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触れぬが花


 イルミの機嫌が悪い。
 理由は謎だ。ついさっきまで普通だったのに(とは言ってもこの男の普通は一般的な普通とは大きくかけ離れている)仕事を片付けて合流した途端にこの有様だ。さっきから黙り込んで、こちらを見ようともしない。
 仕事は滞りなく終えたはずだ。概ねイルミの指示されていた通りに動けたし。イルミの方も何の問題もなくターゲットを仕留められた。そもそも仕事で何かやらかしたなら態度で示すなんてまどろっこしいことはせず直接文句を言ってくるはず。イルミはそういう奴だ。

(さて、どうするか)

 触らぬ神になんとやらと言うし、このまま触れずに放っておこうか。正直、今の状態のイルミの相手をするのは骨が折れる。仕事終わりでこっちも疲れてるし。早く帰って風呂入って寝たい。しかし、これまでの経験上このまま放置した方が余計に面倒なことになるのは目に見えている。
 ぐるぐると思考を巡らした結果、私は愚直に問いかけることにした。

「……あのー、イルミさんはどうして怒ってらっしゃるのでしょうか」

 恐る恐る声をかけた瞬間、前方を足早に歩いていた男はぐるりと振り返った。

「へー鈍感なナマエでもそれくらいは察せられるんだ」
「そりゃあ、そんだけあからさまに不機嫌オーラ出されたら……」

 あ、まずい。つい言い返してしまった。これじゃ火に油だ。
 案の定イルミは眉間に皺を作った。それから大股でこちらへ歩み寄り、顔を近づけてきた。驚く私のうなじに手を回し、ぐいと引き寄せる。いきなりキスでもされそうな体勢になって、私はイルミから距離を取ることも忘れてぽかんとした。

「オレがどうして怒ってるか、分からない?」
「は、はい」
「本当に?」

 至近距離で問い詰められ、たじろいだ。同時に心臓が嫌な音を立てる。
 ――本当は、ひとつだけ思い当たる節がある。でも、それだけは違っていてほしいというか、もしそれが原因だったらたまったもんじゃないから必死に考えないようにしていた。
 ふいにイルミはすうっと目を眇めた。獲物をいたぶる酷薄な眼差しが私をとらえて、背筋が震える。反射的に体が逃げを打つが、動きを制するようにイルミが言い放った。

「じゃあ教えてやろうか。お前がターゲット相手に簡単に体を触らせてたのが不快だったんだよ」
「ぎゃーっ!」

 たまらず叫んだ。叫ぶしかなかった。こんなのもはやホラーだ。
 ギャーギャー騒いでいるとイルミがまた眉を顰めた。うるさい黙れと言わんばかりの冷たい目で見下ろしてくる。でも、いつの間にか掴まれていた腕はガッチリと握り込まれていて、少しも離される気配がなかった。

「何その反応。聞いてきたのはナマエだよね?」
「それだけは違うと思いたかったぁ……」
「は?」
「あっ、いえ、スミマセン」

 これ以上機嫌を損ねると本気でやばいことになりそうなので慌てて口を噤んだ。

「で? オレに言わなくちゃいけないことあるよね?」

 イルミが傲然と言い放つ。まるで、言いつけを守れない子供を叱るような態度に苛立ちが募った。お前は私の何なんだよ。

(ここではっきり言わないと駄目だ)

 付き合ってもいないのに他の男に触らせるなとか彼氏ヅラされて迷惑だって。言え。言うんだ私!
 必死に自分を鼓舞して震える唇を開く。しかし、口から出てきた言葉はそんな思いを裏切るものだった。

「い……以後気をつけます。」

 あぁ、私の馬鹿野郎! 意気地なし!
 いや、でも、これはしょうがない。下手なこと言って本気でイルミを怒らせたらまずいし。それこそ手なんて出されたら戦闘力ゴミの私が敵うわけがない。戦略的撤退ってやつだ。

「うん、そうして」

 イルミはそれだけ言うとまたスタスタと歩き出した。そっけない態度だけど、その背中からはもう不機嫌なオーラは感じない。その程度の変化にはいつの間にか気付けるようになっていた。

(まずいなぁ)

 本気で厄介な男に目を付けられてしまった。これは取り返しがつかなくなる前に早くどうにかした方がいい。私がイルミ相手にどうにかできるとは思えないけど。いざという時は何もかも投げ出して逃げよう。
 そんなお粗末な計画を思い描いていると、ふいにイルミが振り返った。ひた、と視線を合わせられ、息を呑む。

「言っとくけど、余計なことはしないほうが身のためだよ」

 まるで心を読んだかのような忠告に言葉を失った。

(あれ、もしかして、もうすでに手遅れな感じ……?)

 背筋に冷たいものが、すうっと滑り落ちていく。硬直する私に構わず、イルミはふたたび前に向き直った。その背中が何を思っているか今度はさっぱり分からなくて、私は途方に暮れるしかなかった。


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