×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
その女の第一印象は、思い出すこともできないほど朧げだ。


実子であるアーデンが突然連れてきたその女。
何の変哲も、特徴も、目立った容姿でもない何処にでもいるただの平民。
どのようにして厳重な警備を掻い潜り、城内に侵入したのか。
何故アーデンと共にいるのか。
疑問は多くあれど、一番気に掛かったのはその侵入経路。
この城は王族の住まう場所。
時期王であるアーデン、そしてソムヌスを守るため、不審者の侵入に逸早く対応できるよう、常に魔力を張り巡らせている。
些細な変化も感知するはずだった。

はず、だった。

現状、その侵入に気がつく事無く、こうして不審な女は目の前に存在する。
何故この一般市民は此処にいるのか。
答えはすぐに出るはずもなかった。

だが、構わない。
このような不穏因子は即刻排除される手筈だったから。
女に抱いた印象など、どうでもいい。
すぐに牢へ送り、尋問し、侵入の目的を吐かせたうえでその命の始末をつけるのだから。


けれど六神の遣いである二十四使は、女を「未来の王と共に在る存在」だと言ってのけた。

神託。それは女が真なる従使である何よりの証拠。
俄かには信じがたいものだったが、神に近い者の言葉は時に神の言葉となる。
けれど二十四使に諭されたからではない。
その内容に、男は目を光らせた。

「この者は未来の王に寄り添う者。王と共に在らねばならぬ者」

その言葉は、アーデンが王になるために必要な存在なのだとも受け取れる。
この平凡な女がアーデンの未来に関わるような者には到底思えないし見えもしない。
けれど二十四使が言うのなら、それは時として真実になる。
男はその言葉を信じることにした。
女がどのような人間であれ、アーデンを王にするためならばどうとでも利用してやろうと、そう決めたのだ。


男の人生は、己の子を王にするためにあると言っても過言ではなかった。
子を王の座につかせるためならば、どのような犠牲も厭わない。何を利用したって構わない。
そんな執着によくにた決意を、長年男は秘めてきた。
過去、その決意を秘めるに値するだけの出来事が男に襲い掛かったのだが、それは語られるものではない。
全ては男の心の内に隠された記憶なのだから。

その出来事を経て蓄積された執念。野望。願い。
いくら調べても出生や素性が出てこない女を子の傍に置くような暴挙とも言える行動を許したは、その執念が起因していた。

普通ならば、ありえない。
男の冷静な理性がそう理解していた。
ありえない。そう、ありえないのだ。
素性のわからない怪しい人物を、大切な子の傍にいさせる。
それがどれだけ愚かで危険なことかをわかっている。
女が他国から送られた暗殺者かもしれない。
王子に害を成そうと企む悪かもしれない。
挙げればキリが無いが、どう考えてもデメリットの方が大きかった。

けれど、王になるために必要な存在ならば。
未来の王のために無くてはならない存在ならば。
そのデメリットを受け入れて成さねばならなかった。
そう、男の人生は子を王にするためにあるようなものだったから。


最初は女への警戒を怠らなかった。
いくら平凡で無害な人間とはいえ、それは装いの可能性もある。
いつその隠された牙を剥き出しにするか。
警戒に警戒を重ねた監視は常に女を取り巻いていた。

けれど女は尻尾を出さない。
出す尾がないのか、ただ単に粘り強いだけなのか。

もしも子に害を成す行動に出たのなら、縛り付けて子が王になるまで幽閉することも考えていた。
必要であれば四肢を切断して自由を奪ってやる手筈だって整えていた。
必要なのはその存在。
在り方についてまでは、二十四使は言葉にしていなかった。

しかし女は至って普通だった。

定期報告や女に付かせた侍女の報告でも悪事が挙がることはなかった。
アーデンはいたく女を気に入っている様子だった。
それから弟であるソムヌス。
もうひとりの子も、女の傍によくいるようになったのだとか。

その報告が真実かどうか。男は実際に確かめることにした。

それはある晴れた日の午後。
隙間無く詰められるスケジュールの合間を縫って、男はある場所に赴いた。
よく報告に挙がる場所。
城内の温室によく似た中庭に、目的の人物達はいた。

