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ひそやかな呪い 2


 ――クラピカが消えた。
 少し目を離した隙にいなくなっていたらしい。電話をよこしたのはレオリオだった。厳重に警備された病室からどうやって抜け出したのだろう。野良猫のような奴だ。
 暗黒大陸への壮絶な船旅を終えて、クラピカはすべての緋の目を取り戻した。しかし、その代償はあまりにも大きかった。己の寿命と引き換えに発動する『絶対時間』。能力を酷使したクラピカの余命は、もう残り少ない。

 暗い路地を抜けて、とある廃墟ビルに入る。かつてファミリーの拠点とした場所だ。今はもぬけの殻だけど。錆びた鉄の扉を開けば、カビ臭い匂いが鼻をついた。埃まみれの床には誰かが足を踏み入れた痕跡が残っている。さらに奥へと進み、地下へと続く階段を降りていった。

 祭壇を模した台に置かれた視界を覆い尽くす緋の眼。言葉通り命を削って取り戻した同胞たちが見下ろす場所に、クラピカはいた。

「やっぱりここにいたんだ」
「ナマエ」

 虚ろな眼差しが向けられる。驚いた様子はない。私が来ることは予想していたのだろう。乱暴な動作で、近くに置かれたソファに腰掛けた。

「レオリオ、めちゃくちゃ怒ってたよ。見つけたらぶん殴ってやるってさ。」
「いま殴られたら一溜まりもないな」

 クラピカが微かな笑みをもらす。頬の線が静謐なものに包み込まれているようで、まるでこの世に存在していないみたいだ。そんな思考に陥って、言いようのない焦燥感がこみ上げた。

「もう、限界なの」
「ああ。もって数日だろう」
「……そう。」

 ただ一言。そう返すことしかできなかった。

「まさか本当にぜんぶ取り戻しちゃうなんてね」

 祭壇に置かれたしめて三十六対の眼球を見上げる。感嘆の息をもらしつつ「ここまで長かったね」とつけ加えた。

「私の力だけじゃ全ては取り戻せなかった。ナマエの念にだいぶ助けられたな」
「げっ。素直なクラピカとか気持ち悪いんですけど」

 大げさに反応してみせると、クラピカは力なく笑った。

「だが、能力を悪用するのは感心しないな。」
「……もしかしてまだあの時のこと根に持ってる?」

 その一言で、はじめてクラピカと出会った時のことを思い出した。
 まだ気ままな一人旅をしていた頃。お腹を空かせた私は、適当に入ったレストランで食事をしていたクラピカに念をかけたのだ。その頃のクラピカは念能力なんて知る由もなかったから、自分の身に起きた異変に目を丸くさせるだけだった。しめしめと立ち去る私を、しかしクラピカはすぐさま追いかけてきた。いや、追いかけるどころか背中を蹴飛ばして刃物を向けてきたのだ。「私に何をした」って凄みながら。

「根には持っていない。ただ無闇やたらに念を使うべきではないと言っている。そもそもナマエには警戒心というものが欠如して…」
「あーはい!分かったから!もうその話は耳にたこができるほど聞かされました!ほんっとそういう口うるさいところ変わんないよね」
「お前のその軽薄な態度も出会ったときから少しも変わっていない」
「おいコラ。だれがなんだって?」
「いや、いい加減と言ったほうが正しいな」
「大して変わらんわ!」

 いつもながらの軽口の応酬。クラピカも少しだけ調子を取り戻したみたいだった。
 何とも物騒な出会いを経て、私たちはハンター試験で再会を果たす事となる。私はその偶然に大いに歓喜した。出会った時から面白そうなやつだと思っていたんだ。しかしクラピカの反応は真逆だった。どうやら私は完全に不審者認定されていたらしい。毛を逆立てた猫のように警戒するクラピカを思い出して、自然と笑いがこぼれた。

「何を笑っている?」
「や、ハンター試験の時のこと思い出して。あの時のクラピカ、露骨に私のこと嫌がってたよね」
「ナマエがしつこいからだろう」
「んー、間違いない」

