×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
「はい、終わりました」
「おお……、ありがとうございましたアーデン様。なんと御礼を申し上げればよいか…」


寝台に横たわる壮年の男性は縋るようにアーデンを見上げる。
感謝を言葉に表したくても、その気持ちに適するだけの言葉が見当たらない。そんな表情だ。
アーデンはゆっくりと首を横に振る。
これは自分がしたくてしていることだ。
「星の病」に苦しむ人々を救いたい。その一心で行っていることなのだから、男性を困らせてまで謝辞を受け取ろうとは思わなかった。
充分、感謝されている。
泣きそうに、嬉しそうに顔を歪める男性の様子を見れば、明らかだった。


「起き上がれるようになるまで少し時間がかかるかもしれません。くれぐれも無理はしないで」
「はい…。本当にありがとうございました」


立ち上がり、彼の親族であろう女性にも一礼をする。
女性からも多大な感謝を寄せられながら、アーデンは民家を後にした。


「お疲れ」
「うん」


民家を出るなり、壁に背を預けていたギーゼルベルトに声をかけられる。
短く答えれば彼は壁から身体を離し、アーデンに向き直った。


「これで終いだな。宿に戻んぞ」


先導するギーゼルベルトの背に続き、アーデンは歩き始めた。


王都インソムニアから車両でおよそ半日。
辺りを緑に囲まれ、農業と商業が盛んなこの街が現在アーデンの活動拠点だった。

小さな村から王都まで、「星の病」はその猛威を振るい続けている。
滞在四十八日目。リストアップしたこの街の罹患者は、先程の男性で最後だった。
罹患者リストを提示された時はその人数の多さに眩暈がしたが、以外となんとかなるもので。
アーデンの頑張りもあり、予定よりも早く王都への帰路を辿れることになりそうだ。

滞在拠点は街の宿泊施設。
王子の来訪ということもあり、経営者から無料宿泊を当然のように言い渡されたが、それを丁寧にお断りしたのは記憶に新しい。
予算がギリギリになるような危険な予定は組んでいない。
けれど少しばかり帰城が早まるのなら、金銭的にもそれに越したことはなかった。

宿は大通りの市場を抜けた先にある。
アーデンが訪れた当初は閑散としいてた市場だが、日が経つにつれてそれは活気の溢れるものへと変化していった。
これが本来の姿なのだろう。
畑で採れた新鮮な食材を売り、手ずから作り上げた衣服や道具を露店に並べる。
賑やかな人々の声。子供が楽しそうにはしゃぐ姿。溢れる笑顔。
生気に溢れる街並みが戻ってきたことを実感する度、ここを訪れて本当によかったと、アーデンは心の底から思う。


市場を歩けばいろんなひと達から声をかけられる。

ありがとう、アーデン様。
貴方が来てくれて本当によかった。
救世主様のお通りだ。

そのどれもがアーデンを讃えるもの。
これまで様々な場所を訪れて似たような言葉をかけられてきたが、未だに気恥ずかしい。
きっとこの先も慣れることは、おそらくないだろう。


かけられる声ひとつひとつに手を振って応える。
それだけで人々は歓喜に沸き立つのだ。


◇◆◇


「ちょっと外を歩いて来るよ」


宿で夕食をとった後、ギーゼルベルトに一言残してアーデンは宿を後にした。
護衛を申し出されたが、この街の治安の良さはよくわかっている。
それに、救世主であり人類の希望であるアーデンによからぬ悪さを働く者がいるなど思えなかった。
渋るギーゼルベルトは当然それに反対したが、アーデンが本音を口にすればしぶしぶと引き下がった。


nameへの土産を見繕いたいんだ。


様々な場所を渡り歩くアーデン。
その旅路の中でnameへの土産を欠かしたことはなかった。
ある時は村伝統の織り方で作られたハンカチだったり、ある時は名のある職人が作ったガラス細工だったり。
土産話と共にnameに手渡せば彼女は毎回大層喜んでくれた。
nameが喜んでくれるのなら、疲れた身体を酷使して街を歩くことなど苦ではない。
この街を明日、明朝に発つ。
日が暮れた今、この街を自由に散策できるのは今しかなかった。