ガーデンテーブルを囲む女と兄弟。
その光景を、男は遠く離れた場所から盗み見る。


アーデン君。ソムヌス君。


女は兄弟をそう呼び、親しく話しかける。
それが女の作戦なのか。幼子の心の隙に付け込み籠絡するつもりか。
しかし猜疑の念を抱えたままその様子を見ていても、女が純粋な気持ちで子供達に接していることは明らかだった。
邪念も、隠れた欲望も無い。
本当に、純粋に兄弟達に親しみを込めて接していた。

そこで男は二十四使に言われた言葉を思い出した。

「彼女の魂は邪心の無い清らかなもの。全てはあなたの眼で見定めなさい」

こうして三人の様子を目にすると、その言葉の真意がいやというほど伝わってくるかのようだった。
遠目で見てもわかる。
女のその瞳は、言葉は、態度は、いかに兄弟達を想っているかをありありと表している。
子達に被害が無ければ女の心境などどうでもいいと思っていたのだが、その時ばかりは男も女の心の内を探るばかりだった。

男は徐々に監視を緩めていった。
女は無害だと、ようやく認めることができた。
高官達は納得がいかないようで、秘密裏に女の調査を続行しているようだったが、男はそれに加担しなかった。
女の心に、兄弟達への邪心など欠片も無いことがわかったから。


己の側付きである男、スキエンティアはその女の印象を語る。
何でも、裏庭でうたた寝をしている三人に出くわしたのだとか。
そこで初めて女と言葉を交わしたのだと。


"他の者の言葉通り、従使殿は普通の女性ですな。けれど、その本質はまるでゆりかごのようだ"


ゆりかご。
赤子を寝かしつけるための道具が何故彼女の印象に用いられるのか。
学もあり教養も十二分あるはずのスキエンティアから出た言葉は、男を困惑させた。
スキエンティアは男の困惑に歪む些細な表情の変化を読み取り、言葉を続けた。


"彼女は愛を知り、慈しむことを惜しまない慈愛に満ち溢れた御方だ"
"優しく、澄んだその心に触れればまるでゆりかごの中であやされるかのような心地よさに包まれていると、錯覚してしまうことでしょう"


朗らかに言葉を紡ぐスキエンティアは大層にこやかに微笑んでいた。
馬鹿なことを言う。
男は全幅の信頼をスキエンティアに寄せているが、この時ばかりは彼を疑った。
ゆりかごと揶揄される程の愛に溢れる女だと?馬鹿馬鹿しい。
けれど、あの日。実際に三人の様子を確かめに赴いたあの時。
その片鱗を、確かに男は感じ取っていた。
女の何でも包み込んでしまうような柔らかい雰囲気。春の優しい陽射しのようなあたたかい眼差し。
確かに"それ"は、忘れてしまうほど遠い昔に母から与えられたものに、よく似ていた。


女が城に滞在するようになってから随分と日が経った。
これまで女との接触は皆無に等しかったのだが、女と言葉を交わす日が訪れる。

謎の病による混乱が収束しつつあったある日、アーデンが体調を崩した。
王族専属医に診せたところ、ただの風邪とのこと。
それにしては随分な苦しみように見えたのだが、男は自分が専属医よりも人体医学の知識に乏しいことは認めていた。
薬を服用して安静にしていれば良くなると、専属医は告げる。
逐一アーデンの様子を見に来たいのは山々だが、男の背負うものがそれを許さない。
今日も今日とて隙間無く詰め込まれるスケジュールに忙殺され、日付が変わった頃、ようやく事が済んだ。
疲労が蓄積された身体を動かすのは少々億劫ではあったが、もう慣れたものだ。
羽織っていた上着を椅子に掛け、軽装になった男はアーデンの部屋へ赴いた。

そこに、女はいた。
アーデンと同じ寝台の上にいた女は、大層驚いたような表情で男を凝視する。
何故この女が此処にいるのか。
男も女程ではないが、内心ほんの少しばかり驚きはした。
けれどアーデンの女への懐きようを見ていれば、何も不思議なことではない。
大方アーデンが呼びつけたか、女が様子を見に来たか、どちらかだろう。
些細なことだ。
男は内心決め付け、寝台の近くにある椅子に腰掛けた。

