銀色の発熱
かつて、ともに旅をしていた少年がいた。
有名な暗殺一家の後継者だという彼は、出会った頃はそれはもう生意気で、まるで人を寄せ付けない気ままな猫のようだった。しかし次第に素直じゃない言葉の奥に隠れた繊細さが垣間見えるようになって、気づけば放っておけない存在になっていた。気まぐれなところも、大人びているようですぐムキになるところも、実は心優しいところも可愛くてしかたがなくて。その頃の彼は間違いなく子供だったから、遠慮なく思いの丈をぶつけてはキレられるのが常だった。
かわいい年下の男の子。数年前にそれぞれ違う道を歩み始めて以来、彼への印象はそれで止まったままだった。
――だから、ひさびさに再会した彼の変貌ぶりには、心臓が飛び出るくらい驚かされた。
平日の真っ昼間。ヨークシンシティ内の某カフェ。賑わう店内に足を踏み入れ、ほどなくして見つけた銀髪に視線を奪われた。
『PM1時、セントラルホテル向かいのカフェで。遅れんなよ。』
数時間前にやりとりしたメールの内容を思い出す。何度も確認したそれをもう一度目視して、入念にあたりを見回した。うん、やっぱり間違ってない。
「おっせーよ、ナマエ」
入り口で立ち尽くしていると、ソファ席に腰掛けていた青年が近づいてきた。悪戯っぽく細められた瞳に呆然と見上げる私が映っている。
「き、キルア……?」
「久しぶり」
開いた口が塞がらないってまさにこのことを言うんだろう。数年ぶりの再会だ。そりゃあ、多少は成長しているとは思っていたけれど……。
「ほんとにキルアなんだよね…?」
「はぁー?お前しばらく会わないうちにボケたのかよ」
あ、この減らず口はキルアだ。少しだけ緊張が解れる。
「キルア、すごく大人っぽくなったね」
「まーな。そういうお前は全然変わんねーのな」
「……それ、褒めてないよね?」
軽口を叩きながら悪戯っぽく笑われる。その笑顔は昔のままだったけれど、纏う雰囲気は格段に大人びていた。声も、記憶していたものより低くなっていて、なんとも落ち着かない気持ちになる。
(びっくりした〜〜……)
平静を装いつつ向かいのソファ席に腰掛ける。しかし内心はまったく動揺が抜け切れていなかった。相手はあのキルアなのに、らしくもなく緊張してしまう。対するキルアはというと、澄ました顔でコーヒーを飲んでいた。カップに口を付ける仕草が様になっている、とても。昔はオレンジジュースとかコーラの方が似合ってたのに。
「ナマエさ、いつまでこっちいんの?」
自分の注文を済ませたところでキルアから話を振られた。心のうちで一拍置いてから口を開く。
「んー決めてないけど、しばらくはいるつもりだよ。キルアは?」
「こっちも未定。まあアルカが飽きるまではしばらく滞在するつもり」
「そっか。…あれ、今日はアルカちゃんは?」
「ホテルで留守番」
「えー!だったら一緒に来ればよかったのに!」
「なんだよ、オレだけじゃ不満かよ」
拗ねたように口を尖らせる仕草は昔のままで思わず安堵の笑みがもれた。よかった。見た目が変わっても、中身は私がよく知ってるキルアのままだ。
「お待たせいたしました、アイスコーヒーです」
グラスがテーブルに置かれる。運んできた女性の店員があからさまにキルアの顔を注視しているのがわかった。少し離れてから、上擦った声で何かしら騒いでいるのが耳に入る。不躾だが無理もないとは思う。
コーヒーを啜りながら、改めてキルアを観察する。白くて柔らかそうだった頬は(よくつついてはキレられていた)シャープな輪郭に変わっている。先ほど目を奪われたふわふわの銀髪は襟足が刈り込まれ、猫みたいにくりくりとしていた瞳は切れ長で涼やかな目元に変貌を遂げていた。けぶるような睫毛に縁どられたその紺碧の瞳に映り込みたいと願う女性がどれだけいることだろう。記憶の中にあるキルアと、目の前の彼との相違点を一つずつ確認して、ほうっと息をもらす。なんというか、本当に……。
