05



「知っていることがあれば教えてくれないか」

 月明かりを背にクロロ=ルシルフルはすがすかしく笑ってみせる。ただし、その目は一切笑っていない。暗い輝きが浮かぶ眼差しを向けられ、喉の奥が凍りついた。
 まずい。今すぐ否定しないと。何も知らない。教えられることなんて何もないと。そう言わなければ。でも、言葉が出てこない。
 頭の中でぐるぐるといろんな言葉がうずを巻いているのに、舌も身体もセメントで固められたみたいにがちがちだった。

「心当たりがありそうな顔だな」

 ひどく楽しげな声でそう言われ、絶望が胸を迫り上げる。

「そんなに怯えなくてもいいだろ。別にとって食いやしないさ。すこし気になったから確かめに来ただけだ」

 嘘つけ。そんなわけあるか。
 三ヶ月ものあいだ居留守を貫いた自堕落な男が、そんな些細な理由のために待ち伏せまでする筈がない。こいつには、何か他の目的がある。
 その目的がはかり知れなくて、押し黙ることしかできなかった。

「答えたくない、か」

 クロロは口元に手を当てて考え込むような仕草をみせた。

「できれば穏便に済ませたいんだがな」
「……っ!」

 完全に脅しだ。何がなんでも口を割らせるつもりだ。

(どうしよう。どうしたいい……)

 まともにやりあって敵う相手ではないことは、伝わる気迫からとっくに察してしまった。逃げ出すのも不可能。今のところ、要求に従う以外の選択肢が見つけられない。
 でも、こいつにだけは知られてはいけない気がする。知られた先に、もっとおそろしいものが待ち受けているような、そんな気がしてならない。

(でも、じゃあどうすれば?)

 焦りが募る中、不意にあるものが目についた。
 白いカッターシャツの袖から覗く手。筋張った指の先に形よくおさまる爪を見て、ある違和感に気がつく。――手袋が、無い。
 この本を押しつけられた時、その手には確かに真新しい白の手袋がはめられていた筈なのに。
 いつの間に外したのだろうか。目を離したのは本を受け取った時の数秒だけだというのに。その時に外した?――いや、消えた?

(もしかして……)

 私がこの本に触れた途端、クロロは確信に満ちた反応をみせた。『やっぱり、思った通りだ』と笑みを浮かべながら。そのおそろしい笑顔を思い出して、ある仮説が頭を過ぎる。恐怖に支配された思考に、一筋の亀裂が走った。

「……ひとつ、聞きたいんですけど」

 からからに乾いた口を無理やり開けて、必死に声を絞り出す。

「この本、ほんとは触れるだけでも危険な代物なんじゃないんですか」

 手に持ったままだったそれを掲げると、クロロの片眉が興味深そうに跳ね上がった。

「なぜそう思う?」
「本に触れた瞬間、あなたの目つきが変わりましたから。それにさっきまで着けてた手袋……あれ、念で具現化させたものですよね」
「へえ、よくわかったな」

 感心するように拍手され、ざわざわと神経が逆撫でされる。

「念を使わないと触れることも出来ないなんて、普通に触ったら一体どうなるんですか」
「まあ、ただでは済まないだろうな。腕が吹き飛ぶんじゃないか?」

 サラリととんでもないことを言われ、ざあ、と血の気が引いていく。
 そんな危険なものを、あんな気軽に押しつけてきたのか。 告げられた事の恐ろしさよりも、人を人とも思わないような扱いに怒りがこみ上げてきた。

「もし私の腕が吹き飛んでたら、どうするつもりだったんですか」

 その問いかけに、クロロの顔から人をくった笑みが消えた。意表を突かれたかのような表情を見せたのち、私を激昂させるに十分な答えが返ってきた。

「そこまで考えてなかった」

 ――絶句した。
 こいつは、目的の遂行のためなら相手がどうなろうが構いやしない。考えることすらしない。そういう人間なんだ。
 そう理解した瞬間、カッと身体中の血が逆流した。

「……っふ、ざけんな!!」

 沸きあがった怒りは衝動に変わり、気付けば奴の顔面めがけて本をぶん投げていた。が、首をひねるだけで軽々と避けられる。

「随分と威勢がいいな。さっきまでのしおらしさはどうした?」
「うるさい!」

 右手にオーラを込める。敵う相手じゃない。それでも、抑えることなんて出来ない。
 臨戦態勢に入る私を見て、クロロはあきれたように肩をすくめた。その態度さえも、煮え滾った頭を煽る要因にしかならなかった。どうなったっていい。

(とにかく今はこのクソ野郎を一発ぶん殴らないと気が済まない!)

 策もなく、感情に任せるまま拳を振り上げた瞬間だった。

「がっ……!!」

 ゴッ!と棍棒でぶん殴られたような衝撃が全身を突き抜けた。
 視界がぐるんと回転してその場に倒れ込む。あまりにも一瞬の出来事で、自分の身に何が起きたのかまったく分からなかった。

「生きてるか?」

 頭上からクロロの声が落ちてくる。まるで、他の誰かに問いかけるかのような口調だった。
 一体何が起きたのか。確かめるために身を起こそうと試みるが、指先ひとつ動かせなかった。後頭部の尋常じゃない痛みと、髪の間を何かが濡らしながら広がっていく感触。次第に視界の周囲がじわじわと暗くなっていって――。

「ああ、無事だな」

 いや、どこが?
 そう反論する余裕もなく、視界がぶつりとブラックアウトした。


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