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ふゆごもり 2


 夢の中で、私はひたすら穴を掘っていた。手には特殊な文様が彫られた木製のシャベルが握られている。それは死者を埋葬するための神聖な道具だった。触れることはきつく禁じられていたが、咎める者はもう誰もいない。すぐ近くで同じように土を掘り返す音が聞こえてくる。踏みしめた地面の延長にクラピカがいることを知っている。
 ――あぁ、これは過去の記憶だ。一族が襲撃された直後の。大量の血を吸った黒い土を眺めながらぼんやりと思った。
 どれくらいそうしていただろうか。気づけば地面は穴ぼこだらけになっていた。二人がかりで亡骸を運んで、掘った穴に埋めていく。今でもはっきりと覚えている。事切れた人間のずっしりと重い体躯を。むせ返る血の匂いを。暗く窪んだ眼窩が訴える声なき叫びを。
 無数の墓標を前に私たちは身を寄せ合った。吸い込まれそうな濃闇の中で、たったひとつの光を見失わないよう固く手を握り合いながら。

「必ずこの手で葬ってやる」

 赤い目が激しい怒りをたたえて、燃え立つように輝いている。その炎を瞳に映しながら、私は胸の内でひっそりと誓いを立てた。この先、たとえ何があっても彼のそばにいる。復讐を誓うクラピカの横で、確かにそう誓ったんだ。



 二日目の朝。まだ早朝といえる時間帯に寝室の扉を叩いた。

「おはよう」

 少し経ってから、寝起き姿のクラピカが顔を出す。不機嫌そうに目を細める仕草は昔のままで思わずほくそ笑んだ。

「朝ごはんできたよ」
「あぁ、分かった……」

 ふと、クラピカがこちらを見た。うかがうような目線は、昨日のことがあったからだろう。私は笑って「早くこないと全部食べちゃうからね」と冗談まじりにいった。どんなに大きな喧嘩をしても次の日には何事もなかったように笑いあって仲直りをする。そんな幼いころの決まりごとを思い出して、またひとつ笑みがこぼれた。
 
 朝食を済ませたあと、庭でも散歩してみない?と提案してみる。クラピカは初日に転びかけたことを気にしているのか難色を示したが、強引に言いくるめて庭へと連れ出した。

「さっむ!」

 冷えた空気に身震いして、握った手に思わず力がこもる。そこで隣から不平の声が上がった。

「手を引かれなくても自分で歩ける」
「そんなこと言ってまた転んだらどうするの」
「転んではいない。躓いただけだ」
「はいはい、わかったから」

 抗議の目線は華麗にスルーしておく。屋敷の庭はお世辞にも見応えがあるものではなかったけれど、そんなのどうだっていい。ただクラピカとなんでもないことをしたかっただけなんだ。
 クラピカはいつものスーツではなく一族の衣装を身にまとっていた。首周りや裾周辺に刺繍が入った簡易的な装い。こっちの方が楽だろうといくつか持ってきたうちのひとつだ。

「その格好、久しぶりに見るね」
「ナマエも着ているのか?」
「え? まぁ……うん」
「そうか」

 言うつもりはなかったのに、思いがけず暴かれてきまりが悪くなる。子供じみていると笑われるかと思ったのにクラピカは笑わなかった。その代わり、ひどく真剣な眼差しを向けてきた。

「ナマエ、昨日はすまなかった」
「またその話? もういいってば」
「それでは私の気が済まない」

 手を引かれると、頬にあたたかいものがふれた。それがクラピカの手のひらと分かってぎょっとする。

「泣かせるつもりはなかった」
「なっ……泣いてない!」
「そうなのか?」

 ふっと綻んだ表情に、胸が激しく動悸を打つ。その手がまるで宝物にふれるみたいで、たまらない気持ちになった。自分から手を繋いだ時はなんともなかったのに、どうしてこんなに。

「私はナマエのことを大切に思っている」

 ふいに泣きたい衝動に駆られた。その言葉は、ずっと願ってやまないものだった。涙がぐっと込み上げて声を詰まらせる。それでも、切れ切れになりながら心のうちを差し出した。

「私だって、同じ気持ちだよ」
「……そうか」

 クラピカが淡く微笑む。どこか寂しげに見えるその笑みにどうしようもない隔たりをおぼえてしまう。私たちはもう子供じゃない。言葉を交わさずとも分かり合えていたあの頃にはもう戻れない。そんなあたりまえのことが、ただ無性に悲しかった。



 屋敷に滞在して五日目。庭先でのやりとりをきっかけにクラピカの態度はおだやかになった。といってもすこし会話が増えたぐらいだけど。それでもここにきたばかりの頃と比べたら雲泥の差だ。
 ここ数日で、目の方も順調に回復へと向かっている。前例があるとはいえやっぱり心配だったからほっと胸を撫でおろした。

