それはとても、とても静かな夜だった。
ぴっちりと閉ざされた窓の向こうは黒い闇が浮かんでいて、一人きりの部屋にはベッドサイドに置かれたオレンジ色のランプが灯っているだけ。
先程まで本を読んで居たのだけれど、今はその本を膝に置いたまま、ただ見つめているだけ
「八戒、何か飲む?」
ふと思考の間を縫って聞こえて来たのは、今日同室になった翠花の声で。
僕は半ば無理やり思考を切り換えて顔を上げると、ええと返答して立ち上がった。
「僕が淹れましょうか?」
「大丈夫だよ、私が淹れるから座ってて」
「でも…」
小さく苦笑する翠花に尚も声をかけようとして僕は口を噤んだ。
何時もこうだ、どうして自分はこう人の心配ばかりするのだろうか
そりゃあ、翠花は他の三人より注意力が低い所はあるけれど、心配しすぎだろうと思う。
これまでも確かに過保護だとか何だとか言われていたけれど、最近の自分はどうにも度を越してる気がして仕方がないのだ、これではまるで彼女を束縛している様な感覚になる。
だからせめて今日だけでも、彼女を過度に気にかけるのは控えようと思っていたのに…
「八戒…どうかしたの?」
「……いえ、何でも」
「何でも、って感じじゃないけど…」
「……」
「八戒のそういう所、私嫌いだよ」
「―――ッ」
一瞬、心臓が止まったかと思った。
でも顔を上げて視界に入った翠花は少しだけ悲しそうに、それでも笑っていて
彼女は僕の側まで来ると、熱いお茶が入ったカップを差し出して、椅子に座る様に促した。
「八戒はさ、私が悩んでたら何でも聞いてくれるじゃない?まぁ、たまに何も言わなくても気づいてくれてるけど」
「そう、ですか?」
「うん 私はそれで何回も助けられてるし、多分…三人だってそう」
「………」
「でも八戒はもし自分が悩んでたって滅多に口にしないじゃない?」
「そんな事」
「じゃあ、今何で悩んでるか教えて?」
翠花の言葉に答えようと口を開いた僕の声は、寸前で飲み込まれた
こんな事、本当に言ってしまっていいんだろうか?
もし、同意を求めた時…彼女にはっきりと頷かれてしまったら、きっと自分は彼女により情け無い姿を見せてしまうんじゃないだろうか
脳内で葛藤を繰り返す僕に、翠花はお茶を一口飲むと、小さな溜め息を吐き出した
「八戒 大切な事もどんなに下らない事だって、言葉にしなきゃ分からないわ」
「…そう、ですね」
「だから話して?」
「……心配しすぎてないかと、思って」
「心配?」
「貴女の事をずっと束縛してしまってるんじゃないかと不安なんです」
「成程ね…」
言ってしまった…
自分の心臓がバクバク言う音を聞きながら翠花の返答を待っていると、彼女は少しだけ考えるみたいに間を置いてから静かに一言こう言った
「それは分かってたよ」
「え…?」
「分かってた 八戒が何時もより過保護になってるのは知ってたけど、それは私にも分かるから」
「それって…どういう」
「私もね時々思うの、八戒が急に居なくなっちゃったらどうしようって そう思うと寂しくて辛くて、ずっと側に居れたらいいのにって思う」
少しだけ俯き加減で紡ぎ出された言葉は、自分が感じていたのと殆ど同じ感情で
僕は、少し恥ずかしそうに笑う翠花を驚いた顔で見返す事しか出来なかった
それでも彼女がふわりと笑って僕の手を握った瞬間、あぁそうかと何となく納得がいった。
大切な人を失ったからこその不安…それはきっと彼女と僕だから分かり合える事だから
君となら何があっても
(この身体に絡みついた戒めさえ溶かして行ける気がするんだ。)
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