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■幸村考察■

『私って…本当に純情なんでしょうか。』

≪講談などの影響で「真田幸村(さなだゆきむら)」の名で広く知られているが、信繁直筆の書状を始め、彼が生きていた同時代の史料で「幸村」の名が使われているものは存在しない。従って歴史上の人物の名としては「信繁」が正しい。「幸村」の初出は江戸時代の寛文12年(1672年)成立の軍記物語『難波戦記』にあるが、いつしか「幸村」とすることのほうが一般的となり、後には信之の子孫である松代藩の史書ですら「幸村」が採用された。現代では講談・歴史小説・映画などを通じて幸村の名が広く知られている。≫
(Wikipediaより抜粋・以下説明文は同様)

幸村という名はどうも後の時代になってから使われるようになった名前のようで、史実では『信繁』が一般的なようですが、ここではゲーム中に習い、自サイトでも『幸村』で統一する方がスムーズかと思い、その名前を使用させて頂いております。(そこまで歴史に厳密なサイトという訳では有りませんので…)

幸村は当初はあまり高い評価をされていた訳ではなく、真田昌幸の息子という扱いではなく、初めて“真田信繁”として、その武名を知らしめる事となったのは『大阪冬の陣』以降かと思われます。

≪信繁自身についてはそれまで真田氏の次男坊として父・昌幸や兄・信之の名声に隠れていたために評価は低く、徳川家康も昌幸ではなく、その息子で無名の信繁が大坂に入ったと知り安堵の表情を浮かべたとされている≫

そしてこの戦いでの活躍により、幸村はあの家康公にも目を付けられるようになった訳ですが、幸村の誠実で忠義固く、実直な性格をよく表している話としては以下の逸話が有名なようです。

≪大坂方の弱体化を謀る家康は、使者として信繁の叔父である真田信尹を派遣し「信濃の中で一万石を与える」事を条件に寝返るよう説得している。しかし信繁はこれを断った。すると家康は再び信尹を使者として差し向け、今度は「信濃一国を与える」と説得に出た。これを聞いた信繁は「この信繁、一万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか」と再びはねのけたという≫

真田の旗印である六連銭は、六道銭を表していると言われています。

六道銭とは、亡くなった人を葬る時、棺に入れる六文の銭の事で、三途の川の渡し賃のことだそうです。

これを旗印にすることは「不惜身命」(ふしゃくしんみょう:仏法のために身命をささげて惜しまないこと)を意味しているそうなので、この事からも何となく幸村の『御館様の為なら…!!』みたいな忠臣イメージが沸いてきます。

自サイトの夢小説では『=夢主』の事なのですが、好きな女性(ここでは夢主)の為なら幸村は何でもしそうだ、というのが私の中にある幸村の恋愛イメージです。

それこそ、平気で人を殺める事位。

閲覧者から頂いた素敵考察で、幸村はこの真っ直ぐで一直線な性格がいわゆる『ヤンデレ』として自サイトでは書いているのですが、この事はまた個別考察にていつも通りダラダラと述べさせて頂きたいと思います。

彼は参戦させる前からずっと女神様から『ゆっきーは純情!!ピュア!!』と評判だったので、それが物凄く悩みの種になりました。自サイトは基本的に黒夢サイトでありまして、また、私自身もほのぼの系や純情系、甘い系の話を書くのが苦手という部分もありますので、余計にどうすればいいのか見当が付きませんでした。

アナザーの新人兵士君は創作キャラなので、自分的にも

『どういう気持ちでどういう風に行動するのかとかが自分には全く想像出来ないけど(純情振りが)、一応オリキャラだしいいかな!これが無双キャラなら絶対何も書けなかったと思うけど!』

と一人で勝手に結論付けつつ書いていましたので、幸村の参戦は自分にとって非常に難しかったです。

ですが、心優しい閲覧者様方から『幸村はヤンデレではないでしょうか?』という助け船を頂いたおかげで何とか参戦出来たという由来があります。その節は本当に有り難うございました!

ちなみに幸村は『私なぞ大した事はありませんが…』と恥ずかしそうに謙遜しながら、

・実はデカイ
・天然で巧い

という、他のメンズとは違ったアレ時スタイルを披露してくれるのではないかと思っています。いつもながらの勝手な想像です。幸村…恐ろしい子!!

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