熱に魘されているであろう、そう予想していたのだが、アーデンは思いの外熟睡しているようだった。
呼吸は時折不規則になるが、それでも今朝よりはずっと安らかだ。
アーデンの小さな手には女の服の裾がしっかりと握られており、意識が無いのが不思議なくらいだ。
この様子だと、女も大して休めていないのかもしれない。
息子が世話をかけたのは事実。
柄ではないのだが、そのことに労わりの言葉を投げかければ、女は僅かに目を見開いた後、ふわり、と微笑んだ。


"いいえ。私がアーデン王子と共に居たいのです"


今度はこちらが驚く番だった。
「気になさらないで下さい」「そんなことはございません」
在り来たりな言葉が返ってくるものだと、勝手に予測していた。
女の性格については書面上でしか知らない。
けれど礼儀作法は身に付いている様子だったから、謙遜を滲ませた言葉が返ってくるのだと思っていた。

はっきりと、言葉にした。
それは謙遜でもなければこちらの機嫌をとる言葉でもない。
女の、純粋な気持ち。
王子に取り入ろうとする卑しさなど欠片も感じさせない女の言葉は、男の心を僅かに震わせた。


ああ、これか。


いつの日かスキエンティアが言っていたことを思い返す。
女は"普通"を体言したかのような一般人だ。
けれどその心の内は誰も持ち得ないと言えるほど、慈愛と優しさに溢れていると。
その心に触れれば、求めずにはいられないと錯覚してしまいそうになるのだとも。

なるほど。
男はひとつ、瞬きを落とす。
女は無害であると結論付けたが、疑念はまだ心の中で小さく灯る。
しかしそんなこと無駄だと思ってしまえるほどに、最初から必要なかったと思えてしまえるくらいに、心地よさが男を包んでいた。


それからまた月日は流れ、兄弟は成長を果たした。
手足は伸び、それに伴い身長も高くなった。
それから鈴を転がすような愛らしい声は低く、落ち着きのある男のものへと変化した。
顔つきも子供のそれから男のものへ。幼少時代の面影は残しつつ、立派な男になった。

ひとはみな、同じ時の中で生きている。
誰にも平等に流れる時間は、王である男にも等しく当てはまる。
兄弟達が成長するということは、男にもそれだけ時間が流れるということ。
老い。
着実な年齢の積み重ね。抗えるはずのない加齢。
人である限り、誰もが直面するそれ。

けれど。
女は。

十年以上前にこの城を訪れたあの女は、あの時と寸分も変わらない姿で此処にいる。

髪が長い時期や短い時期はあったように思う。
女性であるから、そのような身だしなみに気を使っているようにも見受けられたし、兄弟達と外に行くときは薄めの化粧を施したりもしているらしかった。
その化粧のお蔭か、実年齢よりも幼さの残る平凡な容姿をほんの少しだけ、大人びたものにしていた。

しかし、そんな外的要因による変化の話ではなかった。

変わらない。そう、変わらないのだ。
身長は勿論、その声の高さも、容姿も。
心の内までは察することはできないが、長い年月を経て蓄積されていくはずの"老い"を、女からは一切感じられなかった。
あの日見た、女と兄弟達の時間。
絵に収め、それをもう一度再現して見比べた時、その変化は一目瞭然であろう。
成長し、男になった兄弟達と、一寸の変化もない、その女。

長年女への不審を燻らせている高官達はすぐに男へ詰め掛けた。
"あの従使はおかしい"
"若作りとか体質とかの次元ではない"
"あれは本当に人間か"
最後の問いには、男はすぐに答えることができた。
あの日。初めて女と対面したあの最初の時。
女とアーデンを下がらせた後に二十四使と交わした言葉。

"あの娘は本当に人間なのだな?"

