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どこかで愛が眠っている


 壁一面に広がる巨大水槽。分厚いガラスの向こう側にはあらゆる種類の魚が自由に泳ぎ回っている。見上げたまま10分は経っただろうか。そろそろ首が疲れてきた。
 こっそりと隣に立つ相手を盗み見る。淡い青い光に照らされた横顔からは何の感情も読み取れなかった。もしかして、案外楽しんでくれているのだろうか。そんな期待を込めて口を開いた。

「イルミ、楽しんでる?」
「いや、まったく」

 できるだけ明るく話しかけてみたものの、こちらを見もせず切り捨てられて終わる。この男にリップサービスなんてものを期待した私が馬鹿だった。
 今日のイルミは普段と違って非常にシックな装いだった。ダークグレーのニットに同じ色味のチェスターコート。黒いパンツに包まれた足は嫌味なほど長く、どこぞのモデルかってくらい完璧な出で立ちだ。正直、隣に立つのは気がひけるほどだった。イルミと付き合う女性は大変だろうな……。そんなことをぼんやり考えていると、いつのまにかイルミの目線がこちらに向けられていた。

「いつまで此処にいるつもり?もうとっくに飽きてるんだけど」

 ああ、口を開かなかったら完璧なのに……。項垂れたくなるのをぐっとこらえ、コートのポケットから携帯を取り出す。画面の真ん中に次の予定が表示されていた。半年前に入力した予定だ。その時は意気込んでいたが、今はむなしさしかない。

「えっと、このあとはホテルのレストランでディナーの予定だから……」

 口に出した途端、見下ろすイルミの目にあざけりと呆れの色がにじんだ。

「お前、そんなものまで予約してたの」
「……お願いだからそれ以上言わないで」

 携帯に表示されている日付は12月24日。そう、今日はクリスマスイヴ。私はこの日のために半年前から予約しないと入れない人気レストランを押さえていた。未来の恋人と素晴らしいイヴを過ごすため。……だが悲しいかな、肝心の恋人ができなかったのだ。こんなに虚しいことがあるだろうか。
 だけど、せっかく予約できたクリスマス限定ディナーを棒に振るのはもったいなくて、こうしてイルミに付き合ってもらっている次第だ。ちょっと気軽には誘えないくらいの高級ディナーだから、遠慮というものを知らないこの男がちょうど良かった。もちろん私の奢り。

「今日は私に付き合ってくれる約束でしょ」
「うん、そうだね」

 イルミが視線を外す。その横顔はいつも通りの底冷えする無関心に塗り替えられていた。

(それにしても、どうして付き合ってくれたんだろう……)

 ダメ元で誘ってみたらまさかの二つ返事だった。あのイルミだ。女性からは引く手数多だろうし、空いていたとしても私に時間を割いてくれるとは思えなかったから心底驚いた。それほど暇だったのだろうか。それとも惨めに落ち込む私を見たかった、とか…?この男なら十分あり得る。

「何してるの。早く行くよ」
「あ、うん」

 頭の中でぐるぐるまわり続ける疑問を飲み込んだ。余計なことを考えるのはやめよう。どんな理由にせよ今は隣に居てくれるだけで有り難い。今日だけは、どうしても一人でいたくなかったから。



 水族館から出ると、外はもうすっかり日が落ちて暗くなっていた。冷たい夜風にさらされ身震いする。
 正直なところ、かなり疲れた。人混みのせいもあるが何よりイルミの態度に。普段から冷たい対応がデフォルトだけど今日は一段とトゲを感じる気がする。纏う空気がピリピリしているというか、とにかく一緒にいて疲れる。

(こんなはずじゃなかったのにな……)

 感傷的な気分になりかけたが、無理やり頭の中から追い払った。これから今日のメインイベントが待っているんだ。鬱々としたままじゃ勿体無い。気を取り直して、隣を歩くイルミに顔を向けた。

「今から行くレストラン、超人気店なんだよ!半年前から予約しないと入れないんだから」
「ふーん」

 心底興味がないと言わんばかりの反応だ。それでも負けじとこれから食すディナーの素晴らしさを熱弁していると、イルミはようやく視線をよこした。

「で?そのあとはホテルの部屋でも取ってるわけ?」
「なっ……そんな訳ないでしょ!」
「なんだ。お前のことだからそれぐらいやってるかと思ったよ。」

 高い位置から見下ろすイルミの顔は完全に嘲笑一色だ。腹立たしくと思う気持ちと同時に、ふと疑問がわきあがった。

「もし部屋をとってたらイルミは付き合ってくれてたの?」

 なにげなく尋ねると、イルミがなぜかピタリと立ち止まった。

「イルミ?」

 長い髪に隠れて表情は見えないが、放つとげとげしい空気がじりじりと増していくのがわかる。まずい。そう思った時にはもう遅かった。不気味なからくり人形のように、ギギギ、とイルミはこちらを見た。

「言っておくけど」

 こちらを覗き込む目には妙な凄味があって、私は本能的に後ずさった。

「お前に恋人なんて一生できないよ」
「は…………はあああ?」

 なんてことを言うんだこの男は!
 憤慨する私を置いて、イルミはスタスタと歩き出した。あわててその背を追う。

「ちょっと!縁起でもないこと言わないでよ!」
「……」

 イルミはすっかり機嫌を損ねたしく、いくら抗議しても全く反応を示さなかった。結局、その後は終始無視を決め込まれ、せっかくの食事もちっとも美味しく感じなかった。


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