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※2020年に発行済の愛執Uに掲載した書き下ろし短編になります

静かな廊下に自分の足音だけがよく響く。
厚いブーツの底が白い床に触れ、蹴る度に高い天井に反響する。
すれ違う人間はいない。すれ違う人間らしきモノもいない。
ゆったりとした慣れた歩みで目指す自室はそう遠くはない。
陽が遮られた城内だというのに帽子を深く被り直したアーデンは、日々浮かべる嘲笑いを消し、ただ無感情に進んでいた。

ニフルハイム帝国が長年に渡り侵略戦争を仕掛けているルシス王国。
それは気が遠くなるほどの大昔にアーデン自身が生まれ育った場所であり、今では最も憎むべき場所。
いつの日か滅ぼし、根絶やしにし、闇で染め上げる国。国だけではない。最終的にはこのイオス、世界までをも深い闇に陥れると決めている。
そのためには現在ルシス王子として蝶よ花よと甘やかされて育てられているあの憎たらしい存在を彷彿とさせる顔面の王子を、真の王に召し上げなければならない。
ただの人間のままの王子には興味がない。ただの王では、意味がない。
真の王と成ったその存在を葬ることで、悲願が、復讐が果たされる。

その過程で必要なのは経験だ。あの甘い温室で育ってきた王子様は年齢の割に些か世間知らずである。
愛情を向けられて育ってきた守られるべき者である王子は、おそらく負の感情をぶつけられたことがないだろう。
正確にはあるのかもしれないが、王子の身近な者が彼の身に届く前に未然にその牙をへし折っている筈。
よって、あの王子にあるものは甘っちょろい愛情と綺麗で美しい経験談だけなのだ。
それで真の王を語れるのだろうか。
個人としては真の王になってくれさえすればその過程などどうでもよかったのだが、想像よりも随分と温室育ちなため事前に企てた目測が大きく外れる可能性を示唆した。
もっと憎め、もっと恐れろ。何をかもを破壊し尽くしたいという憎悪こそが力となり武器となる。
そう、俺のように。
おぞましい経験と、深い憎しみをその腹に抱えてこそ、最も強く、理想的な真の王となることだろう。屠り甲斐があるほどに。

その段階として、王子が慈しまれ愛されてきた国を奪うことにした。
国を、愛する家族を、民を奪われるという経験が、必ず彼の王子に憎しみを抱かせることになる。
まあ、目的は正しくそれなのだが、個人的な嫌がらせという理由も少々含まれていた。
とにかく結末は変わらない。国を奪われ、復讐に燃える王子が王に相応しい力をつけ、筋書き通りに真の王となる。
そして、この手で葬る。必ず。

現在ニフルハイム帝国はルシス王国に対して小競り合いを仕掛けている。
彼の地にある憎たらしい聖石が厄介な魔法障壁で守られているため、王都への進撃は困難を極めてはいるものの時間を掛けて着実に追い詰めてきた。
そろそろ、よい頃合いだ。
どう足掻いてもルシス王国の危機的状況は変わらない。ここで停戦協定という名の仮初めの和平を結び、一気にその城壁を瓦解させる。
魔法障壁の内側にさえ潜り込めば後はもう流れでなんとかなる。なってしまう程に、今のルシスは脆く、柔い。
二十年ほど昔に単身で敵の本拠地に赴いた事を思い出し、当時のあまりの情けなさにため息が出た。勿論、ルシスに対してだ。
自分ひとりで充分に落とせる国。それが今のルシス。けれど個人的に動いてしまっては、王子の憎しみの矛先をニフルハイム帝国に向けることが出来ない。
どうせいつか滅ぶ世界だ。復讐が叶ったのならばニフルハイム帝国など必要ない。ルシス王国と真の王と共にここらで消えてもらっても構いやしなかった。
よって、ニフルハイム帝国ごと大きな戦争に持ち込む必要があった。

