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トパーズの午後


 はっはっと短く息を切る。左右を流れる景色には目もくれず、無我夢中で駆けていた。背後から迫りくる気配を切々と感じながら。
 追っ手から逃げつつも、私は自分がとった行動を現在進行形で後悔していた。こんな風に逃げ回ったところで何の解決にもならないことは分かっている。それでも足を止めるわけにはいかなかった。

(あぁもう! どうしてこんなことに……!)

 先程の出来事を思い出すと、身悶えしたくなるような羞恥と後悔に襲われる。いっそこのままどこか遠くへ行ってしまいたいと思いながら、腕をがむしゃらに振って走り続けた。

 
 ――ことの発端は数十分前に遡る。 
 ゴン、キルア、レオリオの三人とヨークシンで再会を果たし、お互いに積もる話もあるだろうということでまずはゆっくり話をすることにした。通りに面した店で昼食をとりつつ、会っていなかった間の出来事を報告し合ったりしながら、和気藹々と会話に花を咲かせていたときのことだった。
 何の脈絡もなくキルアが切り出した。

「つかナマエさー、相変わらずオレのことばっか見てくんのな」
「……は、い?」

 あまりにも軽い口調だったので、すぐには何を言われたのか分からなかった。一拍遅れて正面を見れば、上目遣いに見上げてくるキルアと視線がぶつかる。ネコ科の動物を思わせる瞳がいたずらっぽく細められた。

「そんなにオレにキョーミあんの?」

 心臓を握り込まれたようになって息を詰めたが、極力顔には出さず鼻で笑い飛ばした。

「何言ってんの。アンタみたいなお子ちゃまに興味あるわけないでしょ」

 力を振り絞って平然を装う。うまくかわしたつもりだったけど、キルアの追求は容赦なかった。

「じゃあ何でそんな見てくるんだよ」
「別に見てないけど」
「いーや、見てたね。ナマエがあんまり見てくるから穴開くかと思ったぜ、オレ」

 ひくりと喉が震えた。一度は取り繕えたけど、こう次々と暴かれるとさすがに余裕がなくなってくる。
 全身の血が冷え渡って、心臓が痛いほどに鼓動する。これほどの窮地に追い込まれたことが未だかつてあっただろうか。二次試験でヒソカと対峙したときだってここまでじゃなかったと思う。
 思わず視線を右往左往される。きょとんとした顔のゴンと、気まずそうにサングラスのブリッジを持ち上げるレオリオの姿が視界に入る。
 ――あぁ、もうだめだ、と思った。

「……」

 言葉につまって沈黙する。その反応はもはや認めたも同然だった。
 誤魔化すことに失敗し、すでに瀕死の心境だったが、さらにトドメを刺す一言が放たれた。

「オレのこと気になってしょうがねーんだろ?」

 ――その言葉を皮切りに、気づけば店から飛び出していた。「あ、逃げた」というキルアの声を背中に聞きながら。
 あまりにも血迷った行動だ。どう考えても悪手。それでも、どうしてもあの場にいるのが耐えられなかった。
 とにかく一人になりたい一心で、馴染みのない街をひたすら走った。通りを避けるようにして裏路地に入り、入り組んだ狭い道を駆け抜ける。追跡者の存在に気づいたのは、少し休むもうと走る速度を緩めた時だった。背後からとんでもないスピードで近づいてくる気配を察知して、私は慌てて地面を蹴った。
 自慢じゃないけど私は足が速い。この速度についてこれる人間は限られてるし、そもそも追いかけてくる人間なんて一人しか思い当たらない。

(キルアのやつ、いつまで追いかけてくるんだよ! いいかげん諦めろ! 空気読めやクソガキ!)

 熾烈な追いかけっこを繰り広げながら、心の中で悪態を吐き散らす。
 いくら大人びて見えてもしょせんは子供だ。こっちの都合なんてお構いなしに好き放題してくるクソガキ。どうしてあんな子供を好きになってしまったんだと頭を抱えたくなる。あまつさえ、相手に気持ちを悟られていたなんて迂闊すぎて死にたくなる。
 