「キルア、綺麗になったねえ」
おっと、思わず心の声がもれてしまった。まあでも褒め言葉だからいいだろう。なんとなく照れ臭くてうつむいてしまう。
すると前方から思いっきり舌を打つ音が聞こえて、ぎくりと身体が跳ねた。
「またそれかよ」
びっくりした。あまりにも低い声だったから。そろそろと視線を上げると、そこには全身に怒りのオーラを激らせたキルアがいた。髪と同じ色の綺麗な柳眉は盛大に顰められ、冷ややかな目でこちらを睨んでいる。うわ〜殺気の方もご健在で……なんて悠長なことを言ってられない状況なのは流石の私でも分かる。どうやら、キルアの地雷を踏んでしまったらしい。
「えーと……私的には心からの褒め言葉だったんだけど」
「は?お前それ本気で言ってんの?」
空気がビリビリと震える。まずい、ミスった。取り繕うつもりが完全に火に油だ。昔から揶揄いすぎてキレられるのはよくあったけど、成長したキルアの迫力は尋常じゃなかった。とっさに逃げ出したい衝動に駆られるが、あまりの気迫に身が竦んでしまい動けそうにない。
「今まで散々ガキ扱いしといて今度は女扱いか。ほんと懲りねーな」
「いや別に女扱いしてるわけじゃ…」
「黙れよ」
「だ……っ」
あまりの言い様にさすがに言い返そうとしたが、次の瞬間には固まって何を言えなくなった。
「き、るあ」
骨ばった手にすっぽりと包まれた己の手と、キルアの顔を交互に見る。キルアが目を眇める。それは獲物に狙いを定める時の獰猛さを孕んでいて。
「あの頃とは違うってこと、今すぐ証明してやってもいいんだぜ」
低く囁く声が鼓膜を震わせ、悪寒に似た何かが背筋に走った。
――その時になってようやく、自分が大きな勘違いをしていたことに気が付いた。目の前に座っているのはあの頃の生意気な少年じゃない。もう、立派なひとりの男なのだ。
「わっ!」
ぐん、と思わぬ力で腕を引かれる。ぐらり、前傾し、気付けばキルアの整った顔面がドアップに迫っていた。細められたまなざしの甘さと、口元に浮かぶどこか獰猛な笑みのアンバランスさに心臓を鷲掴みにされたかのような心地になる。ふいに脳裏に過ぎったのは、捕食される草食動物の姿だった。ああ、そういえば、猫も肉食動物なんだっけ――。
「…………ぶっ」
唇がぶつかる寸前のところで、空気の漏れる気の抜けた音が聞こえた。
「ぶっは!だっせー顔!」
はじけたように笑い出したキルアをぽかんとして見る。よっぽどおかしかったのか、ソファの上で身を捩りながら爆笑している。
――からかわれた。そう理解した瞬間、恥ずかしさのあまり全身がかっと熱くなった。
「なっ、なっななな…!!」
「キスされると思ったろ」
「…っ!さっ、最低!」
血液が首から上に集中してくるのを憶える。キルアの指摘はまさしくその通りで、子供っぽいののしりを返すのが精一杯だった。
「今までの仕返しだよ、ばーか」
笑いすぎて目の端に浮かんだ涙を拭いながらひどく楽しげにキルアは言った。その意地の悪い顔に、なんともいえない悔しさがこみあげる。昔だったら襟首を捕まえて生意気な口を黙らせるくらいしてたのに、そんなこともう到底できそうにない。
「つーか、こんな人目のあるところでするわけねーだろ」
……それはつまり、人目がないところだったらしていたということ?そう聞き返せる余裕なんてあるわけもなく、そわそわと視線をさまよわせる。その先に、銀糸の隙間からのぞく赤く色づいた耳が目に止まって、よけいにドキドキがおさまらなくなった。