そのための作戦会議に赴いていた。どうにも面倒で小煩い帝国の重鎮や高官ばかりで心労が絶えなかったが、仕方のないことなのだ。
もう少し。あと少し。長い、永い間あたためてきたこの殺意に近い衝動のまま憎い世界を葬れるまで、あと少し。
その後のことなど何も考えていない。考えてすらいない。
失いたくないあの存在を目の前で失ったその時から、アーデンの生きる世界は終わったようなもの、いや、終わったのだから。



◇◆◇



普段使用している自室を横目に廊下を抜ける。
自室とは言っても大して意味を成さない生活道具があるくらいで、日常を多く過ごす場所ではない。
それに帝国の名のある立場を預かっている身。こうして会議だのなんだのに駆り出されていては自室などほぼあってないようなものだった。
けれど宰相としての顔はあれど、また異なる一面も持ち合わせているわけで。
シガイ研究。三十四年前に帝国に自身が持ち込んだ生物兵器の研究を昼夜構わず続けているのだ。
帝国領の各地に研究所はあるがおいそれと容易に帝都を離れることができないため、こうして近場に自分専用の施設を設けたのだ。何時だっただろうか、随分、昔に。

階段をひとつ、ふたつ。降りるごとにだんだんと光が薄くなり、やがて揺らめく橙色の炎だけが頼りになる明かりとなる。
まあ、どれだけ暗くても全く問題はないしどちらかと言うと好都合なのだが。
ぼんやりと照らされるひとつの道。ひとの影も気配もない。ああ、いや。いくつかの部屋にはサンプルと称した実験体が保管されているから、ある意味で気配はあるのだった。
六つの部屋が向かい合っており、その一つの扉に手をかけ、そのまま室内に身を滑りこませる。
廊下よりも更に薄暗い。湿った空気に迎えられたアーデンはため息を落としながら古びた椅子に腰掛けた。
背後に感じる微かな気配。衣擦れの音。
静かに目を閉じて手繰り寄せるのは遠い、遠い過去の思い出。

「お仕事お疲れ様、アーデン君」

呼びかけられて、唇が僅かに震えた。それはどのような感情か、もうとうの間にわかりきっていた。

「今日は戻るのが遅かったね」
「ああ、問題事が多くてね。やること成すこと山積みさ」
「ふふ、がんばってるんだね。アーデン君のそういうところ、好きだな」

くすぐったくなるような笑い声が背後から聞こえてきて、目を閉じたままアーデンも小さく笑った。
ああ、彼女は好きなどと言うだろうか。言っていただろうか。
いいや、言わなかった。聞いたことがなかった。こちらが求める好意を寄せてはいなかったが、好意を向けてくれてはいた。けれどその好意的な意味でもその言葉を口にすることは、終ぞなかった。
言って欲しい、聞きたい言葉としての欲求に従いすぎたか、と自分自身を嘲笑った。

「はい、お疲れのアーデン君にハーブティー」

かちゃり、と目の前の机から音が鳴る。
置かれたのは白色に紅いラインが入ったシンプルなティーセット。
ハーブティーか、なるほど。そのようにしていたかもしれない。
彼女がよく淹れてくれていたことを思い出し、これなら及第点かもしれない、とほんの少しだけ気分がよくなった。
薄目を開けてその茶器を視界に入れる。
薄緑の液体と美味しそうに香る花の匂い、それからあたたかい湯気も何も、そこにはなかった。
白い茶器が、そこに静かにあるだけ。
ああ、今回はいい線いっていたと思ったんだけどな。
深いため息をついたアーデンは顔面を覆うように帽子を下げた。

「ハーブティーの香りはリラックス効果があるんだよ。これを飲んでゆっくり休んでね」
「……ああ」
「そうだ、オレンジケーキも作っておいたんだよ。今回は少しアレンジしてみたんだ、ふふ、どこが違うか気付いてくれるかな」
「……」
「そうだ、オレンジケーキも作っておいたんだよ。今回は少しアレンジしてみたんだ、ふふ、どこが違うか気付いてくれるかな」
「…………」
「そうだ、オレンジケーキも作っておいたんだよ。今回は少しアレンジしてみたんだ、ふふ、どこが違うか気付いてくれるかな」