「ねぇクラピカ」

 ソファに腰かけたクラピカに声をかける。夕食をすませ、お茶を飲みながらのんびりしていた時だった。クラピカはまるで猫みたいに首を伸ばしてこちらを見た。

「今どれくらい見えてるの?」
「ぼやけてはいるが物体の輪郭は分かるようになってきた」
「そっか。あとちょっとだね」
「ああ」
「この生活もそろそろ終わりかぁ」

 できるだけ平坦な口調を心がける。名残惜しいと思う気持ちが滲まないように。すると、クラピカがぽつりと呟いた。

「少し、惜しくもあるな」

 その一言は、とてつもない衝撃をともなって私の中に落とされた。うれしい。素直にそう思う。でも、それを素直に伝えられるかどうかはまた別の話。自然とゆるむ頬をごまかすため、にんまりと口の端をもちあげた。

「なんかさ、ここ数日の私たちってまるで夫婦みたいじゃなかった?」

 夫婦って言っても隠居した老夫婦だけど。冗談めかしてそう続ける。クラピカも同じ調子で返してくると思った。「何を言ってるんだナマエ」って呆れながら。
 しかし、予想に反してクラピカは黙り込んでしまった。

「クラピカ……?」

 なんだか空気が重くなっていくのを感じておそるおそる声をかける。その瞬間、クラピカの瞳がぎらりと光を放った。

「軽率な発言は控えろと言ったはずだ」
「へ……?」

 氷点下の声色にヒヤリとする。まずい。これは確実に地雷を踏んだ。やっと普通に接してくれるようになったのに!
 焦った私は、次の発言でさらなる墓穴を掘ることになる。

「ごめん! 気持ち悪かったよね」
「……なんだと?」

 クラピカは細めた目でゆらりと私を見た。恐ろしい予感が胸をせまる。

「どういう意味だ?」
「えっと……」
「答えろ」
「その、姉弟みたいなものなのに夫婦とか言ったから気分を害したのかなー、と……」

 言い終わらないうちに深いため息が聞こえてきた。クラピカが片手で顔を覆う。落胆と苛立ちが混じった仕草だった。

「ナマエの中で私はいつまでも弟のままなんだな」

 唯一見える薄い唇が皮肉げに歪められる。

「クラピカ……?」

 ソファから立ち上がると、冷えた目線に射抜かれた。その視線には、一切の干渉を許さない厳しさがあった。

「明日にはここを発つ」
「えっ? そんな急に?」
「もう決めたことだ。異論は認めない」

 そう言い捨てると、よどみない足取りで去っていった。残された私はしばらく呆然として動けなかった。


 
 どのくらいそうしていただろうか。気づけば時刻は夜の十二時を超えていて。時間を忘れるくらい考え込んでしまった。

『ナマエの中で私はいつまでも弟のままなんだな』

 さっき言われた言葉が何度も頭の中でリフレインする。その意味に気付かないほど鈍感ではない。
 ずっと、軽蔑されたのだと思っていた。復讐が第一ではない私の気持ちを見抜かれて、同胞として見限られたのだと。でも、おそらくそれは正しい答えではない。
 クラピカの想いに気づいて、心の中のどこかが大きく動いた。それは覚えのある動きだった。幼い頃からずっと胸の内にあったその感情に、ようやく名前がつけられそうだ。


 居ても立ってもいられず部屋を飛び出した。階段を駆け上り、寝室の扉の前に立って大きく息を吸う。胸を高鳴らせて、部屋の戸を叩いた。

「クラピカ、起きてる?」

 もう一度、叩く。しばらくたっても反応がないから今度は拳で叩きつけた。すると、ようやく開いた扉の隙間からおそろしい形相のクラピカが顔を出した。いつのまにか見慣れたスーツに着替えている。

「何の用だ」
「クラピカと話がしたくて」
「話すことはない」
「私にはあるんだよ」

 舌を打つ音が響く。凄む目線の迫力にひるみそうになるが、ぐっとこらえた。

「ナマエは何も分かっていない。いま私の部屋を訪れるのがどういう意味か」
「ちゃんと分かってるよ」
「適当なことを言うな」
「適当じゃない。言ったよね? 私もクラピカと同じ気持ちだって」

 ふたたび舌打ちが聞こえたかと思うと、ものすごい力で部屋に引きずり込まれた。

「うわっ!」

 抵抗する間もなくベッドの上に突き飛ばされる。起き上がろうとしたが、のしかかってきたクラピカに腕をとられ身動きが取れなくなった。

「私がナマエをどうしてやりたいか知っても、同じように言えるのか?」

 こちらを見下ろすクラピカの顔が泣きそうにゆがめられる。こんな顔をさせているのが自分だと思うと悔しくてたまらなかった。金糸がかぶさる頬に手を伸ばす。しかし、触れる直前でその手ははたき落とされた。