 ――惹かれたのは、初めて会った時からだった。
 一次試験会場で待機していたとき、近づいてきたキルアの気配に背筋がざわついた。顔を見た瞬間、視線が釘付けになった。そのあとはもう、崖から転げ落ちる勢いでキルアに惹かれた。なぜキルアだけ。他の人間ならこんなことにならないのに、どうして。理由など考えるまでもなかった。私はキルアが好きなんだ。恋愛的な意味で。
 自覚した瞬間、私は膝から崩れ落ちんばかりの衝撃を受けた。そして己の性癖を疑った。何せ相手はどこからどう見ても子供で、過去を振り返ってもそんな子供を好きになったことなど一度もなかったからだ。自分は少年趣味だったのか、と大いにショックを受けた。
 胸に芽生えてしまった気持ちに私は大きくバツをつけた。そして、誰にも明かすことなく墓場まで持っていこうと誓った。
 気持ちを悟られない自信はあった。ポーカーフェイスは得意だったし、相手は恋愛よりもスケボーが好きそうな子供だったから好意を勘付かれるはずがないと思っていた。つまるところ、私は油断していたのだ。相手がただの子供なんかじゃないってことは最初から分かっていたはずなのに――。
 
「はっ、はぁっ……」

 角にくるたびに右に左に路地を走って逃げ続ける。
 だんだんと息が上がってくるのが分かった。足も重くなってきている。

(まずい、このままじゃ追いつかれる)

 距離を縮められていることが背後からひしひしと感じる。気配を辿って大体の距離を測ると若干の余裕があるものの、追いつかれるのも時間の問題だ。速さではまだ私の方が優っていたけど、体力が段違いだった。

(どこかに隠れよう)

 キルア相手にこのまま追いかけっこを続けるのは無謀だと判断し、一旦身を隠してやり過ごすことにする。こんな時に限って雲ひとつない天気だ。雨でも降っていたら少しは隠れやすかったのに、と舌打ちしたくなる。
 入り組んだ路地を走りながら、どこかに隠れる場所はないかと辺りを見回した瞬間。今まさに曲がろうとした路地から人が飛び出してきた。

(ぶつかる!)

 反射的にこわばった体は、ぽすんと間抜けな音を立てて受け止められた。

「っ!」

 とっさに身を捩って逃げようとしたが、腰に巻きつく腕に力を込められ動きを阻まれる。

「っしゃ、つかまえた!」

 少し高揚した楽しげな声に、意識が遠のきかける。
 おそるおそる自分を抱きしめている人物を見下ろすと、不敵な笑みを浮かべるキルアと視線がぶつかった。

「あー! 先越されたー!」

 突然背後から聞こえた大声に心臓が縮み上がる。勢いよく振り返ると、そこには悔しげに頭を掻くゴンの姿があった。

「オレの勝ちな、ゴン」
「くそー! あとちょっとで追いつきそうだったのにー!」

 私を間に挟んで無邪気に盛り上がる二人を愕然としながら眺める。私はそこでようやくキルアが足音を立てずに走れることを思い出した。

(まさか、二人掛かりで追ってきてたなんて……)

 気づかなかった自分の間抜けさに歯噛みする。
 二人の会話から察するに、どちらが先に私を捕まえられるか競っていたんだろう。その無邪気な闘争心がどれほど人を追い詰めるかも知らずに。
 このクソガキども……と喉の奥で低く唸っていると、キルアが「じゃ、オレはこいつと話あっから」と私の顔を指さした。

「うんわかった! 先にレオリオのところ戻ってるね! ナマエもまたね!」
「えっ」

 とっさにゴンを呼び止めようとしたが、こちらが声をかける隙を与えず颯爽と去っていってしまった。
 二人きりになってようやく今の今までキルアと密着していたことに気づいて、両腕を突っぱねて彼の身体を押しやる。腕の囲いからは逃れられたが、それ以上離れることは許さないとばかりにしっかりと腕を掴まれてしまった。
 心臓が早鐘を打ち、身体にじわりと汗が滲む。なんとか平常心を取り戻そうと深呼吸するが、ちっとも効果がなかった。表情を作りそこねて、拗ねた子供みたいな顔になってるのを自覚しながら私は口を開いた。

「二人がかりで追いかけるなんて、ちょっと卑怯なんじゃない」
「卑怯も何もなくね? あんな風にいきなり逃げたらそりゃ追いかけるだろ、フツー」
「誰のせいで逃げ出す羽目になったと……」
「オレのせい?」

 キルアが下からわざとらしく覗き込んでくる。完全に面白がってる態度が憎らしい。

「なー、それって認めるってことでいーわけ?」

 突きつけられた言葉に、うっと怯んだ。後退りをしたのは、もはや条件反射だった。一歩後退すると、それにあわせてキルアもまた一歩前にでる。迫る身に圧迫されて、あっという間に壁際まで追い込まれてしまった。
 ばくばくと心臓が音を立てる。

(だめだ。もう観念するしかない)

