にせものも悪くない


 幼馴染の南野秀一は完璧だった。頭脳明晰で成績は常にトップ、スポーツも万能。おまけにルックスまでいいときている。普通そんな人間は周囲からのやっかみを買うものだけど、彼はそこら辺の立ち回りも上手かった。誰に対しても分け隔てなく接し、かつ他人への気遣いを欠かさない。しかもそれを嫌味な感じではなく自然にやってのけるのだ。まさに非の打ち所がないとはこの事だろう。
 だけど、私が彼に対して抱いている印象は少し違っている。確かに顔立ちは整っているし、頭も良い。性格もいい方だと思う。でも、その外面の良さの下に何か別のものが潜んでいる気がしてならないのだ。それが何なのかはよく分からない。幼い頃からずっと一緒にいたからこそ分かるような些細な違和感でしかないのだけど、私は今でもその違和感を拭い去る事ができずにいる。幼馴染という関係にも関わらず、私にとって南野秀一はどこか得体の知れない人間のままなのだ。


「おかえり、名前」

 その日、寄り道することなく真っ直ぐ帰宅した私を出迎えたのは、学ラン姿の秀一だった。玄関で靴を脱いでいる最中に声をかけられたため、私はそのままの姿勢で固まった。

「え、なんでいるの?」

 呆気に取られる私を見て秀一が苦笑する。するとリビングからお母さんの声が飛んできた。

「今日は秀一くんがうちに晩ご飯食べにくるって言ったじゃない」
「あー、そうだっけ……?」

 そういえば今朝そんな事を言っていたような気もするけど、遅刻ギリギリだったから適当に聞き流していた。
 秀一の方を見ると、いつものように人当たりの良い笑顔を浮かべている。このやたらと整った顔を見るのもなんだか久しぶりな気がする。
 南野一家はお隣さんで、私が小さい頃から家族ぐるみのお付き合いをしている。秀一の母親である志保利さんは昔から体が弱く入院がちだったため、秀一のお父さんが仕事で帰りが遅い時などはよく秀一がうちに預けられていたのだ。中学に上がったあたりからはそういう事も減ってきていたんだけど、それでも月に一度はうちでご飯を食べにくるのが習慣になっていた。だけど秀一のお父さんが亡くなって以来、そういう機会も無くなっていた。

「久しぶり。元気にしてた?」

 脱いだ靴を下駄箱に入れる私に、秀一は爽やかな声音で尋ねてきた。

「相変わらずだよ。秀一は? 」
「こっちも変わらず」
「そっか」

 なんてことのない会話を交わしながらこっそり秀一の様子を観察する。別にこれといった変化は見られない。いつも通りの秀一だ。ただ、私の気のせいでなければ、ほんの少しだけ表情に影があるように見えた。

(もしかして、志保利さんの具合よくないのかな……)

 気になったけど、今は聞くタイミングじゃないと思い直して口を閉じる。とりあえずリビングへ向かうと、テーブルの上にはすでにいくつかの料理が並んでおり、あとはメインディッシュを待つばかりといった様子だ。いつもより食卓が豪勢に見えるのはきっと気のせいじゃない。

「すみません、お世話になります」

 秀一が頭を下げると、お母さんは満面の笑みで返した。

「秀一くんならいつでも大歓迎よ! むしろ名前の勉強見てもらえるんだから助かるわぁ」
「えっ!?」

 それは完全に初耳だ。

「ちょっとお母さん! 聞いてないよ」
「そりゃ言ってないもの」

 しれっと返され、言葉を失う。

「いいじゃない、あの盟王学園の生徒に教えてもらえる機会なんてそうそう無いんだから。しかもあんた、この間のテスト散々な結果だったでしょ? ちょっとは秀一くんを見習って勉強しなさい」
「うっ」

 痛いところを突かれてしまい、何も言い返すことができない。

「そんなわけだから秀一くん、なまえの事よろしくね」
「はい、分かりました」
「まじかぁ……」

 予期せぬ事態に肩を落としていると、横からくすりと笑う声が聞こえてきた。反射的に視線を向けるが、秀一は何事もなかったかのように涼しい顔をしている。

「ちょっと。今笑ったでしょ」
「いいや?」

 しらばっくれる秀一を睨むように見つめるが、効果は全くないようだった。

(この猫被りめ……)

 心の中で悪態をついていると「早く着替えてきなさい!」と急かされたので渋々リビングを出た。
 その後すぐにお父さんも帰ってきて、食事中は賑やかなものとなった。話題の中心は主に秀一についてで、両親はしきりに彼を褒めちぎっている。横で聞いてて恥ずかしくなるくらいだったけど、当の本人は照れる素振りを見せるわけでもなく終始落ち着いた態度で受け答えをしていた。さすがと言うべきかなんというか……。

