にせものも悪くない 2


 深夜。家族が寝静まったのを見計らって、私はこっそり家を抜け出した。行き先は近くのコンビニ。なんだか無性にアイスが食べたくなったので買いに行くことにしたのだ。

「蒸し暑……」

 夏の終わりとはいえ、夜の外気はまだむっとするような熱気を孕んでいる。Tシャツと短パンという軽装でも十分暑い。さっさと買って帰ろう。そう思いながら、いつもより大股で歩いた。
 コンビニまでは徒歩で数分もかからない距離なのですぐに到着した。店内に入ると、ひんやりとした空気に包まれて少しだけほっとする。目当てのアイスコーナーへ直行し、バニラ味のカップアイスを手に取る。さっさと会計を済ませようとレジへ向かったところで、ふいに背後から声をかけられた。

「――名前?」

 振り返ると、そこには制服姿の秀一がいた。彼は驚いたような表情を浮かべている。私も同じ気持ちだった。まさか深夜のコンビニで秀一と遭遇するとは思ってなかった。

「……あー、びっくりした」

 とりあえずそんな言葉を口にすると、秀一は肩をすくめてみせた。

「それはこっちのセリフ。こんな遅くに出歩いていいの?」
「まあアウトだけど、ちょっとアイス買いに来ただけだし」
「深夜に食べると太りますよ」
「はい、余計なお世話です!」
 思わず言い返すと、秀一が小さく笑った。デリカシーないなぁとぼやきつつも、その笑顔を見て私の頬もつられて緩んだ。

 会計を済ませると、私たちは並んで歩き出した。時刻はすでに十二時を過ぎている。住宅街は静まり返っていて、遠くから車の走る音が聞こえてくるくらいだ。そんな静かな道を二人で黙々と歩く。お互い特に会話はなかったけれど、不思議と居心地の悪さを感じることはなかった。
 そのまましばらく無言で歩いていたけど、ふと思い立って口を開く。

「ところで、秀一はこんな時間まで何してたの? まだ家に帰ってないみたいだし」

 秀一は一瞬押し黙ったあと「まぁ、ちょっと」というなんとも意味深な返答をした。

「えぇーなにそれ、なんかあやしいんだけど」
「色々あるんだよ」

 秀一にしては珍しく歯切れの悪い返答だったのでますます怪しさが増していく。なんだろう。何か後ろめたいことでもあるんだろうか。

「……もしかして、家出?」

 ふいに浮かんできた考えをそのまま口に出すと「まさか」と即座に否定される。まぁそうだよね。やっと志保利さんの体調も良くなったわけだし。

「じゃあ一体何してたのさ」

 食い下がると、秀一は考えるようなそぶりをしたあとぽつりと答えた。

「奉仕活動ってとこかな」
「なんだそりゃ」

 あまりにも予想外の回答だったためつい突っ込んでしまう。

「奉仕活動ってあれだよね? 老人ホームとかに行ってお年寄りのためにお茶くみしたり、公園のゴミ拾いとかするやつ」
「そうだね」
「えっ、ほんとにお茶くみしてたの?」
「いや、オレがやったのは清掃活動の方かな」
「ほー。そりゃまたご立派な。にしても、なんでまた急に?」

 素朴な疑問をぶつけてみると「別に大した理由はないよ」と笑ってはぐらかされた。
 怪しい。絶対何か隠してる。疑惑の目を向けるものの秀一はそれ以上何も言わず涼しげな顔で歩き続けている。うーん、気になる。

「怪しいなぁー。本当はなんかやらかした罰としてボランティアさせられてんじゃないの? 秀一もついに不良の道に足を踏み入れたか」

 茶化すようにそう言うと、秀一はふ、と小さく笑いを漏らした。

「そういう名前こそ深夜に出歩くなんて不良の仲間入りだね。おばさんが知ったら怒るんじゃないかな」
「うぐ……」

 痛いところを突かれて言葉に詰まる。そんな私の様子を見て、秀一はおかしそうに笑った。

「名前は昔から変わらないな」
「どういう意味よ」
「そのままの意味だよ」

 秀一はそれだけ答えると、口を閉ざした。これ以上この話題を続けるつもりはないらしい。私は不服ながらも追及を諦めることにした。これ以上つついても秀一は何も話してくれないだろうし。相変わらずよくわからない奴だ。
 私は隣を歩く秀一の横顔をちらりと盗み見た。

(でも、最近なんだか妙に楽しそうなんだよねぇ)