 ケラケラ笑えば、クラピカはわずかに眉を顰めた。
 はじめは一緒にいれば退屈しないだろうな、くらいの感覚だった。それが危なっかしくて目が離せないと思うようになったのはいつからだろうか。ハンター試験を終えた後も、嫌がるクラピカを口八丁で丸め込んで無理やりついていった。裏ハンター試験のあとも、ノストラードファミリーに雇われからも、ずっと。散々付き纏った結果、クラピカの中で私は遠慮のいらない奇特な人間というポジションに落ち着いたらしい。衝突することはしょっちゅうだったけど、ついてくるなと言われることはなくなった。
 クラピカと過ごした日々の記憶を噛み締める。全体的に薄暗く血生臭い毎日だった。でも、私にとっては何よりもかえがえのない思い出だ。


 ふと、クラピカがこちらを見た。その澄んだ瞳に息をのむ。

「ナマエには散々無茶をさせてきたな。すまなかった」

 思わず顔を顰める。

「私が好きでやってきたことだもの。謝られる謂れはないよ。ちゃんと報酬も貰ってたしね」
「そういうナマエの分かりにくい優しさに早く気付いてやれなかったのは私の落ち度だな。」

 穏やかな口調でそう言われ、ぐっと目の奥が熱くなった。思わず拳を握りしめる。そうしていないと、ずっと体の奥底にしまいこんでいたのものが溢れてしまいそうだった。

 クラピカは逡巡するように目を伏せる。短い沈黙のあと、ふたたびこちらを見つめると口を開いた。

「ナマエに頼みがある。」
「……なに?」
「私が死んだ後は、私の亡骸と共に緋の目も葬って欲しい」

 あまりにも残酷な台詞に、全身が戦慄く。

「来るべき時が来たらナマエに頼もうと思っていた。まさかこんなに早く訪れるとは思わなかったが……最後まで頼ってしまってすまない」

 頭を下げられる。途端に、怒りとも悲しみともつかぬ激情が湧き上がった。ふざけるな。そう叫ぶことができたらどんなにいいだろう。爆発しそうな感情を必死に押さえつけて、クラピカに向き直った。

「分かった。それがクラピカの望みなら」
「ありがとう」

 それは、今まで見たことがないほど安堵した笑みだった。

 ――瞬間、全身のオーラが漲るのが分かった。熱の固まりが体の底から込み上げ、全身を巡る。それは、例えるならば散り散りになっていたパズルの最後のピースをはめたような充足感。
 やっと。やっとだ。やっと、すべての準備が整った。

「ねえ、クラピカ」

 体がぶるりと震え、声が上擦る。

「どうして私が今まで必死こいて緋の目を取り戻してきたか分かる?」
「……」
「それがクラピカの望みだからだよ」

 クラピカの眉が顰められ、口の端が引き結ばれる。話の意図が読めない時、彼はしばしばこんな表情を見せることがあった。

「あ、別にクラピカのために尽くしてきたとかじゃないから。私は私の目的があって協力してたの。でも、それも今日で終わり。」
「何を言ってるんだ?」

 訝しげな表情に、思わず笑い出しそうになる。
 ずっと、ずっとこの時を待っていた。この瞬間を迎えるために今まで身を粉にしてきて働いてきたんだ。結局、今日に至るまで条件を満たせなかったんだけど。ギリギリで間に合ってよかった。
 深く身を沈めていたソファからゆっくりと立ち上げる。動作とは対照的に、体中の血液が急激に巡るのを感じた。

「ずっと、風化しちゃえばいいって思ってた」

 ぽつり、と。一つもらせば、あとはもう堰を切ったようだった。

「蜘蛛への敵討ちも、緋の目を取り戻すのも、そんなのさっさと諦めちゃえばいいって。だってそうでしょう?命を削って緋の目を取り返して。その先にあったのがこんな心中まがいの最期だもの。あんたに悔いはないでしょうね。でも、残された人たちはどうなるの。ねえ、一度でもあんたに生きていて欲しい人の気持ちを考えたことがある?あるわけないか。じゃなきゃあんな無茶な戦い方できるわけないもの」
「ナマエ……」

