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極彩のかま首


「婚約者が決まったよ」

 ゾルディック家の邸宅。自室に戻ったイルミは、部屋に控えていた執事に向かって開口一番そう言い放った。

「おめでとうございます」

 イルミの言葉を受けて恭しく頭を下げる女は、十年以上イルミの専属執事を勤める優秀な執事だった。その所作は美しく、ゾルディック家に仕えるに相応しい完璧なものであったが、イルミはなぜか不服そうに片眉をもちあげた。

「なんだ。少しは動揺するかと思ったのに」
「いつかこのような日が来ることは分かっておりましたから」
「いいの? お前はそれで」
「一介の執事が口出しすることではございません」

 女の答えに淀みはない。その表情にも一切の乱れはなかった。
 執事は常に冷静沈着であれと教育され、模範的な執事である女もまたその教えを忠実に守っている。しかし、イルミが求めるものはそんな優等生の答えではなかった。

「ふーん、後悔するのはお前なのにね」

 イルミが女に詰め寄る。表情に変化はないが、その足取りには如実に苛立ちが顕れていた。女の前で足を止めると、顎を掴んで無理やり顔を仰向けさせた。

「言っておくけど、結婚してもお前を手放すつもりはないよ。あ、そうだ。オレの婚約者の世話もしてもらおうかな。うん、それがいい。どんな時も側に控えてもらうよ。オレがその女を抱いてるときもね」

 淡々とまくし立てながら、女を見据えるイルミの目がどろどろとした情念に染まっていく。イルミが女に対して主人と執事という関係を超えた執着を抱いていることは明白だった。その執心は苛烈で、もはや狂気に近いものだった。
 常人であれば恐れおののき足を竦ませるであろう圧力にも、女は怯むことなくたおやかな笑みを浮かべるだけだった。

「それがイルミ様の望みなら、私は従うまでです」

 ザワッとイルミからおぞましいオーラが放たれる。
 しかしそれも一瞬のことで、イルミは身の内でのたくる怒りを溜め息に変えて、やれやれと肩を竦ませた。
 女の取り澄ました顔を歪ませてやりたい気持ちはあるが、それでもまだ楽しむ余裕があった。どんなに脅かそうとしても脅されず、執拗にからんで揺さぶりをかけても顔色一つ変えない女のことをイルミは存外気に入っていた。

「いつまでそうやって平気な顔していられるか見ものだね」

 最後にそう吐き捨て、イルミは身を翻して部屋を出て行った。

 残された女はしばらく身動きひとつせずにじっとしたままだったが、やがて肩から力を抜き、目を伏せた。そして声を出さずに何か呟くと、ゆっくりと瞼をもちあげる。前方の虚空を睨みすえるように見つめる眼には、ゾッとするような凄みがあった。
 しかし瞬く間に鳴りを潜め、すぐに波のない穏やかな目に戻ってしまう。
 完璧な執事の仮面を被った女は、主人の後を追うようにその場を去っていった。





 ――イルミがその報せを受けたのは、仕事を終えて家に戻る車の中でのことだった。

 後部座席に身を預けていたイルミは、ふいに鳴り出した携帯を取り出し耳に当てた。

「そう。わかった」

 短く告げて、通話を終える。イルミは億劫そうにため息を漏らした。

「いかがなさいましたか」

 車を運転する執事が、後部座席のイルミを振り返ることなく尋ねる。女の問いに、イルミは躊躇うことなく答えた。

「あの女が死んだって親父から連絡が来た」
「――あの女、と仰いますと」
「オレの婚約者だった女。誰かに殺されたらしいよ」

 イルミの声が他人事のように響く。実際、他人事なのだろう。暗殺の世界に身を置いているイルミにとって珍しい話ではないし、そもそも己の婚約者だった女に対して何の感情も抱いていなかった。
 訃報を聞き、執事の女は淡々とした声で切り返した。

「まことにお気の毒なことでございます」

 イルミはどことなく引っかかりを覚える。女の言葉がやけに白々しく聞こえたからだ。
 運転席を見れば、いつもと変わらぬ取り澄ました顔つきで女がハンドルを握っている。気のせいかと思い、イルミは話を続けた。

「今相手の家族が血眼になって殺したやつを探してるってさ。オレも容疑者の一人になってるみたいだね」
「まぁ……」

 女は芝居がかった相槌を打つと、ハンドルを握る手に力を込めた。心の無しかアクセルを踏む力も強くなる。

「イルミ様を疑うだなんて、一族を根絶やしにされても文句は言えませんね」

 女の珍しく毒を孕んだ発言に、イルミはいくらか面食らった。
 そこでふと違和感に気が付く。さっき女は「いかがなさいましたか」と声をかけてきた。この女が主人の溜め息程度で声をかけてくるような殊勝な執事であっただろうか。
 イルミは得体の知れない高揚を覚えながら、ルームミラーに映る女の顔を凝視した。

「お前は疑わないの?」
「もちろんでございます。イルミ様のはずがありません」
「へぇ、随分はっきり言い切るんだね」
「えぇ。イルミ様はあのような美しくないやり方は致しません」

 女がミラー越しに目配せをする。その眼差しに浮かぶ狂気と桁外れの度胸が、イルミの背筋を痺れさせた。

「……はは、すごいね、お前。これは予想外だった」
「お褒めに預かり光栄です」

 女は微笑を浮かべながら「これ以上犠牲者が増えないことを願っております」と付け足した。
 イルミは珍しく打ちのめされたような気分になって、革張りのシートに背を預けた。

 さて、この一筋縄ではいかない女をどうしてやろうか。
 イルミはこれから始まる苛烈な日々に胸を躍らせ、愉悦に満ちた笑みを浮かべた。


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