悪者たちは眠らない
「キルアが帰ってきたぁ?」
繁華街の一角にある大衆酒場。人でごった返す店内の一席で、乾杯のビールに口をつけたときのことだった。向かいの席で頬杖をつくイルミから切り出された話題に、あやうくジョッキを取り落としそうになった。
「自分から戻ってきたの?」
「そう。アルカも一緒にね」
アルカ。イルミの口から久々に聞く名に、私は目をしばたたかせた。
たしか数年前、アルカの力をめぐって兄弟間で衝突し、キルアは家出同然に出て行ったきりだったはずだ。その後キルアたちがどうなったか触れてなかったけど、何となくあの弟くんはもう戻らないものだと思っていたからこの展開は予想外だった。
(なるほど。今日はやけに付き合いが良いと思ったらそういうことね)
私は驚きを引っ込めて、イルミの顔をまじまじと見つめた。
イルミのやつ、涼しい顔してるけど内心穏やかじゃないだろう。いや、喜んでるのか? そこらへん実際どう思ってるのかよく分からないけど、いつものイルミじゃないってことだけは分かる。現にこうして仕事終わりに安酒に付き合うなんてイルミらしからぬ行動をとっている。
この男にも誰かに話を聞いてもらいたいなんて思うことがあるのかと心の中で面白がりながら、私は大真面目な顔で相槌を打った。
「へえ。そりゃまた一大事じゃん」
「うん、家中大騒ぎだよ。特に母さんが狂喜乱舞してる」
「あー、想像つくわ」
思わず噴き出すと、イルミもわずかに口の端を持ち上げた。その反応に一瞬妙な感覚を覚えたが、特に気に留めずに会話を続けた。
「自分の意志で戻ってきたってことは、ついに弟くんも家を継ぐ覚悟ができたってこと?」
「さあね。本人は否定してるけど、親父はすっかりその気になってるから時間の問題じゃない?」
「そっか。おめでと」
うん、とイルミがうなずく。私はまたしても違和感を覚えた。
(なんか……不気味なくらい落ち着いてない?)
イルミの態度は至って平坦で、どこか他人事のようにすら見える。過去にあれだけキルキル騒いでいた人間とは思えない反応だった。感情を抑えているせいで必要以上に無感動に見えるのかもしれない。
もっと素直に喜べばいいのに。それか、何か諸手を挙げて喜べない事情でもあるんだろうか。深掘りしようか迷ったけど、下手なこと言って藪蛇になるのも面倒だと思い直し、当たり障りのない言葉に切り替えた。
「念願叶ってよかったね」
「念願?」
イルミが眉間に皺を作る。その仕草からあからさまな不満が見て取れて、私は面食らった。
(――え、私いま変なこと言った?)
いったい何が癇に障ったのか分からない。困惑しながらイルミに問いかけた。
「違うの? キルアが後継者になるための教育をずっとしてきたんでしょ?」
「違うね。オレはキルが一流の暗殺者になるための教育をしてきたんだよ。後継者として育ててきたわけじゃない」
バッサリと切り捨てられ、息を呑む。
こいつはいったい何を言ってるんだ?
「ちょっとまって、理解が追いつかない。……ええっと、つまり、イルミはキルアをどうしたかったわけ?」
「だから一流の暗殺者」
「だけど、後継者にしたかったわけじゃない?」
「うん」
「え、でもイルミさ、キルアに後継者としての自覚を持たせるとかよく言ってなかったっけ」
「それが親父の命令だったからね。でもオレがやりたくてやってたわけじゃない」
私は今度こそあっけにとられた。
まさか、イルミがそんな風に考えていたなんて。知り合ってから十年以上経つけどちっとも気づかなかった。
イルミの思いもよらない発言にどう反応していいか分からず、とっさに冗談を言ってお茶を濁そうとした。
「何それ。それじゃあまるでイルミが後を継ぎたかったみたいじゃない」
「うん、そうだよ」
あっさりと肯定される。本当にそう思っているのか疑いたくなるほどの一本調子だったけれど、この素っ気なさがイルミなのだ。口に出した以上、それが本心なのだろう。
ぽかんとする私を見て、イルミは不思議そうに首を傾げた。
「なにをそんなに驚いてるの?」
「そりゃ驚くでしょ……まさかイルミにそんな願望があるとは思わなかった」
「そう? 長男として生まれてきたんだからそう思うのが普通だと思うけど」
普通! この男の口から普通を説かれる日が来るなんて!
(……なんか、だんだん面白くなってきた)
幼い頃から身近にいて、もう大概知り尽くしてると思っていた相手の新たな一面に好奇心が掻き立てられる。もっとイルミのことを知りたい。というか、ぶっちゃけ話が聞きたい。
好奇心と野次馬精神に逆らえず、私はテーブルに肘をついて身を乗り出した。