 突然火がついたみたいに捲し立てる私に、クラピカはひたすら困惑した様子だった。構わず一方的に話を進める。

「緋の目と一緒に葬ってくれだって?そんな身勝手なお願い、お断りだわ」

 クラピカの手をとる。その腕に鎖はない。具現化する気力すらもう残っていないのだろう。掴んだ腕に力を込めた。

「美しい幕引きなんて、ぶち壊してやる」

 決してクラピカから視線を外さなかった。今は一秒でも瞬きするのが惜しい。だって、これが最後になるかもしれないから。

「 “面倒くさがりな泥棒猫” 」

 念を発動させると、慣れた感覚に包まれた。同時に、体感したことのない喪失感に襲われる。積年の怨みにも似た悲願が叶ったことを悟った。


「…………………ふぅ――」

 深く、息を吐き出した。
 とりあえず、生きている。最悪な展開も覚悟してたけど、どうやら免れたみたいだ。だが、そう呑気に構えていられない状態だろう。酷く体が重い。

「………?」

 クラピカは呆然とこちらを見ている。無防備なその顔には出会ったころのようなあどけなさがあった。
 おそるおそるといった様子で右手を持ち上げる。そこには先程まで無かった鎖がしっかりと存在していて。血色を取り戻した肌がどんどん青ざめていくのがわかった。

「ナマエ、お前、まさか……」
「あ、もう気付いちゃった?」

 ――奪い取った。『絶対時間』を使い続けてきた結果、そのものを。
 もし、私の寿命がクラピカより短かったら発動と同時に死んでいただろう。まあでもクラピカよりは長生きな気がしてたからそんなに心配してなかったけど。最大の懸念事項はそもそも念が発動するかどうかという点だ。わざわざマイナスな要素を奪ったことなんて無かったし。半ば賭けに近かったけど、とにかく成功してよかった。ほっと胸を撫で下ろす。
 が、次の瞬間には胸ぐらをつかまれていた。さっきまでの憔悴っぷりが嘘のような動きに目を瞠る。気付けば、凄まじい怒気を湛えたクラピカに壁に押し付けれていた。

「今すぐ元に戻せ!」
「無理だよ。元に戻したら私は死ぬ。そういう誓約をかけた。」

 まあ嘘だけど。しかしクラピカは真に受けたようでさっと顔色を変えた。

「どうして、こんなことっ……!」

 怒りに満ちた表情が一瞬、泣きそうなそれに変わる。だがすぐに憤激の叫びが上がった。

「こんなことをして何になる!私が喜ぶとでも思ったのか!」
「まさか」

 どういう反応をされるかなんて分かり切っていた。でもクラピカの意思なんて関係ない。すべて私のためにしたことなんだから。

「そんな自己犠牲の精神なんてないよ。私は自分がしたいことをしただけ」
「ふざけるな!」

 堪え難い怒りにクラピカの瞳が赤く染まっていく。その瞳をみて、ようやく己の念願が叶ったことを知った。ずっと望んでいた。この目に映ることを。他の人間など入り込む余地がないほど、それこそ憎しみにも似た激情を向けられることを。

「お前はっ…、またオレから大事なものを失わせようというのか!」

 その言葉がことさら強く耳に響く。ごめんね。声にならない呟きが口からもれた。
 きっと、この先クラピカは私が奪った代償を全力で取り戻そうとするだろう。かわいそうなクラピカ。こんな碌でもない人間に捕まって。でもそう長くは続かないはず。だから、もう少しだけ私に付き合ってね。

「どうか幸せになって、クラピカ」

 呪いにも似た言葉。でも、嘘偽りのない本心だ。
 クラピカの瞳から涙が溢れ、すべらかな頬を伝っていく。この世の何よりも美しいその瞳に閉じ込められるならもう死んだっていい。心からそう思った。


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