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忠義の牢


 ギーギーと蝶番が軋む音を耳で拾って、フェイタンは舌を打った。近づく気配が一つ。建て付けの悪い扉を押したであろう人物は、いくぶんためらう様子を見せながらフェイタンのそばに腰を下ろした。

「ごはんです」

 か細い女の声。フェイタンが反応を示さずにいると、今度はカチャカチャと食器が触れ合う音が響いた。

「あっ」

 がち、と歯に硬いものが当たる。同時に、熱を持った液体がフェイタンの頬に降りかかった。

「ごめんなさい」

 乾いた布で口元を拭われる。フェイタンは女の行為を黙って受け入れていた。いや、受け入れるほかなかった。両手と両足を拘束されている状態では、逃げることも抵抗することも適わない。

「口、あけてください」

 従うのは癪だが顔にこぼされるのも不快で渋々口をあけると、すかさずスプーンを突っ込まれた。

「美味しいですか?」

 軽忽な問いかけに虫酸が走る。思わず声がした方向を睨みつけたが、あいにくとフェイタンの目元は分厚い布で覆われてしまっている。
 声しか知らない女に殺意を滾らせたまま、フェイタンは与えられる食事を飲み込んだ。


 ――ことの始まりは数日前。フェイタンが目を覚ました時にはすでに今の状況が出来上がっていた。
 視界は暗闇に包まれ、両手両足は頑強な拘束具を嵌められていてビクともしない。さらに具合の悪いことに念能力も封じられているようだった。眠りにつく前の記憶を辿ってみるが今の状況に結びつく覚えは一つもない。つまり、フェイタンを拘束した犯人はその存在を気取られることなく実行したことになる。かなりの相手であることは間違いないだろう。
 薄っぺらいカーペットらしきものが敷かれた硬い床の上で寝かされたままどれくらい経っただろうか。実際は目覚めてから一時間も経たないくらいであったが、気の短いフェイタンにとっては途方もなく長い時間だった。今にも爆発せんばかりに苛立ちが膨れ上がったころ、ようやく相手が姿を現した。

「起きました?」

 降ってきた声は、予想外に高い。まるで少女のような声だった。

「お前の仕業か」
「はい」

 力のない応えに、フェイタンの額に青筋が立った。こんな弱そうな女に不覚をとったのかと屈辱に襲われる。しかし、すぐに頭は冷えた。念も封じられている状況では怒りを滾らせたところで何の意味もない。感情をおさえ、フェイタンは口を開いた。

「何が目的か」
「…………復讐、です」

 長い沈黙の後、ポツリ、とこぼされたその言葉は、フェイタンにとってあまりにも陳腐なもので思わず嘲りの笑いがもれていた。

「はは、ありがちね。ワタシに親でも殺されたか」

 挑発めいた言葉にも女は沈黙を返すだけだった。てっきり逆上してくるかと思っていたのに肩透かしを食らった気分だ。
 女は何も語ることなく、フェイタンの傍らに立っていた。何をしようというのか。全神経を集中させて女の行動を待つ。しかし、女は何もしなかった。じっとフェイタンを見下ろしているだけ。その不可解な時間をフェイタンは薄気味悪く感じた。
 
「…………あの、」

 ようやく長い沈黙が破られる。しかし次に飛び出してきた台詞は、フェイタンの予想を大いに裏切るものだった。

「何か食べたいものとかありますか?」



 その発言を皮切りに、女は規則的に食事と水を運んでくるようになった。毒が仕込まれているわけでもない何の変哲もないそれをおぼつかない手つきで与える。食事が終わると、女は決まって鞭でフェイタンの体を打った。だが長くは続かない。やがて両腕をだらりと垂れさせ、途方に暮れたように立ち尽くすのが常だった。
 児戯にも等しい折檻。あまりにも生温いその行為に、とうとうフェイタンは痺れを切らした。

「こんなごっこ遊びして楽しいか?」
「楽しくないです」 

 女が簡素に答える。そこで会話が終わるかと思いきや、珍しく女が言葉を続けた。

「あなたは拷問が得意なんですよね」

 ハッ、とフェイタンは鼻で笑った。まともに取り合う気はなかった。だったら聞き流せばよかったのに、女の言葉は無性に神経を逆撫でして、無視できなかった。

「こんな生ぬるいやり方しないね」
「どうやるんですか?」

 そう問いかける女の声は、ひどく無機質だった。それがさらに苛立ちをあおった。
 閉ざされた視界の中で、声しか知らない女を手酷く痛めつけるさまを思い浮かべながら口を開く。

「まずは指ね」

 手の爪を一本ずつ剥ぎ取り、その爪痕に針を突き刺す。次は足だ。拷問器具で締め上げた両足を、炎を上げて燃えている鉄で打つ。熱した鉄の棒でさんざん強打した両足は、砕かれてこれ以上はないというくらい小さくなり、骨と肉は潰れて血と髄が迸り出て、永久に使い物にならなくなる。そして次は――。
 はじめは黙って聞いていた女だったが、やがて聞くに堪えなくなったのか、滔々と語るフェイタンを遮った。

「どうしてそんな酷いことをするんですか?」

 フェイタンの答えを待つことなく女は矢継ぎ早に問いかけた。

「罰するため?それとも従わせるため?何の意味があってそんなことをするんですか」
 
 声を震わせ、なにかに駆り立てられるように言葉を継ぐ。それは女が初めて見せる動揺だった。先ほど語った内容に恐れをなしたのか、どちらにせよフェイタンにとってはひどくつまらない反応だ。

