02


 エレベーターを降りると開けたフロアに迎えられた。逃げ出したい気持ちと懸命に戦いながら男の後ろをついて歩く。やがて表札の出ていない最奥の部屋の前にたどり着いた。
 玄関の扉の向こう側には、高級マンションには不釣り合いなスキンヘッドの男が立っていた。見るからに堅気じゃない風貌に息を呑む。
「三途さん、お疲れ様です」
 スキンヘッドの男が深々と頭を下げる。こっちの方が年上に見えるけど、どうやら三途と呼ばれた男の方が立場が上らしい。裏社会は実力主義なのか……と、余計なことを考えているうちに三途は廊下の奥へと進んでいった。慌ててその背を追う。
 廊下の突き当たりは広いリビングで、五十畳以上はありそうだ。そこにシンプルなリビングセットとテレビが置いてある。モデルルームみたいに殺風景な部屋だった。
「そこに座れ」
 命じられるまま高級そうなソファに座る。ローテーブルを挟んで向かい合う形になり、目をそらしたくなった。何せ初対面で銃口を突きつけてきたような人間だ。怖くないわけがない。怯えながらも必死な思いで視線を合わせていると、三途は色素の薄い目を細めてニンマリと微笑んだ。その笑顔が余計に恐い。
「んなビクビクすんなって。取って食ったりしねえから、肩の力抜けよ」
 無茶言うな、なんて言い返せるはずもなく、引きつった愛想笑いで誤魔化した。
「お前、借金返したいんだよな?」
「は、はい」
 人の悪い笑みを浮かべながらそう言われると頷くのが怖くなるが、ここは仕方ない。素直に肯定した。すると三途の笑みが益々悪代官みを帯びる。
「いい仕事を紹介してやる。住み込みの家政婦だ」
 一瞬言われている意味が分からなくて、ぽかんとしてしまった。
「あの……家政婦って、家の掃除したり洗濯したりする家政婦のことですか」
「他に何があんだよ」
「す、すみません」
 バカなことを聞くなと言わんばかりに睨まれて、頭を下げる。余計な口は挟まない方が身のためだ。黙って相手の言葉を待った。
「この話を引き受けるなら、お前の借金を一時的に立て替えてやる。金は俺に返せばいい。ここで働く賃金が俺への返済だ。利息は無し。お前が逃げない限りは、無理な追い込みもかけない」
 スラスラと捲し立てられる内容に目を瞠る。なんだそれ。あまりにも条件が良すぎる。
「どうだ。悪くねえ話だろ?」
「そう、ですね……」
 願っても無い話だけど、美味しい話には裏がある。相手が裏社会の人間ならなおさらだ。
 こちらの警戒を察したのか、三途は身を乗り出してきた。
「悪質な取り立てに追いかけ回されてるせいでロクに仕事が見つからないんだろ? しかもあのボロアパートも今月中には退去しなくちゃいけないんだって? 自分が作った借金でもないのに溜まったもんじゃねぇよなぁ」
 そんなことまで知られていることに驚いた。こちらの事情を詳細に把握されてることにいっそう恐怖心があおられる。これは慰めなんかじゃない、脅しだ。
 激しく鼓動を打つ胸を落ち着かせるため、一度唾液を飲み込み、恐る恐る切り出した。
「ちなみに、仕事内容はどんな感じなんでしょうか……」
「どんな感じも何も、フツーの家政婦の仕事をやりゃいいんだよ。さっきお前が言ったような掃除とか洗濯とかな。ここは部屋数は多いが住んでる人間は一人だし、そいつも不在にすることが多いからお前だけでも手が回んだろ」
 ということは、住人は別にいるってことか。
(どんな人なんだろう)
 この部屋は生活感がなさすぎて、どんな人間が住んでるのかまるで想像できなかった。こんな高級マンションに住めるくらいだから相当なお金持ちってことはわかるけど。
(とんでもない趣味を持った変態だったらどうしよう……)
 想像が悪い方向に膨らみかけたところで、ふと三途が声のトーンを落とした。
「ただし、ここで働く上でいくつか条件がある」
「は、はい」
 ここからが本題だと分かって、ゴクリと唾を飲み込む。
「まず、俺の許可なく勝手に外に出るな。まぁ、返済が終わるまでこの部屋からは出れないと思っとけ。外部と連絡を取り合うことも一切禁止する」
「マジですか……」
 それって、実質軟禁と変わらないんじゃ……。
 さっそく雲行きがあやしくなって萎縮する私に、三途は「借金取りに怯えて暮らすより百倍マシだろ?」と鷹揚に微笑んだ。
「それと、ここに住んでる人間とは極力関わるな。向こうもお前を居ないものとして扱うだろうから、自分が家事ロボットにでもなったと思って黙々と働け」
「はぁ……」
 身も蓋もない言い方だけど、関わらなくて済むならこちらとしても願ったり叶ったりだ。
「条件は以上だ。やるよな?」
「え、えっと」
 視線を泳がせる。話を聞く限りはそこまで危険じゃなさそうだけど、この男の言葉を鵜呑みにしていいんだろうか。
(どうしよう)
 いつまでも答えようとしない私にしびれを切らしたのか、三途の目に険しさが増した。
「お前さぁ、立場分かってんの? ここに連れて来られた時点で拒否権なんてねーんだわ。お前、死にたくねぇんだろ?」
 有無を言わせない迫力に私はカクカク頷いた。それ以上、何ができようというのだ。恐ろしいことに巻き込まれそう、というか巻き込まれてしまったことに、改めて気付かされた。
 背に腹はかえられない。もうやるしかないんだ。
「……やります、やらせてください」
「言ったな?」
 震える声で必死に答えると、目の前の色素の薄い瞳が見開かれた。完全に瞳孔が開いてる。
「いいか、俺は裏切り者が死ぬほど嫌いだ。俺を裏切ったら、今度は容赦無く殺す」
 ひっ……。
 恐怖で声が出そうになるが、どうにか押し留める。
「う、裏切りません……」
 絞り出すようにそう告げると、三途が「それでいい」と言いたげに頷いた。かと思えば、いきなりスマホを投げ渡してきた。
「緊急時はそれで電話してこい。気が向いてたら出てやるよ」
「は、はぁ……」
 目を白黒させながらスマホと三途の顔を交互に見る。そうやって私がおろおろしている間に、用は済んだとばかりにソファから立ち上がった。
「んじゃ、俺はもう行くわ。精々頑張れよ」
 それだけ言って、部屋から出て行ってしまった。
 だだっ広いリビングに取り残され、呆然と手元にあるスマホを眺める。まるで、地獄行きの切符を手渡されたような気持ちだった。


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