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欲しがらないよきみだけは 4


『私パリストンは副会長にチードルさんを指名し! この場で会長を辞する事といたします!』

 会場にマイク越しのパリストンの声が響き渡る。誰も予想していなかった展開に場内が一瞬静まり返った。
 唖然とする十二支んを尻目に、パリストンは颯爽と会場を後にする。
 壇上に立つ人間でまず我に返ったのはチードルだった。すぐさま彼の後を追う。それにつられるようにして残された面々が騒然とし始める。

 周囲が慌ただしく動き出す中で、私だけが微動だにせず立ち尽くしていた。彼がいなくなった壇上をじっと見つめる。
 ショックを受けるとか、気持ちが乱れるとか、そういった気分にはならなかった。心臓の鼓動は規則正しい。こうなることは薄々予感していた。ネテロ会長の訃報を知ったあの日から。来るべき時が来たのだと思った。
 ぐっと拳を握りしめて、胸いっぱいに息を吸い込む。そうして、私は人知れず会場を後にした。



「副会長」

 淀みない足取りで廊下を進む背中を呼び止める。振り返った男は、儀礼的にうっすら微笑んだ。

「あぁ、ナマエさん。どうかしましたか?」

 パリストンはぼんやりした目で私を見下ろした。その目は私ではなく虚空に向けられているように見えた。

「副会長にお話があります」
「残念ながら僕はもう副会長じゃないんですよ。たった今、協会とは関係のない人間になりましてね! 話なら新しい副会長さんにしてもらってもいいですか?」
「私はあなたに用があるんです」
「……はぁ、そうですか。こう見えてもボク急いでるんですけどねぇ。なるべく手短にお願いしますね!」

 笑顔は崩さないが、視線が鋭くなる。お前相手に割く時間などないとでも言いたげな眼差しだ。
 ふと、笑い出したくなった。こんな扱いを受けても引き下がらない自分がひどく滑稽でおかしな生き物に思えてくる。まったく正気の沙汰じゃない。
 できるだけ感情を押し殺して、私は口を開いた。

「今日限りで協会を辞めさせていただきます」

 パリストンの目が、すぅっと細められる。

「それはそれは……どうしてまた?」

 口では理由を説いていたが、その目はしらけ切っていた。私の進退など毛ほどの興味もないだろう。

「ここで私が出来ることはもうありませんから」
「またまたご謙遜を! ナマエさんのような優秀な人材はこれからのハンター協会に必要ですよ! 僕が居なくなるからって辞めるのは勿体無いです!」

 口の端に嘲笑めいた笑みを浮かべ、パリストンは低い声で続けた。

「……で、どうしてわざわざそれを僕に言ってくるんですか? さっき言いましたよね? 僕はもう協会とは無関係だって。もう貴女の上司でもなんでもないんですよ」

 この男の酷薄な表情も、もうすっかり見慣れたものだった。そうやってせいぜい嘲笑っていればいい。いつまでも潰えた恋に執着する愚かな女だと。

 ――もうずっと前から、私の理性の歯車は狂ったままだ。
 どんなに正常に戻そうとしてもダメだった。こんな不毛な感情にはピリオドを打って、自分から離れていかなければならないと分かっているのに、そうすることはどうしたって出来そうにない。
 だから、もう諦めた。お伽話の中にあるような永遠の愛とか、ありきたりな幸せとか、夢とか希望とかそういう類のものすべてを。私は、自ら不幸になる道を進むのだ。

「私をあなたの秘書として新しく雇ってください」

 絞り出した声は思いがけず決意がにじんでいた。
 パリストンがわずかに眉をひそめる。その顔に侮蔑と憐れみの表情がじわじわと水煙のように拡がって、最後は嘲笑一色に変わった。

「これは驚いたなぁ! あれだけこっぴどく振られたのにまだ諦めてなかったんですか! いやぁナマエさんも酔狂ですねぇ……それとも、僕が気まぐれに構っていたのを気があると勘違いしちゃいましたか? だったら悪いことをしたなぁ」

