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真実よりも重いもの


 コンコン、とドアをノックする音が響き渡る。時刻は深夜。こんな非常識な時間に自室を訪ねてくる人物なんて一人しか思い当たらなくて、私はげんなりしながらドアの方へと近づいた。

「姉さん、入るよ」

 こちらの返事を待たずに侵入しようとしてくる相手に思わず舌打ちが漏れそうになるのをぐっと堪える。そして、弟を愛する姉の仮面を被ってイルミを出迎えた。

「おかえりなさい」
「ただいま」

 イルミは部屋に入ると勝手知ったる顔でソファへ腰を下ろした。その不遜な振る舞いを目で追いながら、心の中では大いに悪態をつく。性懲りも無くまた来やがったか、と。
 イルミは大きな仕事をやり終えた後は必ずと言っていいほど私の部屋を訪ねてくる。どうせ今夜も現れるだろうと踏んで起きていたのが正解だった。眠っているところを勝手に入られたらたまったものじゃない。
 私はこみ上げてくる嫌悪感を誤魔化すため、微笑を口元に貼り付けた。

「怪我はない?」
「ないよ。当然」
「そう、良かった」

 優雅な笑みを浮かべたままイルミに近づく。

「それで、私に褒めてもらいたくてきたの?」

 揶揄いまじりにそう言えば、イルミは拗ねたようにムッと眉を顰めた。

「姉さんが逆立ちしたってこなせない仕事をやってきたんだ」

 挑発するような響きを声に乗せて、イルミがこちらを見やる。生意気な口を利く弟に姉としてどう対応するのが正しいのか分析する一方で、ドロドロとした負の感情が胸に広がっていった。そういう誰にもぶつけられない歪んだ感情を、私は冷静な自分を装うことでごまかす癖をつけてきた。

「そうね。あなたは偉いわ」

 ソファに座るイルミの前に立って、頭をやさしく撫でる。イルミは眉間に寄せていた皺を解き、満足そうに目を細めると、もっと撫でろと言わんばかりに手のひらに頭を押し付けてきた。

「あなたは自慢の弟よ」

 頭を撫でていた手を頬に滑らせれば、イルミは目を瞑って私の手に擦り寄ってくる。まるで猫みたいに。

「姉さんのために頑張ったんだ」

 甘い声が耳に滑り込む。私は目を伏せ、ひそかに身を硬くした。
 不可解だと思う。この家で、父とも対等に渡り合えるほどの権力を持つ男が、自分よりもはるかに格下の姉に依存する姿は奇妙でしかなかった。
 私には何もない。暗殺者としての才能も、家のために役立てる能力も。
 視界の端にある、自らのくすんだ銀髪を意識する。途端に口内に砂を含んでいるような気持ちになった。――私はもう、いらない存在なんだ。

「姉さん、何を考えてるの?」

 ふいに腕を掴まれて、意識を引き戻される。予期せぬイルミからの接触に顔が歪みそうになるのをなんとかこらえつつ、曖昧に微笑んだ。

「今はオレのことだけ考えてよ」

 甘く絡みつくような視線と声に、虫酸が走る。
 本心では嫌でたまらないのに突き放すことができないのは、イルミだけが唯一この家で私を必要としているからだ。イルミから執着されることで、私がこの家に存在できる理由が生まれる。だからどんなに嫌でも好きなふりをしなければならない。その事実はあまりにも虚しいものだったが、この家に居続けるためには受け入れるしかなかった。

「姉さんはオレのこと好き?」

 腕を掴んでいるイルミの手に力がこもる。痕がつきそうだと頭の片隅で思ったが、振りほどくことは許されない。

(よく飽きもせず同じことが聞けるわよね)

 もう何度されたか分からない質問に辟易する。しかしそんな内心はにも出さず、私は完璧な笑みを浮かべた。

「ええ、もちろん」
「本当に?」

 イルミが腕を伸ばして、私の髪に触れる。私が嫌いなこの髪をイルミはやけに気に入っていて、事あるごとに触れてきた。その度に私は、緊張を悟られないよう細心の注意を払わなくてはならなかった。
 ――この男にだけは知られてはならない。私に、ゾルディック家の血が一滴も流れていないことは。

(偽りの姉に依存する、哀れな男)

 イルミが私に執着しているのは同じ血族の女だからだ。赤の他人だと知られたら簡単に切り捨てられるだろう。それこそ殺されたっておかしくない。この男は、血の繋がった人間にしか興味が持てないのだから。

(あんたのことなんて、大嫌い)

 心の中ではそう叫びつつも、私はふたたび自分の心を裏切った。

「愛してるわ、イルミ」

 屈辱と憎しみの情に包まれながら、今日も偽りの愛の言葉を吐き捨てる。


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