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誰にもあげたくないのに


※クロロの妹設定です。苦手な方はご注意ください。



 私には兄がいる。血の繋がりを疑ったことはない。外見だけを見れば似ている部分は多い。しかし中身はまるで違っていた。すべてにおいて完璧な兄と比べて私はひどい出来損ないだった。

 私は兄に育てられた。あの街に生まれ落ちた日からずっと兄の腕の中で守られてきた。周囲では毎日のように人が死んでいたが、私の世界はどこまでも甘く、優しかった。お前は運が良いとみなが口をそろえて言った。クロロの妹として生まれてきたことがお前の唯一の価値だと。それが皮肉だと分かっていたが私は気にしなかった。兄さえそばにいてくれればそれでよかったし、彼らが言うことは紛れもない事実だったから。私は兄がいなければ何もできない子供だった。兄がすべてを与えてくれるから、私は何もする必要がなかった。ただ兄の隣にいるだけでよかった。あの頃の私の世界は兄がすべてだった。

 兄はことあるごとに愛を囁いた。私の意識の奥深くに刷り込むように何度も、何度も。それは甘い蜜に変わり、ひたひたと脳髄を満たしていった。私はいつしか兄をひとりの男として見るようになっていた。それを伝えたら、兄は「今更だな」と笑った。そっけなくておだやかな微笑み。眼差しは空虚で、自己への陶酔に満ちていた。兄さん、と私は呼びかけた。兄は私の名を呼んだ。けれど私の声に含まれるものと、兄の声に含まれるものがぜんぜん違うことに、私は気づいてしまった。兄が与えてくれる愛は、自己愛に過ぎなかったのだ。私は兄の所有物だ。この身体も、髪の毛の一本さえも。身体だけでなく、心までもが。私という存在は、兄が作り上げた人形だった。

 はじめのうち、私は気づかないふりをした。気づかないふりをして何度も兄への想いを伝えた。しかし兄の答えは変わらなかった。兄さんお願い、私を見て。吐き出されない言葉が澱のように心にたまっていく。積もり積もったその澱はやがて大きな塊になって心に重くのしかかる。変わっていったのは私のほうだった。

 やがて、あまりにも愛情深いその手が怖くなって逃げ出したくなった。しかし兄の庇護のもと、ぐずぐずに甘やかされて育てられた私に兄の手を振りほどける力などある筈がなかった。あの街で私を守ってくれたのはまぎれもなく兄だ。しかし、生き抜く力を奪ったのも兄なのだ。




 ちがう、と思った。全身の筋肉を硬直させながら感じる。頭が記憶しているんじゃなくて肌が覚えている。痛烈な違和感と嫌悪感。いま私は、兄じゃない男の腕の中にいる。

「本当にいいのかい?」

 仰向けに寝たヒソカはいたずらっぽく瞳をくるりとさせて、彼の腰にまたがる私を見上げてくる。眉間にしわが寄っていくのが自分でもわかった。なにもかもが不愉快だ。部屋に充満する芳香剤の匂いも。動くたびに軋んだ音を立てる安物のベッドも。何より、この男の心底愉しげな顔がどうしようもなく。

「いいって言ってるでしょう」
「無理するなよ。こんなに震えて」

 骨ばった大きな手が肩に触れ、私の恐怖を知らしめるように身体を這う。ぶわ、と鳥肌が立って、触るなと怒鳴りたくなる衝動を無理やり抑え込む。どうしてよりにもよってこんな奴しか思い浮かばなかったのだろう。

「彼、怒るだろうね。かわいい君が今からされることを知ったら」
「あなたもそれを望んでるでしょう」

 眼下の男がくつくつと笑う。さっさとはじめてほしいのに、ヒソカはまだ無意味な応酬を続けるつもりのようだった。

「どうして君はここまでするんだい?」
「あなたに関係ない」

 抑揚のない声で突き放すが、からかいまじりの眼差しがしつこく理由を問う。答えなければ先に進むつもりはないというわけか。とことん悪趣味な男だ。これ見よがしのため息を吐き出して、乾いた唇を舐めてから口を開いた。

「兄さんは、私を自分の物だと思っているから」

 兄を想うこの気持ちですら自分が作り上げたものだと思っている。幼い頃はそれでもよかった。しかし、やがて私は気が付いた。兄が、手に入れたものに愛情を注ぎ続けられるような人間じゃないということに。
 今まで兄が獲得してきた所有物はいずれも飽きられ捨て置かれてきた。きっといつかは私も同じ末路を辿ることになるだろう。籠の中で大人しく飼われたままでは兄は背を向ける。それは私にとって死にも等しい恐怖だった。

「兄さんがとびきり嫌がることをしてやりたいの」
 
 兄は自分の所有物に触れられることをひどく嫌がる。だから、こうして好きでもない男に抱かれるのだ。兄の整った顔が歪められるさまを想像すると不思議なほど充足した。

「独占欲の強いお兄さんへの反抗ってわけか。かわいいものだね」

 軽やかな声音でそう言って、ヒソカは遠くを見るように目を細く歪めた。その眼差しはささくれ立った神経を無神経に逆なでしてくる。誰であろうと私と兄の関係を語ることは許さない。
 返事の代わりに服を脱ぎ、床に投げ捨てた。一糸纏わぬ肌にヒソカの視線が刺さる。見られているという恐怖に身が竦んだ。少しだけ、家出を後悔する子供みたいな気持ちになる。どうかしていると思った。何を今更とも。
 もうすぐだ。もうすぐ、私は疵物になる。そして望みが実現する。後悔なんてしない。この選択は私が選んだものだ。この体も、この心も、すべて私のものだ!
 しかし思いとは裏腹に、他人に素肌を晒している恐怖に抗えず、カタカタと体が震えだした。早くヒソカの目線が離れてくれることを願ってしまう。願いが通じたのか、ヒソカの視線が突然そらされた。その目線は私の背後に向けられる。

「探したぞ」

 耳に突き刺さる低音に、頭が真っ白になる。
 どうしてここに。どくどくと自分の中から響く脈の音を聞きながら思案する。心臓が胸を突き破ってしまいそうなくらい激しく鳴っていた。

「ナマエ」

 名を呼ばれ、私は振り返る。兄は笑っていた。口元はやわらかな笑顔を作りながら、私を射抜く視線はぎらぎらと凶暴で鋭い光を放っている。一度目が合うと逸らすことができず、焦げてしまうようだった。

「何しにきたのよ、兄さん」

 無粋な兄を非難するように言えば、息が止まりそうなほどの殺気を向けられた。全身から汗が浮かびながらも、それでも笑いがこみあげて零れた。歓喜が私の体を貫く。結局のところ、私が恍惚を覚えるのは兄しかいないのだ。

 兄への反抗がいったい何をもたらすかはまだわからない。ただ、安寧からは程遠いのは間違いないだろう。どんな結末にせよ私が選んだ道だ。兄のものじゃない、私だけの。


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