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欲しがらないよきみだけは 3


 あの日の出来事は私に限りない痛手と恥辱を与え、自尊心を粉々にした。
 後にも先にもあれほど自分の行いを悔いたことはない。あんな愚かな生き物に成り下がるくらいならもう一生恋愛などしない。尼僧のように生きて死んでいこう。その子供じみたやけくそな開き直りは、私自身をかえって惨めにさせた。自分がそんな風にしかこの種の事態に応じることができないと思い知らされるのは恥ずかしいことだった。
 数え切れない後悔と自己嫌悪に苛まれながらも、それでも私はパリストンの傍を離れなかった。離れたら負けだと思ったから。あれだけこっぴどく振られた時点で惨敗しているのだから勝ち負けもクソもあったものではないが、もはや意地になっていた。
 私はどこまでも愚かだった。そしてその愚かさこそが、あの男にとって絶好の暇潰しの材料になるのだ。



 ――忌々しい記憶を胸の奥に沈み込めて、向かいに座る男を睨みつける。
 パリストンは隙のない動作でグラスを傾け、目が合うとにっこり笑った。その貼り付けた笑顔を見るたびに虫酸が走る。舌打ちしたくなるのを我慢して、目の前の食事に意識を集中させた。
 店内に、会話を邪魔しない程度に小さくオペラが流されている。そこに客たちのささやき声や皿の音、グラスを重ね合わせる音などが混ざる。落ち着いた雰囲気の良い店だと思う。一緒に来る相手が違っていたらきっと純粋に楽しめたことだろう。
 しばらく運ばれてくる料理を黙々と口に運んでいたが、メインの肉料理が運ばれてきたタイミングでそういえば、とパリストンが切り出した。

「最近協会内が騒がしいですねぇ。何やらNGLが自治する区域に隔離指定種が出現したとかで……」
「はぁ」
「あぁ、なんて恐ろしい! 一日でも早い収束を願うばかりですよ! 僕は副会長としてこの混乱に乗じて妙なこと企てる連中が出てこないよう目を光らせないといけませんね!」

 意気揚々と語られる内容に眉をひそめる。呆れた。その妙なことを企てている張本人が何を言っているんだか。
 パリストンはこうしてしばしば自分が不利になるような発言をする。そこに大した意味などない。相手の混乱を誘い、事態が混沌と化すのを望んでいるのだろう。
 悪趣味な、と胸中で吐き捨て、ナイフとフォークに手を伸ばした。

「副会長も大変ですね。まぁ精々頑張ってください」
「おや、随分と他人事のように言うんですね」
「末端の私が気にするようなことではありませんから」

 素っ気なく返して、皿の上の肉を切り分けることに集中するフリをする。視界の端でパリストンが口角を持ち上げるのが分かった。

「あぁ貴女はそういう人でしたね! ではそんなクールなナマエさんはいったい何に興味があるんですか? ぜひとも僕に教えてほしいなぁ……」

 白々しくそう言って、パリストンは目を輝かせる。まるでわくわくする楽しい芝居を客席から眺めてでもいるかのように。

(このクズ野郎が)

 思わず罵り声をあげたくなるのを堪えて、一口大にカットした肉を口の中に押し込んだ。

 ――あの悪手としか言いようがない告白をしてから暫くの間、私はパリストンから無視され続けた。しかしどこで気が変わったのか、こうして時折ちょっかいを出されるようになった。
 だが本質は無関心であることに変わりはない。例えるならば、道端の雑草と同じ。気まぐれに手を伸ばしてつつき回しては、気分次第で踏みつける。こいつにとって私はただの暇つぶしの道具に過ぎない。
 今日この店に呼ばれたのも悪趣味な戯れの一環だろう。私に屈辱を与えるために無駄な時間を費やして一体何が楽しいのか。パリストンのこういう性格には反吐が出る。こんなひどい男に愛されたいと思っていたかつての自分にも。

 咀嚼していた肉を飲み込んで、ワインを口にする。舌の上を転がる酸味も苦味も、鼻に抜ける香りも、今の私には少しも楽しめそうにない。

「副会長の方こそどうなんですか? 最近はいつになく暇を持て余していらっしゃるみたいですけど。もっと暇潰しの相手を増やされたらいかがですか」

 問いかけを無視して、刺々しく切り返す。パリストンはぱちぱちと瞬きを繰り返すと破顔した。

「さすがナマエさんは僕のことをよく分かってるなぁ! ですがご心配には及びません。もう準備は整っています。今は機が熟すのを待っているんですよ」
 
 騒乱の勃発を思わせる不穏な眼差しに、ぞくりと背筋に悪寒が走る。私は恐れを胸の底に押し込めて「そうですか」と端的に返した。

「ああ、楽しみだなぁ……」

 そう言いながら、パリストンは手にしたワイングラスの中を覗き込んだ。泥沼のように淀んだ瞳がまるで愛しいものを見る目に変わる。

 パリストンがいったい何を企んでいるのか、詳しいことは分からない。知りたいとも思わない。それは彼のとっておきのために用意された舞台であり、私には関係のない話だ。私には私のやるべきことがある。

 視線を伏せて、ワインが注がれた優美なグラスを見つめる。
 ――こんなものは狂気だ。ヒステリックに騒ぎ立てるほうがよほど健全と言える。
 私が選ぶ道に救いなど存在しない。待ち受けているのはぽっかりと口を開けた穴倉だけである。分かっていながらも引き返す気はないのだから、やっぱり私は救いようのない馬鹿なんだろう。


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