そうだ、オレンジケーキも作っておいたんだよ。今回は少しアレンジしてみたんだ、ふふ、どこが違うか気付いてくれるかなそうだ、オレンジケーキも作っておいたんだよ。今回は少しアレンジしてみたんだ、ふふ、どこが違うか気付いてくれるかなそうだ、オレンジケーキも作っておいたんだよ。今回は少しアレンジしてみたんだ、ふふ、どこが違うか気付いてくれるかな。
呼吸も置かず続けられるその言葉が煩く耳を打つ。
こちらの反応が無いと同じ言葉と動作を繰り返すようにしてしまったのだったか。
如何せん造り過ぎて一つ一つの記憶が無い。

「ねえ、覚えてる?初めてオレンジケーキを作ってくれた時のこと」
「何処で食べようか。いつもの中庭?それとも私の部屋?」
「毒味だとかなんだとか、難しいこと考えていたよね」
「あ、ごめんね、ハーブティー用意したのに場所変えるなんてできないね。私ったらうっかりしてて」
「俺に食べさせるつもりで作ったんじゃないってわかっていたけれど本当に美味しくて、嬉しくて、すごく、嬉しくて」
「今持ってくるね」

すり抜ける言葉の数々。相手には届かないしぶつけられもしなければ受け止めてすらもらえない。
過去の思い出を宝箱の中から引き出して本当のその姿と声を思い描く。
瞼の裏のしあわせなその光景は、目を開けてしまえば途端に消え失せて薄暗い現実を無情に突きつけるだけだった。

「アーデン君?」

ああ、本当に、結構いい線いっていたのにな。

視界に入ったその影を鷲掴みにして、茶器ごと目の前のテーブルに叩き付けた。
べろり、と剥がれる顔の皮が板に貼り付いてずるりと床に落ちたがそれに目をやることなくまた叩き付ける。
鈍器で鉄を打つかのような鈍い音が部屋中に響き渡る。それからしゃがれた醜い音も。
中身は入れなかったため汚い血が飛び散ることはないが、それでも外側だけはなんとかしてみようと工夫したため中途半端に組み込まれていた眼球と思わしきものや鼻、耳、歯がぼろぼろと床を鳴らした。
やがて動く意志を無くしたそれ。反応の無い物体はただのゴミと化したも同然だ。
憂さ晴らしをするようにそれを力の限り床に叩き付けて踏み潰した。
ぐちゅり。その音で中身を入れたわけではなく胴体は元々中身のあるものを採用したのだったと、今になって思い出した。もうどうでもよいことなのだけれど。
汚れてしまったブーツに一度だけ目をやり、買い換えるのが面倒だとため息を吐きながら再度椅子に腰掛けた。

nameを、造ろうとした。
記憶の中にあるnameが本物で何よりも眩しくて優しくて愛しいもの。時が経つに連れてその愛しさは失せるどころかどうしようもないほどに膨れ上がってしまう。
失ってしまった。奪われてしまった。もう二度と、会うことも触れることも感じることもできないほどに遠くへいってしまった。
受け止めて貰えないまま膨れ上がった感情は二千年と少しの間でそれはそれは凶悪で歪んだものへと変化していった。
砂糖と蜂蜜をゆっくり煮詰めたかのようなどろどろとした甘い愛憎。
ぶつけるのは彼女を模した『もの』だった。