男の問いに、二十四使は頷いて言ったのだ。

"ええ。それは変えようの無い事実"

人間であると。ひとであると、神に近しい存在である二十四使が肯定したのだ。
長命の種族なら話は変わる。
けれど二十四使は証明したのだ。
真なる従使とはいえ彼女は人間であると。

健やかに育つ兄弟達と共に緩やかに歩んでくれると、思っていた。

老いない?それはもはや人間ではない。

ひとではない、"何か"だ。

長年鳴りを潜めてきた疑心、疑念が再び燻る。
待っていたかのように、ゆっくりと頭を上げ、起き上がったかのよう。
けれど。


「(…知っている)」


兄弟が女と過ごした時間。
その時間と同じだけ、男もまた彼らを見てきた。

時に笑いあい、時に感情をぶつけ合い、それから心を結ぶ様子。
女のあたたかさを求めて傍に寄り添う、その様子。
それらは、確かにあった時間だ。


女はただ優しいだけの、人間だ。
素性がわからない奇妙な存在ではあるが、それを跳ね除けられるくらいの人格者であることは、男がよく知っていた。


"心を許して頂けているようで、とても嬉しく思います"


熱を出したアーデンに寄り添う女のあの時の微笑み。
あれが偽りであるはずが無かった。

女を疑う心はある。
けれど女を信じたいと思う気持ちも、確かにあった。
何か理由があるのかもしれない。

不老の呪いにかかった。
実は人間に近い森人だった。
実は二十四使だった。

様々な憶測を並べては、隅に置く。
訊ねるに、訊ねられなかったから。
並べられたそれらの理由のうち、どれでもなかったのなら。

自分は、どうすべきなのだろう。

まるで女を失うことを恐れるような心。
いや、違う。
女はアーデンが王になるために必要な存在だ。
かつて、その四肢を切断し、縛り付けてまで置いておこうという凶行まで企ててしまえるほど求めていたから。
男の人生をかけた望みを叶えてくれる存在なのだから、今まで此処に置いていた。
アーデンを王にするため。その一心で、ここまで。

アーデンはもうすぐ即位する。
それまで。
それまでは、どうか。
離れてくれるなと。
男の縋りつくような願いが、女への追求を引き留めていた。


◇◆◇


男は閉じていた瞳を開く。
その視線の先には広い、男の背。
立派に成長したアーデンの背だった。

今日、アーデンは王になる。

悲願が叶う。
長年、待ちわびたこの時がついに、ついに訪れる。
男の胸の内は歓喜で満たされていた。
アーデンが即位しても、すぐに前王が影に隠れるわけではない。
この即位は「星の病」で苦しむ人類へ希望を灯すための意味も含めている。
現時点で唯一「星の病」に対抗できるアーデンは、王になったからといってその治療活動を止めるわけにはいかない。
まだやるべきことがある、本人もそう言っていた。
だから病の解決策が見つかるまで、王の座はアーデンに譲れど、男の成すべき事が無くなるわけではないのだ。

これからはより一層忙しくなるだろう。
いいや、前とそう変わらないのかもしれない。
けれど、アーデンが王になったという事実。
それがあれば、もうその後の男の人生はどうなってもよかった。


この戴冠式が終わったら、女と酒の席を設けるのもいいかもしれない。

兄弟で話し込む様子を、男はぼんやりと眺めていた。
女が抱える秘密について、少しでも打ち明けてくれないだろうか。
ずっと逸らし続けてきた女の正体。
こうしてアーデンが王となる今、女を知ることに、男は何の憂いも無かった。

その時は、今まで兄弟達を見守ってくれたことへの感謝を述べてやってもいいかもしれない。
女は驚くだろうか。
自分の近寄りがたい雰囲気も、容姿も、強い言葉遣いも理解している。
そんな奴から礼を言われたら、きっと、目を丸くして言葉を失うことだろう。

その様子がありありと脳裏に映し出され、男は滅多なことでは緩めない頬を僅かに緩める。
本当に、僅かに。誰にもわからないほど。
ここまで機嫌がいいのは、今日が特別な日だから。
そう理由付けて男は兄弟達に背を向け、開け放たれた扉から外へ踏み出す。

澄んだ空気。
大観衆。大歓声。

今日、アーデンは王になる。



back