第4話
「お茶、おかわりいりますか」
松陽が言った。
「いや、いいです。高杉を連れて今日は帰ります。理沙、案内してくれ」
桂は湯呑みを床に置くと立ち上がった。もう帰るのか。口には出さず、私は立ち上がると桂を高杉の眠る部屋に案内した。
高杉は起きていて、布団の上で胡座をかいていた。
「帰るぞ、遅くなると面倒だろう」
「遅くならなくても面倒だけどな」
「お前もいい加減相当難儀だな。物好き、いや物好きではないか。ともかく、運のない奴め」
私には桂の言ったその言葉の意味はあまりわからなかったが、高杉にもいくらか事情があるのだろうと不躾に質問をするのはやめた。高杉は確か武士の子だった気がする。親がどうとかそういうデリケートな話な気がしたのだ。
日が少し傾いてきていて、あと一刻もすれば夕暮れ時を迎えるだろう。洗濯物を取り込まなければ、と考えつつ、高杉の退いた布団を畳んだ。
「む、すまんな。ほら高杉お前も謝れ。理沙も毎度いい迷惑だろうし、この機会にいつものぶんも謝っておけ」
ぐ、と高杉の頭を押さえつける桂に高杉は鬱陶しそうに離せと言い、悪かったなと小さく言った。
普段見る態度からはあまり想像のつかないばつの悪そうな表情になんとなくいたずら心のようなものが疼いて、私は高杉の髪の毛を両手で掻き乱した。
「ほんとだよこのやろう」
「‥‥?!?」
高杉は驚いたような表情を浮かべて自分の髪を撫でる。その様子がなんだかおかしくて少し笑みが漏れた。
「あ‥‥‥‥」
高杉は一瞬目を見開くとすごい勢いで私の手を振り切り、どすどすとやかましい足音をたてながら部屋を出ていってしまった。
「そ、そんなに嫌だったかな‥‥」
「違うと思うが‥‥。いや、まあいい。世話になったな」
「あ、うん、あの、一応高杉に謝っておいてくれる?」
「‥‥‥‥ああ。わかった」
桂は了承して玄関の方へ歩いていった。道場破りとその連れに払う礼儀もないだろうと私は見送りをすることはせず、高杉の寝ていた布団を押し入れにしまうと縁側から庭に出て洗濯物を取り込んだ。
庭側にある和室に雑に放り込んだ洗濯物を1枚1枚畳んでいく。胴着やら手ぬぐいやら着物やら。少しすると隣に松陽が来た。
「手伝います」
返事はせず、黙々と洗濯物を畳む。手伝ってくれるのは有難かった。これから夕食の用意もしたかったのだ。早く終わるに越したことは無い。
全て畳み終えると松陽はおもむろに口を開いた。
「私は貴方の親代わり、のつもりだったのですが」
なんのことだろうと一瞬考えたがすぐにさっきの桂の話だと察する。
「理沙にとっての私はなんですか」
開け放した縁側と、夕日ももう差し込まない和室では随分と暗い。行灯に火をつけたかったけれど、黄昏にひどく馴染んだ松陽に私は動くことが出来なかった。
松陽は優しいひとだ。頭は良いし、力だって馬鹿みたいに強いし、それでも幼い子らに自分の術を教える優しいひとだ。みんなが知っている。
けれど私は知っている。彼はとてもおそろしい人だ。化け物みたいな強さではなくて、その本質が、本来の彼が、私のようなものを慈しむ質ではないと、ここで、私だけが知っている。
だから私はおそれたのだ。彼に踏み込むことを。
天照院奈落、その頭領に救われた命。
あの日あの夕暮れ、私を横抱きに私と来ますかと気まぐれに囁いた誰彼の化け物に対して私の挙動全てが烏滸がましいような気がして、私は彼をおそれているのだ。
「貴方は私の弟子ではないでしょう。貴方に教えることなんてひとつもなかった。それなら何になるのですか」
普段の通りの口調で、松陽は言う。
冷たい風が外から吹き込んで、私はその風と共にゆっくりと松陽に体重を預けた。
わずか10を過ぎていくらかの、こどもの体重だ。
「貴方は1人だ」
松陽はそっと私の頭に手を置いた。
「貴方は1人で生まれて、この星と共に有るのでしょう。ずっと。そんなものを親と呼ぶのはおそろしい」
掠れた声で喉から吐き出す。私はずっと、今までも、これからも、貴方がこわくてたまらない。
「これからどこへいくの」
銀時を拾ってこどもに手習いをして、いつまで。一体いつまで私達が、彼が逃れられると言うのだ。
「きっと、理沙は1人にはなりませんよ。安心してください。あなたの事も、銀時の事も絶対に守りますから」
じゃあ貴方は誰が守るの。
頭を撫でる手に、段々と意識が遠のいていく。松陽の腕を軽く掴んで、それがなんの抗いにも問にすらならないと知りながら私はそのまま眠りに落ちた。
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