ホークアイがマスタングの家を訪れるのは、そんなによくある事じゃない。せいぜい月に二回程度だ。軍属の二人はとても忙しく、帰宅が日付を越えてしまうこともしょっちゅうだ。そんな日はベッドに倒れ込んで死んだように眠る。訪れたり、招いたりなんてとんでもない。かと言って貴重な非番を潰してしまうのも馬鹿らしい。二人は恋人でもなんでもない、赤の他人なのである。上司と部下。父の弟子と師匠の娘。そのあやふやな延長線上に位置する、赤の他人なのである。
 そんなわけで、彼女がコンコンと二つドアをノックするのは、大抵は二人そろって定時上がりのできた晩のことであった。

 雑然とした部屋の様子に、相変わらずですねと彼女は苦笑する。これでも私なりの秩序があるんだよ、と彼が反駁するのもいつものことだ。鞄を椅子の上に置くとすぐ、ホークアイはくるくると身軽に動きまわり始める。積み重なる蔵書やメモには、本当にルールがあるのだと知っているから手を触れない。散らばる衣類をさっさとまとめ、溜まり始めた食器をじゃぶじゃぶと洗う。マスタングはあまり家で過ごさないから、そんなに時間もかけずに終わる。部屋はすっかりとは言えないが大方さっぱりとした。マスタングはその様子を眺めながら凄いなと間の抜けた感想を述べた。彼だって、そんなにだらしない方じゃないのだ。ついつい忙しさにかまけてしまうだけで。ホークアイはあまりそれを良く思っていないらしく、こうやってたまに世話を焼く。
 彼女は素晴らしく献身的だ。いつだってマスタングのことを考えている。それが女としてなのか、部下としてなのか、マスタングはよくわからない。でも、まあいいかと思っている。ホークアイを女として見ているのか、それとも部下として見ているのか、マスタング自身もわからなくなっていたからだ。

「台所、お借りしますね」

 了承を得て、彼女は買ってきた食材を並べる。マスタングの家の冷蔵庫がほとんど空っぽなのを見越していたのだ。どうやら今晩はポトフらしい。マスタングの好物である。とんとんとニンジンを切るホークアイの後ろ姿を、マスタングは頬杖をついて見つめている。

 彼女は心のよい人だ。冷静だけれど冷たくない、賢くて穏やかな、とても優しい人なのだ。
 こうやって、毎日彼の夕飯を作ってくれる女であったのならとマスタングは思う。彼の帰りを待ち、頬にキスを落としてくれる女。拳銃の重みなど知らないで欲しかった。ましてや、人の命の重みなど。けれど同時に、彼女が軍人にならなければ今の自分が存在しないことも知っているのだ。
 せめてがむしゃらに感情を振りかざしてくれたらと思う。プライヴェートのときくらい、我が儘を言い身勝手に振る舞えば良い。けれど彼女はそんな性格でもないし、どうしたってマスタングが上司であるという事実は消えないのだ。
 ただ一度だけ、彼女が子供のように泣くのを聞いたことがある。自分と部下の腹を焼き、黒髪の女を燃やして倒れ込んだとき。自分を呼ぶ震えた声を聞いた。激痛のせいで朦朧とした視界の中、ぼろぼろと涙を流す歪んだ顔が見えた。これは思い返して気がついたことだが、彼はその涙を拭ってやりたかった。自分の親指で彼女の眦(まなじり)を擦って、何の心配も要らないのだと言ってやりたかった。男としてなのか、上司としてなのかはわからない。そんなことは、どうだっていい。
 多分マスタングはホークアイを抱きしめたいのだ。大切な、唯一無二の仲間として。許したいし、許されたい。リザ・ホークアイを受け止めたい。だからまた、あんな風に泣けば良いと思う。そうしたらきっと、彼らはまた一歩進むことができるから。


「君、玉ねぎにほんと弱いんだな」

「仕方がないじゃないですか。それなら、大佐が切ってくだされば良いんです」

「私は不器用だから」

「嘘ばっかり」

 ホークアイの瞳からはほろほろと涙が流れている。玉ねぎを切りながら、手の甲で目尻を拭う。
 マスタングはそれを眺めて微笑む。揶揄ではない、優しい笑み。ホークアイはその顔に気がつくと、困ったように瞳を濡らしながら、同じように優しく微笑み返すのだ。





素敵企画「statics.」様に提出させていただいたものです。ありがとうございました!
あと今更ながら、中尉は自分の部屋も片付けてなかったなーと思いました!



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -