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ふゆごもり


 列車の窓から望む景色はすっかり彩りを失っていた。ひたすらに続く雪面と枯れた木々の群れを横目で眺めながら溜め息をのみこむ。わずかな息遣いにも注意を払うほど車内は静かだった。個室のおかげで乗客の声は聞こえず、線路の上を車輪が滑る音と、たまに列車のドアがスライドして開く音が聞こえる程度。その静寂が、いまは恨めしくてしかなかった。

「目の調子、どう?」
「変わりはない」

 沈黙をやぶるために声をかけるが、そっけない返事でおわる。さっきからこの調子だ。いくら声をかけてもすべて無情に追撃されてしまう。
 いま、私の目の前にはクラピカがいる。クラピカとふたりきり、列車の個室で向かい合わせに座っている。黒のスーツに身を包んだクラピカはまるで居眠りしてるみたいに目を閉ざしていた。いっそ眠ってくれたらいいのに、眉間には深々と縦皺が刻まれたまま。一向に軟化する気配のない態度に気が遠くなりそうだった。

(前はよく笑ってくれてたのにな……)

 遠い昔の記憶に現実逃避しながら、またひとつ溜め息をのみこんだ。

 いま、クラピカは目が見えていない。緋の眼の暴走による一時的な失明状態にあった。同じことが過去にもあったから心配するなとクラピカは私を含む組の幹部に説明した。しかし、その言葉を真に受けてはならないことを近しい人間はよく分かっている。本人の意思を無視してクラピカの療養は強行された。休んでいるあいだ無理を働かないようにと見張り役までつけて。
 その見張り役として白羽の矢が立ったのが、同じクルタ族である私だった。私は以前にも同じ状態になったクラピカを目の当たりにしていた。故郷が襲撃される前のことだ。そのことを話せば、なおのこと私が適任だろうという話になった。
 しかし、クラピカは拒絶した。療養を取らされることよりも、付き添う人間が私になることに。なぜナマエだと駄目なの? センリツが尋ねても、クラピカは陰鬱に押し黙るだけだった。結局その主張は却下され今に至るわけだが、さっきから不機嫌なのはそれが原因だろう。
 クラピカの不機嫌な顔は今まで散々見てきた。幼い頃によくパイロを巻き込んで喧嘩をしていたからだ。だが、それもあくまで遠い昔のはなし。一族が襲撃されてからは、たったひとりの同胞としてお互い身を寄せ合って生きてきた。私にとってクラピカは言葉では言い表せないほど大きな存在だ。クラピカにとってもそうであると、ずっと信じていたけれど……。



 列車を降り、車で移動すること十数分。中心街からはずれた場所に建てられた屋敷は、ノストラード氏が所有する別宅の一つだった。古めかしい二階建ての洋館。庭先の芝生は雪で覆われ、生垣と庭木の低木は枯れている。どことなく廃れた印象を受けるが、数日のあいだ身を隠すには申し分ない場所だろう。

「思ってたより立派な建物だよ。……って、ちょっと!」

 横にいるクラピカに話しかけたつもりだったがすでにその姿はなかった。見当違いの方向にずんずん進んでいく背中を慌てて追いかける。しかし手が届くまであと一歩のところでクラピカが躓いた。

「あっぶな!」

 前方に傾いだ体を支える。が、すぐに振り払われた。クラピカはこちらを見ようともしない。自力でできるから手を出すなってことなんだろう。

「何のために私がいると思ってるの? 少しは頼ってよ」
「必要ない」
「今さっき転びそうになったくせに」
「……」

 小さく舌を打つ音が聞こえてくる。その反応に内心ショックを受けたが、怒りに変えて声を荒げた。

「いいから黙って世話焼かれてろ!」

 クラピカの腕を掴み、引きずるようにして屋敷の中へと入った。壁と天井に豪華な装飾が施された廊下を突き進み、真鍮のドアノブに手をかける。扉を開いてまず目に入ったのは、部屋の中央に鎮座する広々としたソファ。その近くには重硬材でできたテーブルと椅子があって、この部屋がダイニングルームであることが分かった。至る所に飾られた絵画と、アンティークで統べられた家具の数々。ノストラード氏の趣味で集められたものだろう。一時期はこの屋敷も差し押さえられそうになったと聞いていたが、それも納得できるほど贅が尽くされた空間だった。
 毛足の長いカーペットを踏みつけ、大理石の暖炉のそばに置かれた革張りの肘掛け椅子にクラピカを導いた。

「とりあえずここで待ってて。どこに何があるか確認してくるから」
「いや、私ひとりで」
「いいから座って」

 ぴしゃりと言い捨て、二の句を継がれる前にその場を離れる。こっそりふりかえって様子をうかがうと明らかに不満そうな面持ちでジャケットを脱いでいた。その姿を見て、鼻の奥がツンと痛んだ。

 広々としたダイニングを出て、二階へあがる階段をのぼる。手前の部屋に足を踏み入れると、天蓋とカーテン付きの豪奢なベッドがあった。事前にハウスクリーニングを頼んでいたおかげで室内は清潔に保たれている。だが、なんとなく空気がこもっている感じがした。部屋を閉め切っていたせいだろう。換気のために窓を開けると、冷たい空気が流れ込んできた。頬を刺す風は冷たく、険しさを感じるほど刺々しい。まるで、今のクラピカみたいだ。

 いつからだろう。クラピカの態度に変化が訪れたのは。はじめは目が合っても逸らされるくらいの些細なものだったと思う。そこから少しずつ距離ができて、いつのまにかクラピカとの間に見えない壁ができあがっていた。理由は分からない。何度も聞こうとしたけど、冷ややかな態度をとられるたびに心が萎縮していって、踏み込む勇気がなくなってしまった。
 ずっとそばにいて、誰よりも理解していたつもりだった。でも今はこんなにも遠い。それはまるで、ぽつんと世界から取り残されてしまったようだった。