「意味なんて考えたことないね」

 女が息をのむ。

「したいからする、それだけよ」
「そんな好き勝手して許されるんですか」
「誰の許しを乞う必要があるか?」
「人を痛めつけて罪悪感は感じないんですか」
「は、愚問ね」

 一瞬、沈黙がおりる。やがて抑揚のない声がポツリと落ちてきた。

「あなたは、酷い人なんですね」

 嘆息とともに吐き出された言葉を最後に、女の気配が遠ざかる。

 ――なんなんだ、この女は。
 フェイタンは、これまで己に立ち向かっていた復讐者たちの姿を思い出していた。誰もが怒りの炎を燃やし、殺意をたぎらせていた。それがどうだ、この女の熱のなさは。女からは殺意を微塵も感じない。隠しているというよりも元々存在しないかのように。
 仇であるフェイタンを『酷い人』で片付ける女に、強い違和感を覚えた。



「お前、何が目的か」

 何度目かの食事をすませたあと、フェイタンは初日にした質問をもう一度繰り返した。女の答えは変わらない。機械的に「復讐です」と返すのみだった。

「なら、ワタシが憎いか?」
「……」

 復讐者に対してこれほど愚かな問いはないだろう。しかし、女は答えなかった。わずかな動揺を滲ませながら黙する女をフェイタンが嘲笑う。

「親の仇が憎くないか。お前なかなか見込みあるよ」
「……ちがう」
「あ?」
「親じゃない。あなたが殺したのは私を買ったご主人様です」

 そもそも親なんて最初からいないです、と女は続けた。わずかにうろたえているような、怒っているような、どうともとれる口調だった。

「お前、奴隷だたか」
「そうです」

 女は静かに語りはじめた。己の境遇、自分を買った主人のこと、遂行してきた命令の数々――。フェイタンにとっては至極どうでもいい話だったが、遮ることなく耳を傾けた。

「ご主人様が死に際に私に命令したんです。仇を取れと」
「だからワタシを閉じ込めたか?」
「はい」

 ようやく女のちぐはぐな言動に合点がいく。この女は自らの意思で動いていない。亡き主人の命令に従っているだけの哀れな操り人形に過ぎなかったのだ。
 フェイタンは女を嫌悪した。そして、こんな女に捕らえられているという事実により一層憤りを覚えた。愚鈍な女はそれに気付くことなくさらに地雷を踏み抜いていく。

「でも、ご主人様からは仇をとれと言われただけで具体的に何をしろと命じられませんでした。だから、閉じ込めた後に何をしたらいいか分からなくて……とりあえずあなたがいつもしていることを仕返すのがいいと思ったんですけど、やっぱり上手くいかないですね」

 その発言はフェイタンの逆鱗に大いに触れるものだった。
 この女、絶対に殺す。フェイタンの決意がより強固なものとなる。

「誰かに従うことでしか生きられないか。犬以下ね、オマエ」
「そうですね。ご主人様にもよく言われていました」

 女の声に自嘲の響きはない。フェイタンの言葉を至極当然のものとして受け入れていた。女はその生き方しか知らない。支配されることに慣れ切った哀れな奴隷だ。しかし、女の奴隷気質はフェイタンにとって僥倖であった。

「オマエ、名は?」
「ナマエです」

 問われると女はすんなりと答える。ようやく見つけた取っ掛かりにフェイタンは愉悦の笑みをもらした。この女は、謂わば首輪を失った獣だ。手懐けるためには、今一度首輪を付けてやればいい。

「ナマエ」

 屈服させることに慣れたその声が、ナマエの鼓膜を打つ。

「よく聞くね。お前の主人は死んだ。今までのお前も死んだと思え」
「え………」
「ワタシがお前のクソみたいな命に意味を与えてやる」

 フェイタンは一拍間を置いてから宣言した。

「今からワタシがお前のご主人サマよ」

 その時、確かにナマエの体に電撃が走った。

「外せ」

 フェイタンの鋭い声にナマエはハッと息をのむ。そして命令に従って手足の拘束具を外していった。ようやく自由になった手でフェイタンは目隠しを剥ぎ取る。まず、目に入ったのはコンクリートで塗り固めた壁面だった。あたりを見回すが窓はどこにも見当たらない。まさに監禁には誂え向きの空間と言えた。

 フェイタンは足元でうずくまる女を見下ろした。女の姿は想像よりもずっと貧相で、そして全身が傷跡だらけだった。特に手首の傷跡が目立つ。昨日今日で出来たものではなく、年季の入った傷であることは一目見てわかった。しかし、何よりフェイタンの目を引いたのは女の瞳だった。硝子玉のように透き通った瞳。その眼差しは新たな主人への希望と渇望に満ちていた。
 いつのまにかフェイタンの中で渦巻いていた殺意は鎮まっていた。女の姿に同情したわけではない。ただ単に興味がわいたのだ。希望の光を宿した瞳がこの先どう変わっていくか。殺すのはそれを見届けてからでも遅くない。
 女は地べたに這い蹲って、フェイタンのブーツにくちづけた。つくづく頭のイカれた女だとフェイタンは笑う。しかし、存外悪くない心地だった。つま先を上げて、女の顎を持ちあげる。

「ワタシがお前を完璧な犬にしてやる」
「……はい」

 ナマエの声が歓喜に震え、熱狂に捉われる。恍惚に満ちたその顔が苦痛に歪む様を想像すると高揚感がフェイタンの胸に湧き上がった。
 それは、身の毛もよだつような愛の幕開けを意味していた。


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