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悪者たちは眠らない 2


「キルアから後継者の座を奪おうとか考えなかったの?」

 知らず声が上擦る。かなり突っ込んだ質問のつもりだったけどイルミの返事はあっさりとしたものだった。

「ないよ」
「でも実際チャンスは何度もあったでしょ? 元々キルアは後継者になるの嫌がってたし、ここ数年は家から離れてたわけだしさ」
「キルの意志は関係ない。それに親父はキルが戻ってくるって確信してた。キルが生きてる限りオレに可能性は無いね」
「ふーん……」

 ついさっき家を継ぎたいと言ったその口で語られる内容に矛盾を感じてしまう。もっと掘り下げて聞きたくなったけど、一旦口を閉ざして逡巡した。下手に踏み込んでイルミの機嫌を損ねるのは得策じゃない。
 さてどうしようかと考えながらビールに口をつけると、意外にもイルミの方から話が続けられた。

「キルが生まれてもう後継者にはなれないって悟ったから、別のアプローチに切り替えたんだよ。キルを手ずから育て上げて、コントロール下に置こうと思ってさ。そうすれば実質的にオレが家の実権を握れるだろ?」
「うわー、そういうエグい方向に進むところが流石イルミだわ」
「そう? うまく折り合いをつけたつもりだけど」

 何もかも親父の言いなりになるのは癪だったしね。そう続けて、イルミはグラスを口元に近づけた。
 なるほど。だからあそこまでキルアに執着していたのか、と内心納得する。一見キルアを偏愛しているようで、その実、自分の目的を果たすための駒として利用している。
 とことん利己的な男だと思う。同時に、哀れだとも思った。
 ゾルディック家の長男として生まれ、当初は後継者として育てられていたはずだ。その道はキルアの誕生により呆気なく閉ざされ、今度は後継者の教育に専念しろと命じられる。なんとも身勝手な話だ。しかし長子とはそういうものだということを、私たちはよく知っていた。
 ふいに苦い記憶がよみがえって、口内に砂を含んでいるような気持ちになる。くそ、と胸の内で悪態をつく。こんな気分になるなら踏み込んだりしなきゃよかったと後悔した。人の不幸を面白がったしっぺ返しを喰らった気分だ。
 残りのビールを一気に飲み干し、近くにいた店員に度数の高い酒を頼む。こんなときは酒だ。むしゃくしゃした時の私はそうやって嫌なことを忘れてきた。

「――でも、あれはもう完全にオレの手を離れた」

 焼酎と氷がテーブルに届いたタイミングで、イルミがぽつりと呟いた。目を伏せてグラスの中を覗き込む顔には、微かな哀愁が漂っている。私は思わず声を上げそうになった。

(あのイルミが弱ってる)

 珍しい、というか、こんなイルミを見るのは初めてかもしれない。
 いつになく悄然としたイルミの様子をしげしげと眺める。急にイルミがかわいそうに見えてくるから不思議だ。とは言っても、慰めようだなんて爪の先ほども思わなかった。これまでイルミがしてきたことを思うと同情の余地なんてないし、イルミも下手な慰めは求めてないだろう。

「随分しおらしいじゃない。イルミでも落ち込むことがあんのね」

 ニヤリと笑って言う。私のあからさまに揶揄する態度に、イルミはキュッと眉間に力を入れた。

「こういうのなんていうんだっけ。鬼の目にも涙ってやつ?」
「お前、面白がってるよね」

 イルミが抑揚のない声で突っ込む。私は否定も肯定もせず口の端だけで笑った。そうやって表向きはからかう態度をとりながらも内心は複雑だった。

(何を今さら言ってんのよ。感傷に浸るなんてイルミらしくもない)