「はぁ………」

 不意に漏れたため息は、冬の空気の中に白く立ち昇って消えていった。



 クラピカに家の構造を伝えると「疲れたから休む」と言い捨て、寝室に引っ込んでしまった。その態度にまた胸が痛んだが、こんなことでいちいち傷ついてる場合じゃないと気を取り直す。

「夕飯でも作るか」

 ダイニングの奥にあるキッチンもこれまた豪華な設備だった。冷蔵庫を開いてみると、あらかじめ頼んでおいた食材が大量におさめられていた。次に戸棚をかたっぱしから開けていく。高価そうなフライパンと、最低限の調味料が見つかった。材料は多いが調味料が少ないから作れるものは限られてくる。頭を捻りながら、何とか三品作り上げた。メインの鶏肉料理と、簡単な副菜と、コンソメスープ。凝ったものではないが、それなりに食べれるものには仕上がってるはず。よし。クラピカを呼びに行こう。

「さすがにご飯は食べてくれるよね……?」

 不安を抱えたまま、おそるおそる階段を上がる。すると、かすかにクラピカの声が聞こえてきた。誰かと電話でもしているのだろうか。あとにした方がいいかとも思ったがもしかしたら隠れて仕事をしているかもしれないと思い直してそのまま足を進めた。扉の前に立つと、なにやらクラピカが声を荒げていることが分かった。いったい何事だろう。反射的にドアノブを掴む。わずかに開いた隙間から、激昂した声が飛び出してきた。

「だから、ナマエ以外の人間をよこせと言っているんだ!」

 それは、例えるならば鋭利な矢だった。クラピカが発した言葉が、心臓の真ん中に深々と突き刺さる。
 クラピカは、はっとしたように後ろを振り返った。振り向いた先に呆然と立ち尽くす私を見て、アーモンド型の瞳がおおきく開かれる。

「………ご飯、できたよ」

かろうじてそう絞り出して、足早に一階へと戻った。


 カチャカチャとフォークが皿にぶつかる音が静かな空間に響く。ナイフで切り分けた鶏肉のソテーを口に運び、ろくに味もわからないそれをひたすら咀嚼して飲み込む。その繰り返し。向かいに座ったクラピカから時折気遣わしげな視線が送られてくるが、知らんぷりして黙々と食べ続けた。

「ナマエ、その、さっきの言葉は……」
「ごちそうさま」

 クラピカの言葉を遮って立ち上がる。まだ料理は残っていたが食器をさげた。今は何も聞きたくない。何も答えたくない。口を開いたらみっともなく泣き出してしまいそうで。

「食器、そのままでいいから。お風呂入れてくるね」

 物言いたげなクラピカを置いて、逃げるようにその場をあとにした。


「ふっ……ひぐっ、うぅ……」

 バスルームについた途端、崩れるようにしてその場にしゃがみこんだ。必死に堪えていた涙がぼろぼろと溢れてくる。分かっていたことだ。クラピカが私のことを嫌がっていることくらい。それでも、傷つく心をどうすることもできない。

「うっ……く」

 やっぱり誰かに役目を代わってもらったほうがいいのだろうか。クラピカの前から姿を消した方が……そんな考えが一瞬だけ頭をよぎるが、すぐに振り払った。胸の奥深く、楔のように突き刺さった想いが首をもたげる。

「そんなの、いやだ」

 もはや意地だった。離れてなんかやるもんか。どんなに嫌がられても、そばに居続けてやる。しばらく膝を抱えたまま、私は決意を新たにした。


 すこし落ち着いてから食堂に戻る。今だけはクラピカの目が見えていなくてよかったと思ってしまう。泣き腫らした目を見られずに済むから。
 机の上の食器は綺麗に片付けられていた。見えていないのに器用なものだ。クラピカは思いつめた顔でソファに腰かけていた。私が戻ってきたことに気づくと、弾かれたように顔を上げた。

「ナマエ、すまなかった」
「いいよ。でも、誰かと代わるつもりなんてないから」

 ぐっとお腹に力を込めて言い放つ。目をみはるクラピカにさらにたたみかけた。

「いくら私のことが嫌でも我慢してよ」
「違う。そういうことじゃない」

 その言葉に、かっと頭に血がのぼる。そういうことじゃないなら一体なんなんだ。今までの態度も、さっきの発言も、どういう意味があるっていうんだ!

「じゃあ、そばにいていいよね」
「それは……」
「答えなくていい。私も好きにさせてもらうから」

 クラピカの腕をがしっと掴む。そのままぐいぐい引っぱって、部屋から連れ出した。

「どこに連れていく気だ?」
「お風呂」
「は?」
「見えてないのに入浴なんて危ないでしょ。背中流してあげるって言ってるの」
「なっ……!何を言ってるんだお前は!」

 珍しく取り乱したような声が上がると同時に、腕を振り払われる。

「昔は一緒にお風呂入ってたじゃん」
「一体いつの話をしているんだ!」
「うっさいな、ワガママばっかり言う人の話は聞きません」

 ふたたび腕をひくがクラピカはびくともしなかった。心なしか赤くなった顔で睨まれる。だが、こちらも折れるつもりはない。

 しばらく睨み合いを続けたあとで、先に折れたのはクラピカだった。

「……わかった。もう代わりをよこせとは言わない。だから、頼むから風呂は一人で入らせてくれ」

 よし勝った。見えていないのをいいことにガッツポーズをとる。「軽率な発言は身を滅ぼすことを覚えておけ」と低い声で忠告されたが聞こえないふりをしておいた。昔の私たちに戻ったみたいで、少しだけ心が軽くなった。


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