「ねえ、咲夜ちゃん。咲夜ちゃんは意地悪だね」

「あら。ちゃん付けなんて私には似合いませんわ、妹様。おやめくださいな」

「私からみたら咲夜ちゃんなんて子供のようなものだよ」

「私からみたって、妹様は可愛らしい子供ですわ」

「……ほら、意地悪」

「ふふ。失礼致しました」


 咲夜は時折、フランドールの部屋に本を読みに訪れる。当然魔女の住まう図書館とは比べるのもおこがましいけれど、ここにも結構な量の本が置いてあるのだ。これらの本に共通するのは、ほとんどが未だ「幻想入りしていない」ということ。
暇を持て余すフランドールに、姉であるレミリアが持ってきたのだ。渡されるもののほとんどは小説や絵本の類だ。人々に忘れられたモノの流れ着く幻想郷には、どうしても名作と呼ばれるものや目新しい本が少ない。図書館に偶然に紛れ込むくらいでしか手に入れられない貴重品なのである。レミリアは決まって「パチェに頼まれた本のついでよ」と言うけれど、フランドールはそれが自分に対する贖罪なのだと気がついていた。実際、それはレミリアがわざわざ紫に交渉して外の世界から取り寄せていたのだが、そこまでは窺い知る由もない。
 とにかく此処には幻想郷に住む者は知らない本が揃っていて、それを目的にして他の妖怪が訪れることが往々にしてあった(もしかしたらレミリアはそれを「視た」のかもしれないが―――フランドールは尋ねなかった)。咲夜はそのうちで唯一の人間だ。魔理沙や霊夢も遊びに来ることはあるが、二人は実用書の方を好むようで、部屋の本には特に興味を示さなかった。咲夜は元々外の世界の人間だ。ずいぶん虐げられていたところを拾われて此処にやって来たそうだけれど、やはり郷愁のようなものもあるのだろうか……。フランドールはとりとめもなく考えながら、咲夜をぼんやりと眺める。

 咲夜はフランドールが知るなかでも一等変わっている。完全で瀟洒な従者。時を操る異能者。悪魔の館のメイド長。
 またお姉さまがふざけた遊びをしている、とばかり思っていた。よっぽど美味しい血なのかしら?とも。けれど、レミリアの咲夜への寵愛といったら目を見張るものだった。もちろんレミリアはフランドールも愛している。可愛い、可愛い、妹。全く恨んでいないとは言わないが、フランドールだってレミリアが大好きだ。だって家族なのだ。当たり前だ。
 一方の咲夜は人間で、そもそもが吸血鬼の食料だ。紅魔館の住人はみんな家族だとかそういう精神論ではない。生まれたときから定められた運命だ。なのに、運命を司るレミリアの目に灯るのは同情でも憐憫でも愉悦でもない。あれは何といえば良いのだろう?経験不足を本で補っているフランドールにはわからない。彼女が知っている言葉では、慈愛……や、信頼……。しっくりこないけれど、そんなものが似合うように思う。
 優しげに微笑む咲夜はポッキリ折れてしまいそうに儚いのだ。ナイフを並べて投げて切り刻むジャック・ザ・リッパー。冷たい目をした鬼のメイド長。どれも正解で、彼女のことだ。けれど。けれど。
 何だろう、この気持ちは。

「馬鹿。意地悪」

 フランドールは咲夜の腕に寄りかかった。
 声の調子の変化に気がついたのか、咲夜はぱたんと開いていた本を閉じる。

「……人間なんか、辞めちゃいなよ」

 咲夜は、ああ、と穏やかに相槌を打つ。

「お聞きになったのですか?」

「ううん……聞いてない、何も。だけどお姉さまを見てたらわかるよ」

「仲がよろしいのですね」

「嫉妬する?」

「ええ、もう。羨ましいですわ」

「そっか。私も、咲夜ちゃん……咲夜が羨ましいよ」


 レミリアの悲しげな顔を思い出す。忠誠を誓っていて、愛されてもいるのに、咲夜は完全にはレミリアのものにならない。当然、フランドールのものにも。壊してばかりいるフランドールには正直、別離の苦しみというものは想像できない。彼女はこの世の誰よりも脆さと弱さを知っていた。生まれれば死ぬし、在れば壊れる。けれど魔理沙や咲夜と接していて、右手をぎゅっと握らないのがフランドールの答えなのだ。彼女が気がついていないだけで、まだ時間が足りていないというだけで、本当は消失の哀しさを一番知っているのはフランドールだ。粉々に砕け散った色々な物の中心にぽつんと佇んでいたフランドールなのだ。
 死なないで。言えないけれど、願う。美鈴に連れられた初対面の咲夜はフランドールと大して背が変わらないほど小さかった。ガリガリに痩せているのに目だけが大きくて、怖い顔をした子供だった。彼女はそこに自分を見た。幼い咲夜はフランドールと同じだった。ようやくレミリアという鞘を得た、剥き出しのナイフだった。彼女は反射的に握りかけた右手を開いた。開いた手で、わしわしと咲夜の頭を撫でた。それを見た美鈴は驚いた顔して、それからとても嬉しそうにフランドールの頭をわしわしと撫でた。咲夜は不思議そうにフランドールを見て、ほんの少しだけ笑った。初対面から十年経っただろうか。四百九十五歳になったフランドールと、未だ二十歳に満たない咲夜。なのに背はぐんと伸びて、すっかり大人の女性だった。また数年すれば咲夜の綺麗な肌には皺ができて、背はまた低くなって、こんなに軽やかな体は動かなくなるのだろう。……フランドールが初めて壊さなかった命なのに。勝手に死んでしまうのだ。
 フランドールはそっと、咲夜の手に持つ本の表紙を撫でた。
 咲夜が読む、いつもと同じ本。

「妹様の言うとおり、私は身勝手な人間です」

 咲夜はフランドールの柔らかな金髪を梳く。フランドールは何も言わないで、表紙を撫で続ける。

「私は、カムパネルラになりたいのです」

「……」

「妹様、お嬢様、パチュリー様に美鈴、それからメイドの子たち……ああ、小悪魔もいましたね。あなた達に比べたらこんなにもちっぽけな人間だけど……一瞬だけ輝いて、気がついたらもういない、そんな存在でありたい」

「……」

「私を人間にしてくれたのは紅魔館です。汚かった私だから、うつくしいあなた達と、うつくしく旅をして……うつくしく、消えたいのです」

「……」

「フランドール様。私がいなくなっても、名前を呼んでくださいますか?」

「……意地悪。嫌い。そんなに死にたいなら、死ねばいいよ。あんたが死んだら大笑いして、好き勝手遊んでやるんだから」

「まあ。それは困りました」


 フランドールは何故か泣きそうになって、ぎゅっと目をつむった。 もしかしたらアイツも、お姉さまも、こんな気持ちで咲夜と接しているんだろうか。
 ぼすんとエプロンドレスに顔を埋めたフランドールのために、咲夜は本をどけてスペースをつくる。
 フランドールは咲夜を見上げる。馬鹿で意地悪な咲夜。お姉さまの愛する咲夜。カムパネルラになりたいという咲夜。一生死ぬ人間の、咲夜。深い闇色のメイド服に、星のような銀色の綺麗な髪の毛。




フランドールは咲夜と身を寄せ合って、うつくしい夜を待つ。





流星の人間





最後の一文を書いて初めて、魔理沙向きの内容だったと気がついた…
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