を絡み取られ、唇を塞がれた。
「ぅっ、んん、ゃ……っ」
必死に抵抗するが、より一層深く塞がれた。繋がってはならないそれを無理矢理引きあわせるように、執拗に唾液を吸って与えられる。
ようやく離された時には、息も絶え絶えだった。
「ははは、実の弟にキスされて感じるんだ」
「……っ、死、ねっ!」
後悔しても遅い。一度起きてしまったことはもう覆せない。
きっと私は、自らの行いを一生後悔することになる。