「いい加減にしろ。もうたくさんだ」

 言葉を叩きつけて、私を突き放す。どうしたらクラピカに伝わるんだろう。言いたいことはたくさんあるのに、ありすぎて何から伝えていいか分からない。だから、行動で示すことにした。
 勇気を振り絞って、頭を持ち上げる。心臓の動きが早くなっていくのを感じながら、薄く開かれた唇に一瞬だけふれた。

「は……?」

 クラピカがみごとに固まっている。おそらく私の顔は真っ赤になっていることだろう。いたたまれない。でも、これだけはちゃんと伝えないと。

「こういう意味だってちゃんと分かってるよ」
「…………」
「え、違った……?」

 難しい数式でも考えるような顔で見下ろしてくるから不安になる。数秒の沈黙の末、ようやくフリーズから解かれたクラピカが口を開いた。

「いいや、やはりナマエは分かっていない」

 ぐっと顔を寄せられる。思いつめているというか、妙に据わった目がおそろしい。

「こんな状況でそんなことをしたらどうなるか、なぜ分からないんだ?」

 鬼気迫る勢いに息を呑む。途端に、いま自分が置かれている状況を意識してしまって今更ながら焦りはじめた。

「……そんな顔をするくらいなら不用意に男を煽るな」

 そんな顔って、いったいどんな顔をしていたんだろう。クラピカはすこしだけ視線の圧を和らげてくれた。ほっとすると同時に、とある疑念が湧き立つ。……ちょっと待て。どうして私の表情がわかるんだ?

「クラピカ、もしかしてもう見えてる?」

 そう言ったら、クラピカはひるむように僅かに身を引いた。さっと視線が逸らされる。その反応で疑念は確信に変わった。信じられない気持ちで見上げる。動揺を見せたのは一瞬で、クラピカは視線を戻すと毅然とした口調で言い放った。

「見えているが、それがなんだ」

 とんだ開き直りだ。いや、治ってくれて何よりだけど。まさかクラピカが嘘をついていたなんて。その意味を考えると、胸の内をくすぐられるような何ともいえない気持ちになった。
 あっけにとられているうちにクラピカが体をどかす。さっきまでの勢いは何処へやら、一つ咳払いをするといつもの取り澄ました顔に戻っていた。

「ナマエのことだ、どうせ勢いだけで行動しているんだろう。思い切りがいいのは結構だが後先考えないのは褒められたことじゃないな」

 いきなり始まった説教はあからさまに誤魔化すためのもので。クラピカのやつ、都合が悪くなるといつもこれだ。いつもは大体聞き流すんだけど、今回ばかりはそうしたくなかった。くどくど続く説教を右から左に流しながら頭の中で効果的な一言を探す。そうして、名前をつけたばかりの感情をそのまま言葉にした。

「私、クラピカのことが好きだよ」

 言ったそばから顔が赤くなるのがわかる。自分で言って照れてどうするんだ。だけど、クラピカの反応はそれ以上だった。首から上の肌が瞬時に赤く染まるのを目の当たりにする。

「軽率な発言は身を滅ぼすと、何度も忠告したはずだが……」
「クラピカになら何されたっていいよ」
「お前は……っ!」

 赤くなった顔をかっともたげてクラピカが声を荒げる。思わず笑ってしまうと、ジロリと睨みつけられた。それでも湧いてくる笑いをどうすることもできないほど幸福感に満たされていた。

 ずっと見つづけていた彼に知らなかった部分があった。これからも多くの未知が私の眼前に広がるだろう。未知のものを知りたい。それは、広い意味での愛の始まりなのかもしれない。

 

 最終日に迎えた朝は、雲ひとつない晴天だった。五日間滞在した屋敷を振り返り、こっそりと別れを告げる。きっともうここに来ることはないだろう。なんとなくそう思った。

「何してるんだ。早く行くぞ」

 前方を歩くクラピカが振り返る。昨夜のことなんてまるで何もなかったみたいな顔だ。でも、それを寂しいとは思わなかった。向けられる眼差しがしっかり私を捉えていることを分かっているから、もう寂しくない。

「帰りは私が運転しよう」
「えー……」
「何か不満でも?」
「クラピカの運転って危なっかしいんだもん」
「法定速度は守っているだろう」
「そうだけどさ。見ててヒヤヒヤするんだよね」
「……それは下手だと言いたいのか?」

 他愛ない会話をしながら、車までの短い道のりを歩く。空気は冷たいが背中に当たる光はあたたかい。

 
 季節はこれから、春を迎えようとしている。


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