それは昔、私がまだ色恋などを知らぬ子供だった頃の話である

私が営むのは古書屋とは名ばかりの古道具屋…今で言うリサイクルショップの様なものだった。
両親には仕事があったから、店番は昔からおばちゃんと私の仕事
けれど仕事と言ったって薄暗い室内で日がな一日いつ来るともしれないお客を待つのみ
偶に二、三人の客が入るが本や雑貨を買って行くのはごくごく稀で
いつしかおばちゃんは病気がちになり、私も計算を覚えたので一人で店番をする様になった…そんなある日の事

ちりん、とめったに鳴らないカウベルが客の来店を告げた




「いらっしゃいませ」




この頃、私は少し変わった一人遊び…というか賭けが好きだった
それは来店した客が何かを買って帰るか否か、それは一体何か…―――
だから私は入って来た男のその容姿と全身黒づくめの服を見て、あぁハズレだなと思った
こういう人は変わった物を見るのは好きだが買わないし、第一買う金がなさそうだ
私はそうアテを付けると早々と客に興味を失って、手にしていた本に視線を戻した…刹那




「あの、すみません」
「……は、…―――はい?」




かけられた声に顔を上げた私は心底驚いた
だって目の前には先程の男が両手に持ちきれない程の本を抱えて立っていたのだから…正直、何かの冗談だと思った




「これと、あとお店の前にあるパンダの置物って売り物ですかね?」
「…あ、は、はい」
「じゃ、それいただけますか」




この男は頭がおかしいんじゃないか、と本気で思った。

パンダの置物を引き取ったおばちゃんもおばちゃんだけれど、買うというこの男も容姿はいいがそうとうバカなのかもしれない
私は一瞬呆気にとられて、まじまじとその男の顔を見てからゆっくりとカウンターから出た




「えっと…これでいいんですよね」
「はい」




表へ出るまでに『冗談だ』と言ってくれるかと思った私の予想は見事に外れ、値段確認の為にそう訪ねればしっかりと首を縦にふって下さった……しかし、だ。
表で待っていたのだろう、友人のような男はそれを聞いた途端に『おいおいおい』と私とその人の間に割って入った




「お前またこんなもん買うの?っていうか誰が持って帰んだよ、こんなん!!」
「そんなの決まってるじゃないですか、捲簾 お願いします」
「……お前ね」
「これでも我慢してるんですよ?本当はあっちのアイスクリームの置物も――」
「……あーー、もういい!分かったよ!!」




常識的な反応を示した彼が折れた瞬間、私は少しだけ同情すると共にこの変わった男は『我慢』の意味を辞書で調べ直した方がいいと真剣に思った。


そしてそれ以来、この一風変わった男は偶にふらりと現れる様になった
相変わらず奇っ怪で凡人には理解し難い物ばかり買い込んで行く人だったが、時が経つにつれ私はこの人が来るのが楽しみになっていた。
それにならう様に店内には変わった書物や置物やオブジェが増えて、それがより彼に興味を引かせている様だった




「それにしてもお客さんも変わってるよね、こんなに買い込んで収納場所とか困らないわけ?」
「そうですねぇ…実はここだけの話、もう一杯一杯なんですよね 僕の部屋」
「それなのにまた買い込むんですね 私なら絶対にアナタの部屋の下は住みたくないですね」
「あはは ヒドいなぁ…」




お互いを分かり合うなんて事はなかったけれど、いい具合に愚痴を言ったり世間話をする相手にはお互い丁度良かったのだ、しかしそれは本当に突然…終わりを告げた

彼がぱったりと来なくなった

初めは仕事が忙しくて来られないんだろうと思っていた
だから、来た時により驚いて貰おうと私は変わった物を選んでは店に置いた






それから幾年過ぎたか…私は母の勧めで知り合った男性と恋仲になり結婚、子供も産まれて彼の事など殆ど忘れかけていた…そんな時


ちりん、とめったに鳴らないカウベルが鳴った




「いらっしゃいま―――」




私は言葉を失った
そこに立っていたのは彼ではなかったけれど、彼の服装と同じ黒づくめの服を着た男だった
その人は一冊の本を手にゆっくりと此方のカウンターへ足を進めると、静かにただ一言




「これ、いただけますか?」
「………あ、はい」




まるであの時の彼の様だった
私は本を包装し、レジを打ちながら彼の事を聞いてみようかと少しだけ迷ってから、お釣りを渡され踵を返そうとするその人に『あの』と声を掛けた




「あの、アナタの知り合いで同じ黒服に肩くらいまでの黒い長髪で眼鏡を掛けた男性って…いらっしゃいますか?」
「……貴方…天蓬元帥のお知り合いなんですか?」
「……知り合い…というか、お客さんで」




問われた彼は少し驚いた風に眼を見張ってから『そうですか』と声を落としてから『元帥らしいな』と漏らすと、私に向き直って深々と一つ頭を下げた




「お世話になりながらご報告が遅れて申し訳ありません…天蓬元帥はお亡くなりになりました」
「……え?…」
「天上界から逃亡する途中に亡くなったものと」
「………」
「元帥に代わり私からお礼申し上げます 今までお世話になりました」




言われた言葉が上手く消化出来なかった
死んだ……なんて、しかも目の前の彼は彼…――天蓬元帥がまるで此処一年以内に亡くなった様な言い方をしている
それに『天上界からの逃亡』という言葉…ちりん、と再びカウベルが鳴った
その音を聞いて、漸く私はおばちゃんが昔に言った言葉を思い出した


『ここはね、神様に愛される場所なんだ だからお客様は大切にしないといけないよ』


幼かった私は世間がよく言う『お客様は神様』だという意味だと思っていた
けれど、どうやらそれは違ったらしい……
両目から流れ出す暖かいモノを私は止める術を知らず、ただ漏れ出す嗚咽をかみ殺して




「……何よ、それ」




名前も知らなかった
素性も肩書きも仕事も家も家庭環境も、何もかも知らなかった…




「――…何よ、」




けれど、これだけは事実
私は…――





(その神様が死んだ今、私は一体誰に縋ればいいというの?)





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