 大きく息を吸って吐いて、覚悟を決める。断頭台に登るような気持ちで、キルアの前に両腕を揃えて突き出した。

「なんだよ、その手」

 目の前に差し出された両手を見下ろして、キルアが首をかしげる。

「警察にでも何でも突き出せばいいでしょ」

 やけぐそ気味に返事をすると、キルアは目を丸くさせた。思いもよらないことを言われたかのように目を瞬いて、じっと私を見つめてくる。

「は? 何でそーなんの?」
「児童ポルノで警察に突き出すつもりなんじゃないの?」
「……おっまえさぁ!」

 キルアは一際大きな声を上げて、呆れ果てたとばかりに溜息をついた。その顔がみるみるうちに不機嫌なものに変わっていく。

「どこまでもガキ扱いしやがって……ちょっと先に生まれたぐらいで調子乗んなよ」
「すみません、大人しくお縄につきます」
「だからなんでそうなんだよ!」

 ウッゼー! こいつマジで腹立つ! とギャーギャー騒ぎ立てるキルアに、今度はこちらが首をかしげる番だった。それじゃあどういうつもりで追いかけてきたんだろう。訝しむ視線を送ると、なぜかキルアは視線を宙に泳がせた。

「あー、だから……」

 ボリボリ頭を掻いて何やら言いにくそうにしている姿にますます疑問が募る。一体何を言われるのか身構えていると、予想だにしなかった言葉が飛んできた。

「別に相手してやんねーこともないって言ってんの」
「相手してやんねーこともない……?」

 よく意味が掴めないまま鸚鵡返しに呟いて、キルアの言葉を反芻する。相手って、何の相手だ?

「っだからさぁ、分かんだろ! どんだけ鈍いんだよお前……まさかわざとやってんじゃねーだろうな」

 じろりと睨めつけられて、閉口する。なんだか散々な言われようだ。
 臍を曲げたらしいキルアは唇を尖らせてそっぽを向いた。そこでふと銀髪の隙間から覗く耳が赤く染まってることに気付いて、私は目を見開いた。

(え、まさか……相手にしてやるって、そういうこと!?)

 ようやくキルアの言わんとすることに気付いて、愕然とした。
 まさかキルアがそんなことを言ってくるなんて。てっきり面白がられて揶揄われるか、気持ち悪がられるかの二択だと思っていたのに。

(どうしよう)

 まったく予想していなかった展開に私はひどくうろたえた。熱でも移ってくるみたいに頬が熱くなって、目の前に彼がいることに緊張してそわそわする。
 私は侮っていたんだ。十二歳の子供と恋愛なんてできるわけがないって決めつけていた。その結果、今日だけで二度目の窮地に追い込まれる事態になっている。
 不意にそっぽを向いていたキルアが視線を戻す。私の顔を見ると、息を漏らすように笑った。

「やっと分かったかよ。おまえ察し悪すぎ」

 キルアが目元を赤くしたまま、ふわりと口元を緩める。陽の光を浴びてきらきらと光る銀髪に、真夏の日差しの強い青空のような色をした瞳で、嬉しそうに破顔した。
 その一瞬で、全てが吹き飛んでしまった。自分が勝手に作ったルールとか、建前とか、迷いとか。そんなもの、感情の前では無意味なのだと悟った。私はもう自分の恋心を否定したりはできなかった。
 しかし、気持ちを認めたところで素直になれるかどうかはまた別の話だ。
 ここでしおらしい態度の一つでも見せれば良いのだろうけど、あいにくと私という女はそんな風には出来ていない。元来の捻くれた性格とプライドが邪魔をして、つい憎まれ口を叩いてしまう。

「よくもレオリオとのゴンの前でバラしてくれたわね。おかげでこっちは赤っ恥だよ」

 おそらく拗ねた子供のような目になっていることだろう。年上の威厳などもう形無しだ。それでも言わずにいられなかった。

 キルアは一瞬目を丸くさせると、あきれたように肩をすくめた。

「んなこと気にしてんのかよ。別にいーじゃん」
「全然良くないから! もっと他にタイミングあったでしょ!」
「だってわざとだし」

 事も無げに返されて、耳を疑った。
 今なんつった?

「ナマエのことだからどうせ何かと理由つけてオレと二人になるの避けようとすんだろ? だから外堀埋めて逃げ道潰してやろうと思って」

 続けて落とされた爆弾に、絶句する。キルアは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた。

 きっとこれからもこんなことの連続なのだろう。この生意気で狡猾な少年に心をかき乱され翻弄され続ける未来が容易く想像できてしまって、なんとも末恐ろしくなった。


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