 こいつの目に、私の姿はさぞ哀れで気の毒な女として映っていることだろう。好きなだけ罵ればいい。この場を去られなかっただけでも御の字だ。

「もう一度言ってあげないと分かりませんかね? 僕が貴女のことをどう思っているか」
「結構です。あなたが私を道端の小石程度にしか思っていないことは重々承知してます。今さら好かれようとも思っていません。それに……」

 言葉を切って、パリストンを見据える。ポーカーフェイスは得意だ。私の怯えも緊張も顔には出ていないはず。

「あなたのとっておきになってしまったら、か弱い私は簡単に壊されてしまいますから」

 パリストンは一瞬押し黙った。笑みを引っ込ませ、探るような目線を向けてくる。
 お得意の口上が再開される前に続けた。

「あなたには何も望みません。ただそばに置いていただければ結構です。あなたに壊されることなく傍に居続けられれば、私の勝ちですから」

 長期戦は得意なんですよ、と笑ってみせる。
 ――こんなものは虚勢だ。ただの戯言にすぎない。
 だが、この男にとってはどうだろうか。くだらないと一蹴されて終わるか、それとも……。

 緊張を悟られないように奥歯を噛みしめて、反応を窺う。
 パリストンは目を丸くさせてまじまじとこちらを見ていた。こいつのこんな顔を見るのは初めてかもしれない。少しだけ胸がスッとした。

「はっ」

 乾いた笑い声が耳を打つ。くくく、と押し殺した笑いが、やがて耳障りな大爆笑に変わる。

「あー、おかしい……久しぶりにこんなに笑いました。ナマエさんって、本物の馬鹿だったんですね!」
「……」

 自分でもそう思うけど、こいつに言われると無性に腹が立つ。
 嫌がる面を拝んでやりたかったのに、パリストンはひどく愉しげだった。すべてこの男の掌の上にあるようで嫌になる。

「いいですねぇ……貴女みたいな物好きな人は嫌いじゃないですよ」

 ニヤニヤと笑いながら顔を覗き込まれる。鼻先が触れそうな距離で見下ろされ、知らず身が震えた。
 いつのまにか壁際まで追い詰められている。彼の影が、私の上に落ちてくる。恐怖を隠して睨み上げた。

「分かりました。貴女の要求を受け入れます。僕の秘書として雇いましょう」
「……ありがとうございます」

 射るような視線が私を突き刺した。何よりも深い闇に覗き込まれている気分になる。パリストンの目がしっかりと自分に向いていることに、恐怖とも歓喜ともつかぬ戦慄が通り抜ける。
 光が見えたのではなかった。希望がわいたのでもなかった。幸福の兆しなど何一つ見えてこないというのに、私はたしかに救いを見出していた。
 
「すごいなぁ、愛というものはこうも人を狂わせるんですね!」

 嬉々としてパリストンが言う。その声には高揚が秘められている。退屈せずに済むと喜んでいる。

「少しだけ貴女に興味がわきました。道端の小石から格上げですよ!」
「いえ、結構です」
「つれないなぁ。やっと僕もその気になったんですから喜んでくださいよ」
「あなたに気に入られたら終わりですから。私はまだ死にたくありません」
「それはどうですかね。この先の道は険しいですよ? 僕が壊さなくても、勝手に死んじゃうんじゃないですかね〜」

 パリストンが歌うような調子で告げる。
 そんなことは百も承知だ。この男のそばにいて犠牲を伴わないはずがない。

「何があろうとしぶとく生き延びてやります。私はあなたの秘書ですから」
「……ふふ。期待してますよ、ナマエさん」

 彼は嬉しげに唇を綻ばせ、手を差し伸べた。この手が私を死地へと追いやるのだろう。
 たとえどんなに凄惨な最期を迎えたとしても、後悔はしない。それが私の選んだ道なのだから。


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