バッドエンドとそれから


 マイキーが死んだ。ビルの屋上から飛び降りて、即死だった。
 あらゆるメディアが彼の死を報道し、目撃者が撮影した映像も瞬く間に拡散された。飛び降りた直後、ビルの中にいた人間がその腕を間一髪で掴む。数十秒の膠着ののち、二人とも落下する。マイキーを助けようとしたのは花垣武道だった。
 その一部始終を、私は他の大勢の人たちと同じようにニュースを通じて知った。画面越しに報じられる内容はまるで別世界の出来事のようで、にわかには信じられなかった。
 私はすぐさま電話をかけた。決して繋がらない番号に何度も、何度も。狂ったようにかけ続け、延々と続く呼び出し音を聞いているうちに、ようやく現実を受け入れ始めた。この電話の先には、もう誰もいないのだと。

 ――いつか、こんな日が来ることを心のどこかで覚悟していた。しかし実際直面すると、いかに自分の覚悟が弱かったか思い知らされた。
 昨日までいた人が、不意にこの世からいなくなる。どんなに願っても二度と会うことは叶わない。その絶望は何度経験しても慣れることなんてない。

 しばらくの間は何も手につかなかった。生活も仕事もすべて投げ出して、幼い子供のように泣きじゃくった。激しい後悔が胸を突き上げ、枕に顔を埋めて大声で叫ぶ夜もあった。何も考えなくてすむ赤ん坊に戻ってしまいたいとさえ思った。
 やがて涙も枯れ果て、茫然とベッドに横たわっていたある日、知らない番号から着信が入った。不審に思い一瞬出るのを躊躇う。恐る恐る通話ボタンを押して耳に当てると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「よぉ、名字」
「――九井?」

 予想だにしていなかった相手からの電話に、思わず眉を顰める。
 九井とは昔から面識はあるけれど、関係はかなり希薄なものだった。番号を教えた覚えもない。その九井がわざわざ私の番号を手に入れてまで電話してくる理由がわからない。

「何の用?」
「伝えておきたいことがあってな」

 いったい何を言われるのか。今の憔悴しきった心と体で果たして受け止められるだろうか。悟られないよう静かに息を吐き出してから続きを促すと、真剣な口調で九井が話し始めた。

 ――九井の口から語られたのは、現在の梵天の混沌とした状況だった。
 マイキーが亡くなったあと、梵天は内部で小競り合いが多発し解散寸前の状態にまで陥っているという。その内紛の火付け役となったのが春千夜の存在だった。
 最後にマイキーの側にいた人間が春千夜だったことから彼に責任を取らせるべきだと一部の人間が騒いでいるらしい。さらに事態を悪化させているのが、マイキーが亡くなった日から春千夜が姿をくらませていることだった。本来ならば統率を取るべき場面で組織のナンバー2が失踪した影響は大きく、反感をさらに強める結果になってしまった。一部の過激派は春千夜の裏切り行為であると見なし、彼を探し出して落とし前をつけさせようと躍起になっているとのことだった。
 語られる内容は私にとってあまりにも現実離れしたものだった。おそらく説明されたことの半分も理解できていないだろう。それでも、春千夜の身が危機に晒されているということだけは分かった。
 背筋に冷たいものがすうっと滑り落ちていく。焦燥感に駆られ、喉を突き上げるように声が出た。

「春千夜は今どこに?」
「とある場所で身を隠してる。だが見つかるのも時間の問題だろうな。何せ本人にどうにかしようって気力がまるで無ぇ」

 抜け殻のようになっている春千夜の姿が容易に想像できて、ぐっと奥歯を噛み締める。九井の話を聞きながら胸がふつふつと熱くなった。何かに立ち向かっていこうとする強い感情が溢れてくる。
 九井は私の言葉を待つように沈黙している。逡巡した後、最初に疑問に思ったことを切り出した。

「どうして私に教えてくれたの」
「どうしても何も、アンタ三途のこと好きなんだろ」

 直球で返され、一瞬思考が停止する。

「何も知らないままじゃさすがに不憫だと思ってな。後々恨まれても面倒だし。アンタ相当執念深いって聞いたしな」
「……」

 それはいったい誰から聞いた情報なのか。
 あまり関わりのない九井にまでそんな認識を持たれていたと思うといたたまれなくて返す言葉を失う。思わず顔を伏せると、笑いまじりの吐息が電話越しに聞こえてきた。

「これ以上知ってるやつが死ぬのは寝覚めが悪い。ただそれだけだ」

 九井の言葉に引っ張られるように顔を上げる。その声には、隠しきれない寂寥が滲んでいた。

「ま、面倒なことに巻き込まれたくないってんなら聞かなかったことにしてくれ。じゃあな」
「あ、ちょっ……」

 唐突に通話を切られ、耳から離した携帯を見下ろす。胸の奥底から絞り出されるように溜め息が漏れた。
 ふいに、目尻に溜まっていた涙が頬を伝った。唇を噛んで、洟をすする。ただ泣いてばかりいるのはもうやめよう。ふんっとおなかに力を込めて、ベッドから立ち上がった。
 ようやく涙に濡れた枕を置いてバスルームに向かった私は、鏡に映った姿に思わず怯んだ。まるで廃人のような顔だ。水道の蛇口を全開にし、顔に水をかけて背筋を伸ばす。それだけで身が引き締まる気がするから不思議だった。
 悲しみや後悔がなくなったわけじゃない。それでも、いつまでも立ち止まってばかりじゃいられない。まだできることは、きっとあるはず。そして、ただ考えるよりは体を動かしていた方がずっといい。
 寝室に戻り、枕元に置かれた携帯を手に取る。着信履歴の一番上にある番号に掛け直した。 

「……もしもし九井? 頼みたいことがあるんだけど――」


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