最初の頃は生きた人間の女にぶつけていた記憶がある。
生憎と自身は女に困るような容姿でも身体でもなければ、女が好む金のある男だ。
容姿が似た女、身体つきが似た女、声が似た女、髪の色が似た女、話し方が似た女。見つけては言葉巧みに誘惑し抱き潰した。まあ、向こうのほうから言い寄ってきて自ら足を開くことのほうが随分と多かったけれど。
彼女の一部が似た女を抱いても、仮初めの愛を吐いても、やはり心は現実を見据えていた。
もう彼女はいない。こんなことをしても何の意味もないのだと。
けれどどうしようもなかった。二千年と少しの間狂いそうに、……狂いきってしまった愛情を抱えたまま息を吸って吐いて憎しみと共に時が経つのを待つことなど、苦しさを伴うだけだった。
虚しい。苦しい。寂しい。会いたい。聴きたい。触れたい。
擦り切った心が求めているのはただひとりの存在だけだった。

造ってみよう。手に入る筈など欠片もないあの存在を、この世に生み出してみよう。
ニフルハイム帝国宰相として着任してシガイ研究が軌道に乗り始めた頃、ふと思いついた妙案。
無いのなら、つくればいい。およそそれがnameに遠く及ばないモノだとしても、それでも。
端から見れば狂気の沙汰。それでよかった。この気持ちをわかってくれるものなど居ないのだから。

記憶の中にあるnameを思い出しながらキャンパスに描くかのように実験を進めた。
人形を作るように、nameに似た身体の部位を持つ女からそれを拝借して繋ぎ合わせたり顔の形は似ているけれど目や口元が似つかないものは直接メスを入れて似たものと取り替えたり試行錯誤を繰り返した。
外見だけではなく声も重視したかった。あの声で呼ばれる自身の名は特別な響きを孕んでいる。また、呼ばれたい、聴きたい。
しかしながら外見を捏ねくり回すよりも声帯をいじるのはとてもとても難しいことだった。及第点の声帯を持つ女に繋ぎ合わせた『ガワ』を取り付けても本体がモノ言わぬ肉塊になってしまっては声帯を震わせることもできなかった。
それから思考回路も。nameが言った言葉、言いそうな言葉、それらをデータ化してシガイ研究での成果を応用し、『ガワ』に埋め込んで動かしてみたりもした。
nameの動き、行動パターン、仕草。記憶にある全てを打ち込んでもやはり上手くことは運ばずにただnameの面影も何もない化け物がのたうち回っているだけにしかならなかったが。
それでも頑張った方だと思う。よく心折れなかったと思う。折れる心など始めから持っていないけれど。

何百、何千と試行錯誤した結果それなりにnameのように見えるモノを造ることに成功した。
声帯もそこそこ似ていれば動く動作もそこそこ。評価が全てそこそこなのはお察し頂きたいのだが。
組み込んだ思考回路もnameに及ぶ筈もないけれどそこそこ上々で、今までのモノよりも随分と人間らしかった。
けれどもnameに寄せることに注力していたため、他の部分に色々と欠陥ばかりが生じていた。空のティーカップを差し出すこと然り言葉の反芻然り。
本当に、いい線がいっていた。顔面は継ぎ接ぎばかりで身体など配線と肉の塊が見えていたけれど、その言葉選びや声質は、なかなか。
まあ、結局ただのゴミになってしまったわけなのだが。

汚れてしまったブーツの底で床を叩く。肉片と液体がぺちゃぺちゃと地を打つ音がとても汚い。
それから鉄の臭いと腐敗臭。気にし出すと余計に気になってしまうもので、後々の清掃の手間を考えると衝動的に壊してしまったことを少しばかり後悔した。
静かに視線を滑らせ、先程まで『name』として動いていた肉片に焦点を合わせる。
ああ、本当に、なんて虚しいことをしているのか。
わかっていた。理解していた。途方もないことなのだと、自分が一番理解してしまっている。
繰り返す度に、山よりも大きく海よりも深く、太陽の光よりもあたたかな思い出とその影を鮮明に引き上げる。
途端、切なく鳴いた胸を掻き毟った。現実的にはただ首元に巻いたストールを引きちぎるように握りしめただけなのだが。

呟いたその名前が、静かな部屋の中に浮かんで消えた。



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