青白い月に照らされる夜。
市場は橙色の暖かい光に照らされ、未だ活気に満ちていた。
その中を、アーデンは人波に紛れて歩く。
深く被った帽子を整え、市場の露店を吟味する。

帽子が無くとも、足を止めて注視されれば一発でルシス王子だとばれてしまう。
正体を隠しているわけではないのだが、外を歩けば持て囃され、声をかけられ、進む速度が格段に遅くなってしまうのは経験済だった。
王子としてでも救世主としてでもない。
ただのアーデンとして、市場を見て回りたかったのだ。


この街の特産品は甘い果実で作られたワインらしい。
口にしたことはないが、芳醇な香りと濃厚な味わいが売りなのだとか。
そういえば成人してからnameと酒を飲む機会が無かった。
せっかく飲酒が許される年齢になったのだから、一度くらいnameと酒の席を共にしてみたい。
そう考えて酒屋へ足を運ぶ。
しかし、露店のある一角が視界に入り、その前でアーデンは歩みを止めた。

露店にはアクセサリーが並んでいた。
ネックレス、リング、イヤリング、ピアス。女性も、男性も身に着けることができるアクセサリー類の豊富な品揃え。
それから目を惹く色合いの髪飾りも多く並べられている。

そういえばnameがアクセサリーの類を身に着けている姿を見たことがない。
指輪も、ネックレスも、女性が好んで着用しそうな物を、nameはつけない。
たまに髪をまとめたりしているが、その髪飾りは華やかなものではなく、シンプルな、言ってしまえば色気も何もない黒のヘアゴム。
自分を着飾ろうとしない。そのくせ、アーデンやソムヌスの身だしなみには気に掛ける。

そんなことを思い出して、気が付けば露店の前で商品を吟味していた。
ワインも素晴らしい。けれど、なんだか、どうしようもなくnameにアクセサリーを贈りたくなったのだ。


「どのようなものをお探しで?」


急に、声をかけられる。
顔を上げると露店の店主であろうひとりの歳老いた老婆が朗らかな笑みを浮かべてアーデンを見ていた。


「ああ、いや、とくに目的の物を探しているわけでは…」
「おや、誰かと思えばアーデン様ではありませんか。贈り物ですか、それともご自分に?」
「贈り物です」


老婆と視線が絡めば、ものの数秒でアーデンであるとばれてしまった。
別段困ることでもないのだが、苦笑いが零れてしまうのはこの際許して欲しいものだ。
贈り物、と聞くなり店主は露店の端から端まで、様々な物を勧めてきた。
正直なところ、アーデンも女性物のアクセサリーには滅法疎い。
アーデン自身もアクセサリーを身に着けないため、こうしていろいろ教えて貰えるのは助かるところ。
変なところがnameに似たものだと、小さなしあわせに笑みが零れる。

店主はアクセサリーを指差しながら説明を続ける。
その指が、視界に入る。
左手の薬指できらめく指輪。
年期の入った銀の指輪。けれど大切にしていることが一目でわかるくらいに、美しい輝きを放つそれ。


「指輪…」
「はい?」
「指輪がいいです」


気が付けば、アーデンは口にしていた。
nameの指に、自分が選んだ指輪が嵌められ、輝きを放つ。
常にnameの身体に触れているところを想像すると、何故だろうか、心が満たされる気がした。

アーデンの小さな呟きを聞き逃さなかったのか、店主は大きく目を見開いた。


「恐れ多いですわアーデン様」
「え?」
「お妃様に御贈りする指輪を、このような辺鄙な出店で選んではなりません」


終いには慌てだす店主の姿を見て、アーデンは呆気にとられる。

お妃様?店主はいったい何を言っている?

