03



 PM 14:00。
 昼休憩が終わり、就業時間まではもう暫くという気だるい時間帯。
 閑散とした館内の隅っこで、私はせっせと仕事をこなしていた。ワゴンに積まれた返却本を手に取り、指定の場所へ戻す。慣れ切った作業の筈なのに今日は無性につらかった。
 肩と腰と目が痛い。あと頭も。筋肉痛と寝不足のダブルパンチ。それもこれも、ぜんぶアイツのせいだ。埃っぽい部屋で黙々と読書に耽る男の姿を思い出して、舌打ちがもれそうになった。

 昨日は散々な一日だった。やっかいな隣人との不毛なやりとりで不覚にも弱みを握られた私は、やつの部屋の片付けをする羽目になった。床に散らばってる大量の本をかき集め、部屋の隅に積み上げる。そうして僅かに出来たスペースに、預かっていたダンボールをこれまた積み上げる。単純な作業だったけどなかなかに骨が折れた。
 まあ、それはまだいい。部屋を占拠していたダンボールがなくなってスッキリしたし。

 問題は、私は念能力者だとバレてしまったことだ。リアルに死活問題で泣きたくなる。
 男に言いふらす節はないとしても、知られてしまった以上あそこに住み続けるわけにいかない。速やかに引越し先を探さなければ。新しい住まいの確保のため、昨日は夜中まで賃貸情報を調べていた。それゆえの寝不足だった。

(あーあ、勿体無い。あの部屋気に入ってたのに……)

 職場から近く、築年数のわりには部屋も綺麗でおまけに家賃も安い。とても良い条件だったのだ。あの男が越してくるまでは。本当に、ツイてない。
 憂鬱な気持ちを持て余しつつ、帰りに不動産に寄ることを決める。こうなったら手っ取り早く今よりもいい部屋を見つけてしまおう。 そのためにも今日は定時であがらなければ。

 しばらく無心で作業を続けていると、職場の先輩が小走りで近づいてくるのか目に入った。
 その形相は、なんだか尋常じゃないように見える。トラブルでもあったのだろうか。慌てて二段しかない脚立から降りると、駆け寄ってきた先輩に力強く肩を掴まれた。

「ナマエちゃん大変よ」

 声量は抑えられているけど、ただならぬ様子は伝わってくる。どうしたんですかと恐る恐る尋ねれば、先輩は密談でも交わすかのように耳元まで顔を寄せてきた。

「とんでもない美形が館内にいる」
「……はい?」
「もう素晴らしく私好みのイケメンなの。この街にあんな人がいたなんて!」
「ちょっ、館内では静かに……」
「どうせ人なんてほとんどいないわよ」

 それよりイケメン! と騒ぎ立てる先輩のテンションに、意識が遠のきそうになった。
 イケメン……そうかイケメンか……。まあ、この過疎ってる町の図書館にイケメンがいるってだけでも一大事か。
 一気に肩の力が抜ける。同時に、先輩をここまで興奮させるイケメンとはどれほどのモノなのか、好奇心がむくむくとわきあがった。
 疲れた目の保養になるかもしれない。私もイケメンに癒されたい。

「そのイケメン、私も見たいです」
「そうこなくちゃ!」

 先輩にぐいぐいと腕を引かれ、連れてこられたのは閲覧室だった。近くに置かれている本棚の裏にこそこそと身を隠す。大の大人が二人して何してるんだろう……と一瞬冷静になったけど、今さら引ける空気ではなかった。
 棚の影から半分だけ顔を出した先輩が、ほらあれ! と指を差す。同じようにひょっこりと顔を出すと、そこには昨日嫌と言うほど目にした姿があった。

「うげ。」

 思わず蛙が潰れたような声が出る。
 先輩は「ね! イケメンでしょう?」と小声で熱弁しているが、返答する余裕はない。咄嗟にその場から離れようとしたが「ちょっとナマエちゃんどこいくの!」と腕を掴まれ阻まれた。

(どうしてここにクロロ=ルシルフルがいるの!?)

 まさか昨日の報復にきたのだろうか。さすがにドア壊したのはやりすぎだったか。もしくは、弱みを握ったからゆすりに来たとか……。部屋の片付けまでしてやったのに何て不義理なやつなんだ!
 とりとめのない思考がぐるぐると駆け巡る。あからさまに動揺する私に「ビビるくらいかっこいいでしょ」と先輩が見当外れなことを言ってきた。

「ナマエちゃん、あの人に声かけてみてよ」
「はい!? いや無理ですよ!」
「一生のお願い! ナマエちゃんだってイケメンと知り合いになりたいでしょ!?」
「いや、私はもっと健康的な男性がタイプなんで……ああいう額に包帯とか巻いてる方はちょっと……」
「贅沢言ってんじゃないわよ!」

 バシッと背中を叩かれ、ウッと野太い声が出てしまう。すると、クロロ=ルシルフルがパッと顔を上げた。バッチリと目が合う。
 しまった、さっさと逃げればよかった。そう後悔しても遅い。私の姿を確認した男は目を丸くさせた。

「なんだ、よく会うな」

 そう一言だけ。すぐに興味を失ったように手元の本に視線が落とされる。
 それはまるで、昨日押しかけてきた隣人がたまたま自分の行き先にいたかのような反応だった。

 ――もしかして、本当に偶然この図書館を利用したのだろうか。私が働いてることなど知らず。
 疑わしい気持ちになるが、男の部屋の本の山を思い出して少し腑に落ちる。いくら片付けたとは言え、総体的に本の量は増えているので圧迫感はかなり増した。さすがに身の置き場がなくなって外に避難したのかもしれない。
 本好きのこいつが避難場所としてこの図書館を訪れたのだとすると、なんと運の悪いことか。

(最悪だ……)

 引越しをしてまでこの男から離れようと思っていたのに、まさか職場まで知られてしまうなんて。向こうは探すつもりはなかったのかもしれないけど。
 絶望的な気持ちで踵を返すと、爛々とした目でこちらを見ている先輩と目があった。あ、やばい。そう思ったのも束の間、腕を掴まれズルズルと奥へ引きずり込まれた。

「ナマエちゃん、知り合いなの」
「あー……」
 
 鼻先が触れそうなほどの距離で迫られる。その目の血走りように、誤魔化しがきかないことを悟った。

「知り合いっていうか、ただの隣人です……」
「お隣さん!」

 先輩は一層目を輝かせた。

「紹介してちょうだい!!」
「ただの隣人ですってば!」

 紹介できるような仲じゃないです!と必死に訴えるが聞いちゃいなかった。いささか正気を失っているようにもみえる。

(本ッ当に、心底ツイてない!!)

 その場で崩れ落ちそうになるのをギリギリでこらえながら、胸の内で大いに嘆いた。


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