小田桐と話すとき、何となく見つめてしまうのは毎日欠かさずにアイロンされているYシャツの襟だ。皺一つ無い、パリッとした美しい襟である。制服に関しては比較的自由な校則に関わらず、生徒会の副会長を務める彼の身なりはとても正しい。髪ですら一筋の乱れも許さずに後ろにピタリと撫でつけられている。
 東雲は服装に関して特にポリシーがあるわけではない(勿論もはや制服の域を脱しているものは別だ。あれは論外。)けれど、その格好の彼らしさは好ましく思っている。アレンジのない制服なのに「らしい」というのも面白かった。

「小田桐くんってさ」

 考えごとをしながらウッカリ口を滑らせた有里は慌てて紙面に集中しているふりをした。しかし小田桐と二人きりの教室で誤魔化せるはずもない。僕がどうかしたかい、と小田桐はいつもの調子で尋ねた。
 彼女は数度瞬きをして、気まずげな笑みを浮かべる。

「ごめん、仕事には関係ない話だから」
「僕はそんなに厳しく見えるのか。参ったな」
「そうじゃないけど、くだらないよ」
「別に構わないさ」

 苦笑混じりなものの小田桐の表情はフランクだ。本当に変わったと思う。彼は今「厳しい」という言葉を使った。それは正しい。しかしそれは決して悪いものでなく、むしろ気持ちの良いものだ。
 まあ、わざわざ訂正するようなことでもない。有里は代わりに言いかけた言葉を続けることにする。

「小田桐くんって私服はどういうの着てるの、って聞こうとしたの」
「それはまた…唐突だな」

 小田桐の常に寄りがちな眉がくいっと動く。珍しく困っているようだった。難しい顔をして服か、と呟く。

「制服以外を着てるところ想像できなくて」

 何だか申し訳ない気持ちで有里は弁解めいた補足をした。

「休日も制服を着てたらどうしようと思ったら、言葉に出しちゃったみたい」
「心配してくれるのは有り難いが、流石に公私は分けているよ」
「そうだよね。ごめん」
「まあ有里くんらしいといえば有里くんらしい」
「うーん、それって誉めてる?」
「どっちだと思う?」
「…誉めてもらったことにする。ありがとう」
「そこで礼を言うのも君らしいよ。良い意味でね」

 小田桐は人差し指の第二関節を顎にあてて、ふむと唸った。
 確かに抽象的で難しい質問だ。有里だってこんな質問をされたら考えてしまうだろう。
しばらくボールペンのカリカリという音だけが響いた後、小田桐は「灰色」と一言だけ口にした。

「灰色?」
「そうだ、黒に近い濃い灰色。服は上手く説明出来ないが、僕の好きな色だからそれなりに多いと思う」
「灰色かあ。うん、似合う色だね」
「ありがとう」
「でも抽象的じゃない?」
「仕方がないだろう。そう言う君は説明できるのかい」
「私?私は…暖色系かな」
「やっぱり色じゃないか」
「仕方ない、仕方ない」
「君は誤魔化すのは下手だ」
「それは小田桐くんの方だと思うよ」

 それを聞いた途端、まさしく聞き捨てならないという風に彼の片眉が上がった。有里は小さく笑ってから、絶対そう、とわざと大真面目に頷いた。小田桐はいかにも納得していない様子だ。
 有里は紙面に目を移して「じゃあ」と切り出した。

「小田桐くん、前に『君の隣に立ちたい』みたいなこと言ったの覚えてる?」
「あ、ああ。覚えている」
「あれってプロポーズ?」
「な……っ!」

 小田桐は息が詰まったように口をぱくぱくと動かしたが、もちろん有里の目には入らない。さらさら。止まることもなくペンを走らせている。ごほんと小田桐は空咳を繰り返した。

「べ、別にそんな深い意味で言ったわけではないんだが…。ああ、いや、君を想っていないとかそういうのではなく、そうだな…時に有里くん、もう下校時刻だ。戸締まりを確認して帰ろうじゃないか」

 しばらくの沈黙の後、有里が堪えきれずに吹き出した。

「ほら、やっぱり下手」

 真面目な顔を繕おうとして失敗してしまった有里は、笑いながら立ち上がった。下校時刻が迫っているのは本当だ。手早く書類をまとめて、筆箱を鞄の中に放り込む。

「あ、吹奏楽部のコンクールのポスター貼るの許可したんだったね。じゃあ部長さんに帰りがけに渡して行こう」
「……ああ、それが良いな」

 足取りも軽く窓に鍵をかけ、カーテンを閉め、鞄を持ち、教室を出ようとした有里は小田桐のやけな深刻な顔にきょとんと瞬きをした。

「どうしたの、小田桐くん?教室の鍵が見つからないとか?」
「いや、鍵は持っている。問題ない」

 目の前にぶら下げた鍵に頷き、多少不可解そうに背を向けたところを見計らって小田桐は口を開いた。

「有里くん。あれがプロポーズだとしたら、二人で一緒に出かけたことすらないというのは可笑しいと思わないか」

 至って真面目な声だった。

「デートをすれば僕の私服も見れるわけだが、どうだろう」

 ピタリと靴音は止まる。
 彼女は深く息を吸い込んで、なけなしの勇気をかき集めた。いや、なけなしなんてことはないはずだ。ただ夜の学校で響く、鎖の音の主を振り返るよりも緊張することだったのだ。息を詰め、ゆっくり振り返る。
 ……そして有里は自身が仕返しされたのを知った。
 くつくつと面白そうに笑って、小田桐は尋ねる。

「さて、返事は?」
「…そうだね、うん、時に小田桐くん。今日は良い天気だと思わない?」
「そうだな、君のそういうところ、心底好きだよ」







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