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おそろいの檻 4


「その代償は私のものだ。取り戻せないときは、私もともに逝こう」
「……………は?」

 耳を疑った。
 今、なんて?取り戻せない時はともに……だと?
 じわじわと理解がおりてきて、熱に浮かされた気持ちが一変する。背中に冷たい汗が滲んでいった。

「冗談でしょう?」
「本気だ。律する小指の鎖ジャッジメントチェーンで制約を課した。取り戻せないままナマエが死を迎えたときは、胸に刺さった短剣が私の心臓を貫く」

 ――告げられたそれは、まるで死刑宣告だ。
 声にならない悲鳴がもれる。同時に、目の前が真っ暗になった。

「そんな、どうして…っ!」

 狼狽する私とは対照的にクラピカに揺らぎはない。その落ち着き払った態度が真実であると物語っているようで、焦りがいや増した。
 誤算だった。まさかクラピカがここまで強硬手段を取ってくるなんて。

(私が死ねば、クラピカも――)

 恐怖と絶望に心が黒く染まっていく。それは、長いこと私を苦しめてきた絶望だった。
 誰に対してとは言えない怒りが体を満たし、声を張り上げた。

「こんなこと望んでない!!」
「相手の意思など関係ない。お前が言ったことだろう」

 私はうちのめされた。
 甘かった。思っていたよりもずっとクラピカの覚悟は重かった。そのせいで、最も恐れていたことが起きようとしている。

(道連れなんて、冗談じゃない…っ!)

 これ以上なく頭に血がのぼっている。思考を占拠をするのは、クラピカを死なせたくないという思いのみ。
 せきたてられるようにして、気づけば口を開いていた。

「……………本当は、制約はかけてない」
「なんだと?」

 クラピカが目を光らせる。
 しかし、この時はとにかくクラピカを死なせたくない一心で、その意味を考える余裕はなかった。

「元に戻せば死ぬ制約をかけたと言ったでしょう。あれは嘘だよ。戻そうと思えば戻せる」

 慎重に言葉を重ねた。死ぬまで隠し通そうと思っていたことだ。だが、クラピカの死を回避するためにはこの方法しか思いつかない。

「少しくらいだったら返してもいい。そうすれば“代償を取り戻す”って言う条件は満たせるでしょう。だから、そんな馬鹿げた制約は解除して」
「そうか。なら言うが、こちらも嘘をついた。律する小指の鎖ジャッジメントチェーンは使っていない」
「はっ?」

 馬鹿みたいにあんぐりと口を開けて絶句したら、クラピカが口の端を持ち上げた。その笑みを見た瞬間、己の失態を悟った。

「これはいいことを聞いた」
「……っ!!」

(――しまった!)

 まんまとやられた。自分のあまりの迂闊さに頭を抱えたくなる。
 クラピカが、目的の為なら平気で嘘を吐けるようになったことを忘れていた。先ほどの発言も、こちらの動揺を誘うための作戦だろう。……くそっ!なんてタチの悪い!

「……騙したのね」
「それはこちらの台詞だ」

 しれっと言い返されて唇を噛む。
 状況は明らかに不利になった。厄介な制約が無いとわかった以上、念を解除する可能性は広がっただろう。例えば、操作系の能力者を呼んで私の体をコントロールして念を発動させるとか。パッと思いつくだけでもいくつかの方法があった。クラピカなら既に有効な手段が何通りも頭に浮かんでいるはず。

(くそ!こんなはずじゃ…っ!)

 思わぬ展開に歯噛みする。状況を打開する名案は到底思いつきそうにない。もういっそのこと逃げてしまおうか。だが鎖で繋がれている以上はそれも絶望的に思える。
 必死に頭を捻る私から視線を外し、クラピカはあごに手を当て、考えるそぶりを見せた。だが、もう答えは決まっているようでタイミングを伺うための動作に見える。
 じりじりと距離をとる。意味がないと分かっていてもそうせずにはいられなかった。

「……死んでも返してやるもんか」
「まだ何も言ってないだろう」

 クラピカが肩を竦める。だが、心なしかすっきりとした面持ちに見えるのは気のせいじゃない。
 クラピカはソファから立ち上がると、フローリングの床に膝をついた。こちらを見上げたまま、今度は鎖じゃなくて腕を取られる。強い力ではないが、振りほどけない圧力があった。

「ナマエ、ひとつ提案がある」

 まっすぐに、視線と視線がぶつかる。
 いったい何を言われるのか。戦々恐々とする私に、クラピカはゆっくりと言葉を紡いだ。

「お前が奪った代償のちょうど半分を、私に返してくれないか」
「……半分?」

 クラピカが頷く。言われたことをそのまま繰り返して、スポンジに水がしみこむように遅れて理解がやってくる。だが理解はできても納得できるかはまた別の話だ。こちらの予想をすっ飛ばしてはるか上に着地した発想に、呆気にとられた。

「てっきり、全部返せって言われるかと……」
「それではナマエは絶対に納得しないだろう。それに」

 クラピカが腰を持ち上げる。鼻先が触れ合うほどの距離に、また心臓がせわしなく動きはじめる。

「言ったはずだ。共に生きてほしいと」

 ――その言葉が、表情が、クラピカに向けられるすべてが、甘く心臓に突き刺さった。
 早くなった鼓動が耳の奥がうるさく鳴っている。いつものように答えようとしても、声が上ずるのをどうすることもできない。

「それ、私を動揺させるために言ったんじゃ……」
「私がそんな軽薄な人間だとでも?」

 不服そうにクラピカが眉根を寄せる。彼が目的のために嘘を吐いても、仲間を傷つけるような嘘は絶対につかないことを知っている。
 
 (クラピカと生きるなんて、そんな夢みたいなこと……)

 不毛な自己犠牲の向こう側に待ち受けているものなんて、孤独以外ありえないと思っていたのに。
 未知のかたまりを与えられ、どう扱っていいか分からずにいると、ふたたび頬に手を添えられた。途端に顔に熱が集まる。

「その反応は、期待してもいいのだろうか」
「あ……」

 クラピカが瞳に熱を宿らせる。その熱が心臓にとけこんでいく気がした。雁字搦めになった思いが、解れていくのを感じる。

「私の業を、ナマエも一緒に背負ってくれるか」

 鼻の奥がつん、と痛む。
 ――その言葉を、本当はずっと聞きたかったんだと。たった今はっきりと自覚した。
 口を開けばみっともなく泣き出してしまいそうで何も言えなくなる。代わりに頷けば、クラピカが表情を綻ばせた。見ているこちらが気恥ずかしくなるぐらい無防備な笑顔に胸を打たれる。

 最初は、ただ気に食わなかった。過去にしか目を向けない彼が。どんなものでもいいから私にだけ向ける苛烈な感情が欲しくてたまらなくて。その結果、短い間でも彼の視線を独占できた。それだけで、もう満足だった。あとはひっそりと最期を迎えるのがふさわしいと本気でそう思っていた。
 だけどクラピカは違った。彼は、とっくに未来を見据えていたんだ。私と生きていくための、未来を。
 頑固で自分勝手でどうしようもない私たちの中間地点。想いを寄せる相手と過ごす宝物みたいな時間なんて、とっくに諦めたつもりだったのに……。
 胸がぎゅうっと締め付けられてたまらなくなる。

「わっ、わたし、クラピカのそばにいて、いいのかな……?」

 何度もつっかえながら、それでもなんとか伝えられたそれを、クラピカは柔らかい笑みで受け止めた。

「ああ、もちろん」

 こらえていた涙が決壊する。クラピカが溢れるそれを優しく拭った。
 いたわりと愛情がこもったまなざしに、そわそわと視線をさまよわせる。とてもじゃないが直視できない。

(こんなの、心臓がもたない……)

 甘い空気にはしばらく慣れそうにない。だって、今まで私達の間にそんなものは皆無に等しかった。それに、クラピカの前ではずっと虚勢を張ってきたんだ。そんなすぐに切り替えられるわけがない。それはきっと、クラピカも同じのはず。……同じだと、思っていたけれど。

「ナマエ」

 名を呼ばれ顔を上げると、くちびるを何かがかすめていった。

「なっ、なな…!!」
「はは、赤いな」

 いよいよ茹で蛸みたいに真っ赤になった私を見て、クラピカが甘くはにかむ。……どうやら、相手はとっくに腹を決めていたらしい。
 調子を狂わされっぱなしの状況を悔しく思うが、名をつけがたい感情で胸がいっぱいになって、やっぱり何も言えなくなった。


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