 前までの秀一とは少し違う気がする。具体的にどこが違うのかと言われるとうまく説明できないけれど、纏っている雰囲気みたいなものが柔らかいのだ。志保利さんが入院していた頃と比べると随分と表情も明るくなったと思う。
 数ヶ月前、志保利さんの病状が悪化して入院が続いていた時期があった。私も何度かお見舞いに行ったけど、志保利さんが気丈に振る舞っていたこともあり弱っている様子はあまり感じられなかった。だけど一時は生死の淵を彷徨うほどだったというからきっとものすごく苦しかったに違いない。その頃の秀一がよく思い詰めた顔をしていたことを私は知っている。日に日に弱っていく母親を前に彼がどんな心境だったのかと思うと、想像するだけで辛いものがあった。
 でもその後、奇跡的に志保利さんの病気が全快したと聞いたときは本当に嬉しかった。そして同時に安堵した。志保利さんに何かあったら、秀一までいなくなるような気がして怖かったから。
 だから最近の秀一の変化は良いことだと思う。……ただ、若干引っかかるところがあるというのも本音だった。

(なんだろう、なんか吹っ切れた感じがするというか、憑き物が落ちたみたいになったというか……)

 なんとなく秀一がそうなったのは志保利さんことだけが理由じゃない気がする。何か別の要因が絡んでるんじゃないだろうか。そんな気がしてならない。

(……でも、私には話してくれないだろうなぁ)

 秀一に秘密主義なところがあるのは昔からだし、そこら辺はもう諦めてるけど、やっぱりちょっと寂しい気持ちもある。

「――名前、聞いてる?」

 ふいに声をかけられて我に返った。どうやら考え事をしているうちにぼーっとしてしまったようだ。

「えっ、何?」
「やっぱり聞いてなかった」
「ごめんごめん。それで何の話だっけ?」
「週末の勉強会の件なんだけど……」

 秀一の言葉を聞いて思い出した。そうだ、中間テストが近いから秀一に勉強見てもらうことになっていたんだ。今の今まですっかり忘れてた。でもそれを言ったら呆れられそうだから無言で頷いておく。秀一は少しだけ眉尻を下げて続けた。

「実は用事が入っちゃって、次の週に延期させてもらえないかな」
「あ、そうなんだ。うん、全然おっけー」

 そう返すと、秀一はほっとしたように微笑んだ。むしろ延期じゃなくて中止にしてくれても構わないんだけど、さすがにそれは言えない。秀一に教えてもらわないと成績が危ないのは事実だし。

(ん? 待てよ。週末に予定って、もしかして……)

 そこまで考えたところで、ふとある可能性に行き当たった。

「ひょっとして、その用事って女の子とデートとか?」

 そう訊ねると、秀一は一瞬目を丸くしたあと呆れたように溜息をついた。

「なんでそういう発想になるかな」
「えっ、違うの?」
「違うよ」

 あっさり否定されて拍子抜けする。

(絶対そうだとおもったのになぁ)

 彼女ができたのなら、最近秀一が変わったのも納得がいくし。

(なんで秀一って彼女作らないんだろう)

 昔から不思議だった。秀一とは中学まで同じだったから、彼がモテていたことはよく知ってる。中学に上がってからはずっと別のクラスだったけど秀一の噂は度々耳に入ってきたし。たしか同じクラスにいい感じの子もいたんじゃなかったっけ。結局その子とは付き合わなかったみたいだけど……。
 そこまで考えたところで、不意に秀一が足を止めた。つられて私も立ち止まる。どうかしたのかと思って彼の方を見ると、思いがけず真剣な眼差しと目が合った。
 秀一は無言のままじっと私の顔を見つめている。あまりに真っ直ぐな視線に息を呑む。

(なにこれ。なんの時間?)

 気まずさに堪えきれずに口を開こうとしたとき、秀一が静かに口を開いた。

「名前はいいの」
「へ?」
「オレが誰かと付き合っても、名前はそれでいいの?」

 ――いや、いいですけど。
 咄嗟にそう言いかけるけど、秀一の妙な迫力に気圧されて口を噤む。なんだこの空気。急にどうした。
 私と秀一はお互いの顔を見つめ合ったまま、数秒間立ち尽くしていた。沈黙を破ったのは秀一の方だった。彼は私の反応を見て小さく笑うと、いつものようにさらりと言った。

「冗談だよ」

 その一言を聞いた瞬間、私は全身の力が抜けるような感覚を覚えた。……なんだ、今の。心臓に悪い。

「ほら、行こう」

 秀一が歩き出す。こっちはまだ困惑の真っ只中だというのに秀一はまるで何もなかったかのように涼しげな顔をしている。釈然としない気分になりながらも、私は慌ててその後を追いかけた。

(なんだったんだ……?)

 さっきの出来事を思い返しながら私は首を傾げた。ただ単に揶揄われただけなんだろうけど、それにしてもやけに真に迫っていた気もする。
 隣を歩く秀一の横顔を盗み見る。相変わらず何を考えているのかよく分からない。だけど今だけは少しだけ胸の奥がきゅっと締め付けられる気がした。

(……まさかね)

 自分でもよくわからない感情を誤魔化すように、私はそっと胸に手を当てる。心臓がどくんどくんと脈打っているのを感じたけど、きっと慣れない空気に緊張したせいだろう。そう自分に言い聞かせて、それ以上考えることを止めた。


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