 ひりひりと高揚感が高まって、形容し難い感情が体の奥から迫り上がってくるのを感じる。
 私から見たイルミはいつだって完璧な悪だった。己の悪意に疑問や罪悪感を抱くことなく、ひたすらに我が道を突き進み、邪魔者は容赦無く叩きのめす。出会った時から一切ブレないイルミの姿に、私はどこか安心感を覚えていたのだと思う。どちらに向いたらいいか分からず迷った時に、真っ直ぐに歪んでいるイルミの存在は私にとってある種の指標だった。
 だから正直なところイルミのこんな弱った姿は見たくなかった。何がオレの手を離れた、だ。イルミともあろう男が何を情けない発言をしてるんだ。
 だんだんとイルミに対して意地の悪い気持ちがこみあげてきて、唇を噛み締めた。

(感情的になってるな)

 このままじゃ何を口走るか分かったものじゃない。私は氷の入れたグラスに焼酎を注ぎ、口に含んだ。喉からお腹がじわっと暖かくなって、感情が収まってくる。一呼吸ついてから口を開いた。

「じゃあ、もうあの家は出たほうがいいんじゃない?」

 イルミはグラスの淵に指を添え、表情を変えずに瞬きした。

「なんで」
「何でって、もう潮時でしょ。キルアが当主の座についたらイルミが家から追い出されるのも時間の問題だろうし。厄介払いされる前に自分から出て行った方がいいんじゃないかってこと」
「は?」

 ビリッと空気が震えた。イルミが纏うオーラに険が増していく。隣のテーブルに座っている客が何事かと横目で様子を窺っているのがわかった。

「キルがオレを追い出すだって? 面白いこと言うね、お前」

 言外にそんなことはあり得ないと告げるイルミに、私は大袈裟にため息をついてみせた。じろりと重い視線を向けられるが、そんなもので今さら怯むような付き合いの長さではない。

「逆にこのまま居続けられると思えるのが不思議だわ。今まで散々キルアに悪行働いておいて」
「オレは必要な教育を施してきただけだよ」
「その教育が度を越してたからキルアの反発を生んだんじゃないの? まぁ、それがキルアだけだったらまだセーフだったかもね。でもイルミはアルカにも矛先を向けた。その時点でもうアウトでしょ」

 イルミが目の端をピクリと引き攣らせる。しかしその目の奥に、ほんの僅かな揺らぎが生まれたのを私は見逃さなかった。
 射殺さんばかりのイルミの目を真っ直ぐ見返して、私は淡々と続けた。

「アルカに危害を加える可能性がある存在をキルアは野放しにはしない。キルアの中でまだイルミは家族の括りに入っていたとしても、アルカと天秤にかけたとき、今のキルアだったらアルカを取るよ」

 さっきまで怒りに染まっていたイルミの顔から感情が抜け落ちていく。本気で怒らせたかもしれない。家族の問題に部外者の私がここまでズケズケと物申したのだから当然の反応だろう。これはタダじゃ済まないだろうな、と頭の片隅で思う。でも言いたいことを言えて少しだけ溜飲が下がった。
 グラスを傾けて中身を喉に流し込む。沈黙が私達の間を漂った。そして数拍のあとにイルミがふぅ、と息をついた。

「その発想はなかったな」

 力のない呟き。あやうく周囲の喧騒にかき消されそうになったその声を拾って、私は目を見張った。

「ナマエが言うこともあながち間違ってないかもね」
「……なんか、そこまでしおらしいとこっちも調子狂うんですけど」
「何それ。お前、オレのこと怒らせたいの?」
「そういうわけじゃないけど」

 いや、イルミの言う通りだ。らしくもなく落ち込んでいる姿を見たくなくて、挑発して怒らせようとした。しかし結果は失敗だ。
 キルアとの間に何があったか知らないけど、よっぽど打ちのめされているらしい。これはなかなかに重症だろう。
 イルミに対して、さっきまでの攻撃的な感情はもう湧いてこなかった。代わりに、焦燥感が胸を掻く。私は駆り立てられるように口を開いた。


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