「星の病」により混乱を極めるルシス国内。
その病により、王妃を選定する高官の見合い話もしばらく行われていない。
だからここで妃という言葉が出てくることに、違和感しかなかった。

そこでようやく気が付いた。
指輪はアクセサリーとして広く親しまれる物。
けれど、それはつけ方や贈り方によっては特に強い意味合いを持つ。


婚約指輪。
結婚指輪。


それは将来を共に歩む誓いを交わしたパートナーに贈り、贈られる物。
nameに指輪を贈る。
しかしそんな将来を誓う意味合いを含ませたものではない。
ただ、純粋に、アクセサリーとして贈ろうと思っていたのに。
理解すると、途端に顔に熱が集まる。

理由は、わからない。


「ち、違います!俺はただ…」
「ああ、どうしましょう。よろしいですかアーデン様、王妃様には相応しい職人が相応しい素材で作った指輪を贈らなければなりませんよ」


ですから。
であってして。
つまるところ。

店主の話は弾丸のように止まることを知らない。
ひとりで畳みかけ、ひとりで話し続ける。
アーデンの反応などおかまいなしだ。
ああ、こうして溝は深くなってゆくのである。

ヒートアップしていく店主の一人語りに、通行人は何事かと歩みを止める。
これはまずい。いや、恥ずかしい。


「ね、ネックレス!ネックレスがいいです!!!」


それは心からの叫びだった。
店主の語りがぴたり、と止まる。


「婚約首輪など聞いたことがありませんよ」
「だから!婚約っていう前提からまず違うんだってば!」


勘違いしたままの店主をなんとかなだめる。
婚約が決まっていないこと。まず婚約者すらいないのだということ。
指輪を贈ろうと思ったのは、アクセサリーとして贈ろうと思っていたこと。
そこまで説明して、ようやく店主は落ち着きを取り戻した。


「まあ…それは失礼しましたわ」
「はあ…、いや、いいんですけど…」


なんだかどっと疲れた気分だ。

いつの間にか小さな騒動の見物客の姿は無く、思い思いの店へ行き交う人々で賑わっていた。

改めて、露店に並ぶアクセサリーに目を向ける。
ふと、指輪のコーナーが視界に入り、慌てて首を振った。
店主がまた騒ぎ出すかもしれないし、何より気恥ずかしかったから。

何故気恥ずかしいのか。
どうして、自然と指輪を贈ろうと考えたのか。

どうして、nameの指に誓いの証があることに満足感を覚えたのか。

何一つ答えが出せないまま、アーデンはネックレスを選び始めた。


◇◆◇


夜が更け、静まり返る城の前に一台の車が止まる。
車を戻しに行くギーゼルベルトに礼を言い、車を降りれば見張りの兵士二人が一斉に頭を下げた。
それに短く答え、城の扉を両の手で押し開ける。
その先に、今一番会いたいひとが居た。


「おかえり、アーデン君」


エントランスの隅の柱。
その柱に背を預け、座り込んでいたnameはアーデンの姿を目にするなり素早く立ち上がり、駆け寄って来た。


「ただいま。また寒い所で待っていてくれたの?」
「今日はそこまで冷え込んでいないよ」
「でも、手、冷えてる」


nameの手を握り締めれば、その手は冷たかった。
夏が終わり、秋の始め。
まだ暖かさ残っているが、夜も更ければ寒さを伴う。
けれどnameはいつもと変わらず、アーデンを待ち続けてくれていたのだ。


「部屋、行こう」


早くnameを暖かい場所に連れて行ってやりたかった。
それに、渡したい物だってある。
それをこのようなムードも何もないエントランスで渡すようなことは、したくなかった。


◇◆◇


「送ってくれた写真、見たよ。とても素敵な街だったね」
「うん。緑が沢山あって、空気が澄んでた」
「いいなぁ。きっと食べ物も美味しいんだろうね」
「ああ、美味しかったよ。とくに…」


手渡されたアーデンの上着を、nameは手際よくハンガーにかけ、クローゼットへ片付ける。
それくらい自分で出来るのに、やらせて欲しいと願い出されればお願いする他なかった。