「はー、お腹いっぱい」

 夕食を終え、私は秀一と共に二階にある自分の部屋へと移動していた。秀一は部屋に入るなりカーペットに座り込んでお腹をさすっている。

「残してもよかったのに」
「せっかく作ってもらったしね。それにおばさんの料理美味しいからつい」
「律儀な奴」

 呆れたような笑みをこぼしながら腰を下ろす。ローテーブルを挟んで向かい合う形になって、私は何となく落ち着かない気持ちになった。昔はこうして一緒の部屋にいても何とも思わなかったけど、久しぶりだからか少しだけ緊張する。
 しかし秀一の方はというと、特に気にする素振りもなくリラックスした様子だった。私だけが意識してるみたいでなんだか悔しい。そんな私の心中など知る由もない秀一は「じゃあ早速だけど、前回のテストを見せてもらえるかな 」と切り出した。

「えー、もうやるの?」
「もちろん。ほら、早く」
「……分かった」

 しぶしぶ机の引き出しから答案用紙を取り出し、秀一に手渡す。秀一は内容を確認すると黙り込んでしまった。沈黙が痛い。

「これは……ひどいな。特に数学」
「うっ」

 容赦の無い一言にぐさりと胸を刺される。自覚はあるだけに余計にダメージが大きい。

「名前って数学苦手だったっけ?」
「中学の時はそこまでじゃなかったけど、高校入ってから急に分からなくなったっていうか……」
「なるほど」

 秀一はしばらくテスト用紙と睨めっこしていたかと思うと、突然顔を上げてにこりと笑った。

「テストの見直しは置いておいて、今日出された課題を片付けようか」
「……もしかして見捨てた?」
「まさか。ただ優先順位を考えただけだよ。オレは名前がサボらないように見張ってるから」

 もっともらしい顔して言ってるけど、絶対面倒臭くなっただけだ。不満を込めてじとりと睨んでみるが、秀一はどこ吹く風といった感じだ。

(なーんか私には雑なんだよなぁ……)

 昔から秀一はこういうところがあった。基本的には優しいんだけど、たまに扱いがぞんざいになるというか、適当な時があるのだ。多分気を許してくれてるってことなんだろうけど、やっぱり釈然としない部分もあるわけで。まぁ、ここで文句を言ったところでどうにもならないので、大人しく鞄からプリントを取り出した。

「分からないところがあったら声かけて」
「りょーかい」

 返事をしつつ、私はシャーペンを走らせた。……とはいっても、さっそく一問目から躓いて秀一に助けを求める羽目になってしまったんだけど。秀一は文句を言うでもなく、的確に解くコツを教えてくれた。そのおかげで問題を解くペースは思ったよりも速くて、気づいた時には残り二、三問を残すのみとなっていた。

「すごい! こんなスムーズに解けたことないよ」
「それは良かった」
「秀一って教えるの上手いよね」

 素直に感心していると、秀一は「そりゃどうも」と微笑んだ。

「はー、さすが盟学の生徒だわ。ねえ、ちなみに秀一は高校の成績ってどうなの? 良いとこ行ってたりする?」
「まぁ、悪くはないんじゃないかな」
「ちなみに、前回のテストは学年で何位?」
「一位だね」

 事も無げに言われて思わず固まる。

「まじで?」
「まじです」
「す、すご……」

 盟王学園は全国トップレベルの進学校だ。そんな中でも首席って、いくらなんでも出来過ぎじゃないだろうか。

「どこまでも可愛げのない奴め……」
「褒め言葉として受け取っておくよ」

 秀一は余裕の笑みを浮かべている。それがまた憎たらしい。
 なんだか集中力が切れてしまったので、私はペンを置いて頬杖をついた。

「秀一はいい大学行くんだろうなー」

 口に出した瞬間、あ、しまった、とちょっと後悔した。これ系の話題は広がらないって分かってるのについ口が滑ってしまった。

「大学ね。考えたことないな」

 案の定秀一は興味なさそうに答えた。
 小さい頃からずっとこうなのだ。将来の話とかになると、秀一はいつも決まって「考えたことない」と言って話を終わらせる。まるで自分の将来なんて無いみたいな言い方をするから、私はいつも少しだけ悲しくなる。
 秀一は頭がいいし何でもできるからきっと色んな道を選ぶことができるはずなのに。どうしてこんなに自分の将来に無関心なんだろうと昔からずっと不思議だった。……いや、不思議というよりは、不気味と言った方が正しいかもしれない。
 出会った頃の秀一は、何を考えているのかよく分からない子供だった。今よりもっと表情が乏しくて、いつもどこか冷めたような目をしていて。人間味を感じないというか、なんだか現実離れした雰囲気を纏っていた気がする。正直言って、少し怖かった。成長するにつれてだんだん感情表現が豊かになっていったけれど、それでもやっぱり本質的な部分は変わっていない気がする。だから時々不安になるのだ。いつまで経ってもこの幼馴染のことが理解できないまま、いつか私の前から消えてしまうんじゃないか……って。

