01
どこかのマンションの地下駐車場からエレベーターに乗り込む。最新のセキュリティらしく、手を画面に翳すだけで階数のボタンを押さなくてもエレベーターは動き出した。
軽い浮遊感に、頭がクラクラする。心臓はさっきからバクバクしっぱなしで、そのうち止まってしまいそうだ。
(いっそのこと止まった方が楽かもしれない……)
恐る恐る視線を上げて、前に立つ男の後ろ姿を見る。派手なピンク色の髪に、見るからに高そうなストライプ生地のスーツ。今日初めて会った男だ。名前も素性も知らない。
ただひとつ分かるのは、この男が私の命を握っているということだけだ。
一体、何がどうして、こんなことになったのか。
ことの起こりは、一時間ほど前に遡る。
その夜、私は明かりもつけずに四畳半のアパートで息を潜めていた。最近家にまで押しかけてくるようになった闇金の取り立てに在宅を悟られないようにするためだ。
暗闇の中、物音を立てないようにじっとしていたら、突然玄関のドアが乱暴に叩かれた。
「おーい、いねぇのか?」
ドンドンドン! と何度もドアを叩く音とともに男の声が響く。聞き覚えのない声だったけど、こんな真夜中に訪ねてくるなんて取り立て以外に考えられない。
いつものように布団をかぶって居留守を貫こうとしたとき、何かを破壊するような派手な音がして飛び起きた。見ると、玄関のドアが蹴破られていた。
(嘘でしょ!? そこまでするか普通!)
これには、心臓が飛び出るかと思うくらいびっくりした。いくらなんでもドアを蹴破られるとは思わなかったから。
無惨に壊されたドアの向こうから現れたのは、口の両端に目立つ傷痕のある男だった。絶句する私を見て「なんだいるんじゃねぇか」と不機嫌そうに舌打ちする。
男は土足で部屋にあがり、こちらを覗き込むようにしゃがんだ。
「名字名前だな?」
爛々と目を光らせながら、額に何か硬いものをゴリッと押し付けてくる。
それが拳銃だと分かった瞬間、ぞっと全身が凍りついた。
「ひっ……!」
悲鳴をあげてその場にへたりこむ。映画やドラマの中でしか見たことなかった鉄の塊が、今まさに私の頭に突きつけられている。ありえない。ここほんとに日本?
(私、殺される……?)
あまりの恐怖に頭が真っ白になる。
男は口元を歪めて、獲物を狙う獣のようにゆっくりと目を細めた。
「選ばせてやるよ。このまま撃たれて死ぬか、黙ってオレについてくるか。好きな方を選べ」
男が親指で拳銃の安全装置を倒した。カチリという音に全身の肌が粟立つ。死という言葉がはっきり頭を過ぎった瞬間、私は思わず叫んでいた。
「つっ……ついていきますっ!!」
答えは最初から決まっていた。とにかくこんなところで虫けらのように殺されるなんて絶対に嫌だった。
「よし、決まりだ」
男は満足気に笑って、有無を言わせぬ力強さで私の腕を引っ張りあげた。そのまま引きずられるようにして車に押し込められ、このマンションまで連行されたというわけだ。
ここ一時間の間に起きたことがあまりに衝撃的すぎて頭がまったくついていかない。
いったい、これから何をさせられるんだろうか。男にはついてこいと言われただけでそれ以上の説明は一切されていない。しかし、相手は拳銃で脅してくるような人種だ。まともなものが待ち受けているはずがない。
(風俗に沈められるとか……いやそれならまだマシだ。臓器売買、もしくは事故に見せかけて自殺させて保険金をもらおうとしてるとか……)
こういう時ばっかり頭が働いて、嫌な想像がぐるぐると頭の中を回る。逃げ出したい気持ちがどんどん膨れ上がるが、殺されるかもしれないと思うと実行に移す気にはなれなかった。
それに、私に借金があることは逃れようがない事実だ。私が作った借金じゃないけど、返済義務は私にある。たとえ今逃げることができたとしても、またあの地獄のような日々に逆戻りするだけだ。
エレベーターが上昇するにつれて、絶望感が募っていく。処刑される前の獣ってこんな気持ちなんだろうか。
(神さま、どうか命だけはお助けください!)
もうここまでくると神頼みするしか出来ることはない。心で手を合わせて懇願しているうちに目的階に着いたらしく、エレベーターの扉が静かに開いた。