話題は今回滞在した街のこと。
滞在中、携帯電話で写した写真をnameに送り、連絡を取り合っていた。
文字や機械越しに会話はできれど、やはり顔を合わせると話に花が咲くというもの。
話したいことは次から次へと溢れ、そのひとつひとつを零さずに受け止めてくれる彼女は相変わらずで、心地がよい。


「ああ、大変なこともあってさ。市場の露店の店主が勘違いの激しい人で…」


そこまで口にして、はっ、と思い留まる。
今アーデンが話そうとしていることは、nameへの贈り物に繋がる。
目的を果たす前に話してしまうことは勿体ない。
慌てて荷物を探り出す。
その様子をnameは不思議そうに眺め続けている。


「あった」


丁寧にラッピングされた白色の包み紙。
その下の長方形の箱の中に、目的の物はある。


「nameにお土産」
「わあ…!いつもありがとう」


両手で土産を受け取るname。
あまりに嬉しそうに微笑むものだから、アーデンも自然と笑顔になる。
開けてもいい?
その問いかけに首を縦に振れば、nameは嬉々として包み紙を丁寧に開け始めた。
やがて露わになる桃色の箱。
そろり、と開けた箱の中には。


「…ネックレス?」


細いシルバーのチェーン。
その中心部で控えめに存在を主張する小さな粒のパール。
シンプルで素朴なデザインだったが、その控えめなデザインがnameらしくてアーデンはこのネックレスを選んだのだ。


「素敵…。私が受け取ってもいいの?」
「勿論。nameのために買ったんだよ」
「ありがとう、嬉しい」


大切なものを見るように、優しげに瞳を細めるname。
その柔らかな笑顔を見れただけで、アーデンはもう満足だった。


「貸して」
「え?」
「着けてあげる」
「え、い、今?自分で着けれるよ」
「俺が着けたいの」
「そう?じゃあ、お願いしちゃおうかな」


nameがこのネックレスを着けたところを見てみたい。
その姿を見ただけで、今日の夢はとてもいいものになりそうだったから。

nameの細い指がネックレスを掬い上げる。
指にかかるシルバーチェーンの輝きがまるで指輪をつけているようで、アーデンは邪念を払うように小さく首を横に振った。

受け取ったネックレスの留め具を外しながらnameの背後に回る。
nameの髪は首元を隠してしまうほど長いため、このままネックレスを着ければnameの髪まで巻き込んでしまう。
ネックレスの端と端を持ったままでは髪を抑えることができない。


「name、悪いけど、髪をまとめててくれない?」
「わかった」


nameの両手が、髪をかき上げる。
晒される白いうなじ。
突然晒されたそれに、アーデンは無意識に唾を飲み込んだ。
何故だかわからない。ただ、心臓が大きく跳ねた。


「アーデン君?」


なかなか動かないアーデンを不思議に思ったのか、nameは不安げにアーデンの名を呼ぶ。
その声で現実に引き戻されたアーデンは、慌ててnameの首元に手を回し、ネックレスを通した。
留め具をはめ、髪を下ろすように言えばそのうなじは隠される。
訳も分からずそれを残念に思いながら、nameを正面から視界に収める。


「ど、どうかな」


緊張しているのか、微かに頬を染めながら照れくさそうにはにかむname。
その少女のような愛らしい表情に軽く眩暈を覚えながらも、アーデンは答えた。


「似合ってる。すごく」


自分の見立ては間違いではなかった。
nameの肌の中できらめく銀色。
そして胸元で小さく光るパール。
nameの素朴さを引き立てることも、自身の存在を主張させることもないそれは、とてもよくnameに馴染んでいた。


「嬉しい…本当にありがとう。大切にするね」


とろけるように微笑むname。
その表情を目にした時、どうにも抑えがきかなくなって腕が勝手にnameを抱きしめていた。
胸元でしょうがないなぁ、と小さく笑うnameの頭頂部。
気づかれないよう、小さく口付け、頬を擦り寄らせた。

背に回される腕。
その指に、いつか口付けられたなら。
その指に、いつか輝きを宿せたなら。

この感情の名を、アーデンはまだ知らない。



back