(なんて、そんなわけないか)

 私は軽く頭を振ると、無理やり思考を切り替えようとした。ちょうどその時、秀一が口を開いた。

「ま、母さんは進学してほしいみたいだけどね」

 急に志保利さんが話題に出てきて内心ドキッとする。

「へぇ、そうなんだ?」

 動揺を悟られないように平静を装いながら相槌を打つ。すると秀一は「うん」と小さく首を縦に振った。

「直接言われたことはないけど、そういう空気を感じることはあるかな」
「そっか」

 秀一は母親思いだから、きっと志保利さんの希望に沿う形で進路を決めるつもりなんだろう。なんとなく、彼の性格を考えるとそんな風に思えた。

(――志保利さん、大丈夫なのかな)

 さっき気にかかったことが再び脳裏に浮かぶ。最近顔を見ていないせいか、余計に心配になってくる。でも突っ込んで聞いてもいいのかな。あとでお母さんに聞いた方がいいかも……そんなことをぐるぐる考えていると、不意に秀一がふっと笑みをこぼした。

「名前って分かりやすいよね」
「何がよ」
「母さんのこと気にしてくれてるんでしょう。大丈夫。今回は検査入院だからすぐ帰ってくると思うよ」
「……そっか。なら良かった」
「うん」

 秀一はそれ以上何も言うことなく、ふと目を伏せた。その目はどこか遠くを見ているようでもあり、何かを覚悟しているようにも見えた。途端に、胸の奥がぎゅっと締め付けられる感覚がして、思わず声をかけていた。

「秀一、どうしたの?」
「え?」

 秀一はハッとしたようにこちらを見た。その瞳にはわずかに困惑の色が見え隠れしている。

「いや、なんか考え事してるように見えたから」
「ああ……ごめん。なんでもない」

 秀一はそう言いつつも、どことなく歯切れが悪い。

「秀一、なんか変な顔してたよ」
「……どんな顔?」
「うーん、そうだなぁ。うまく言えないけど、碌でもないこと考えてそうな顔っていうか」

 あ、まずい。ちょっと言い方悪かったかな。内心焦っていると、秀一はきょとんとした顔になった。そして次の瞬間、ぷっ、と吹き出した。くっくっ、と肩を揺らしながら笑われて、今度は私が面食らう番だった。

「な、なんで笑ってんの」
「いやー、予想外すぎて。名前ってたまに鋭いこと言うよね」
「どういう意味それ」
「でも肝心なところは鈍感なんだよね。図太いというか。まあそこが良さでもあるんだけど」
「え、貶されてる?」
「まさか。褒めてるんだよ」
「いや、全然褒められてる気しないんだけど」
「あはは」

 秀一はひとしきり笑い終えると、「本当に何でもないんだ」と付け加えた。

「そんなことより、名前は早く課題を終わらせないと」
「……誤魔化した」
「誤魔化してないよ」

 秀一はくすりと笑うと「ほら、集中」と言って、トンと私の頭を小突いた。これ以上は話すつもりはないらしい。釈然としない気持ちになりながらも、私は渋々ペンを手に取った。すっかりやる気が失せていたけど、あとちょっとだしさっさと終わらせよう。そう思ってプリントに視線を落とした時、秀一がぽつりと呟いた。

「……まあ、名残惜しくないと言ったら嘘になるかな」
「ん? なんて?」

 聞き取れなくて尋ねると「なんでもないよ」と小さく首を横に振られる。またはぐらかされた気がして、私は唇を尖らせた。別に無理に聞こうとは思わないけど、やっぱりもやもやする。それに、何だか嫌な予感がする。さっきの秀一の思い詰めたような顔が頭から離れない。

(でも秀一がなんでもないって言ってるんだから、きっと大丈夫だよね)

 そう自分に言い聞かせて、私は再びペンを走らせ始めた。胸の奥に芽生えた不安を必死に見ないふりをしながら。

 その不安も、一ヶ月後に志保利さんの病状が完全に回復したことで杞憂に終わるのだけれど、この時の私はまだ知る由も無かった。


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