×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
サラサラ。
室内にペン先と紙とが擦れる音が静かに響く。
その音は流れるように続く時もあれば、断続的に、終いには途切れたり。
しばらくの後にまた音を奏でたりしながら時は緩やかに流れていた。


「ねえname、"酷使"ってどういう意味?」


音が止む。
そちらに顔を向ければアーデンが指先でペンを遊ばせながらこちらを見ていた。


「手加減しないで厳しく扱うって意味だよ」
「"鉛筆を酷使する"って使い方する?」
「んー、どちらかというとひとに対して使う言葉かな。"肉体を酷使する"とか」
「わかった、ありがとう」


どういたしまして。

返してやるとアーデンは満足そうに頷いてまた手元のテキストに視線を戻す。
兄の様子を真向かいで盗み見ていたソムヌスも、兄に倣ってペンを動かし始めた。


一時間程前だろうか。
アーデンがソムヌスを伴って部屋を訪れたのを、nameは快く受け入れた。
用件はアーデンはクロードから出された課題を、ソムヌスは小学校で出された宿題をやるために。
nameの部屋でするよりも自室の方が集中できるのではないかと思ったのだが、口にはせず、何も物を乗せていないテーブルとイスをふたりに勧めた。

かくして始まった自習時間。
兄弟が静かにペンを滑らせる様子を、少し離れた所にあるソファから読書がてらこっそりと盗み見る。
たまにnameに質問が飛んでくることがあった。
ソムヌスからは小学生で学ぶ言葉の使い方や、漢字。それから簡単な計算式の質問。
十年以上昔の懐かしい小学生時代を思い出しながら答えることに、何の苦もなかった。

問題なのはアーデンの方。
なんだ"酷使"とは。
十歳に満たない子供が学ぶ言葉だろうか。いや、違うだろう。
歳にすればまだ小学生であるアーデンの学びが、一小学生のそれとかけ離れたレベルであることに、この時nameは初めて気が付かされたのだ。
一応二十九年生きているためそれなりの知識も言葉も蓄えてはいるが、自分の半分以下しか生きていないアーデンにいつその水準に抜かされるか、気が気ではなかった。


「はい、どうぞ」
「ありがとうname」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」


勉強熱心な兄弟にオレンジジュースを差し入れてやると、二人は嬉しそうに礼を言ってきた。
そろそろ休憩したらいいんじゃない。
そんな意味を込めた差し入れだったのだが、一口飲むと、ふたりはまたテキストに向かい合ってしまった。
やはり言葉にしないと伝わらないみたいだ。
もうかれこれ一時間以上、ずっとふたりは文字と向かい合っている。
ふたりの年代からすると、ここまで集中力が続くことは本当に珍しいことのように思える。
学ぶことはとても良いことだが、適度な休憩もまた学習のひとつ。
熱心な兄弟に休憩を促そうとした時に、nameはようやく気が付いた。


「(髪…)」


ペンを握っていない方の手。
アーデンは仕切りに髪を抑えては離し、抑えては離しを繰り返していた。
アーデンの茜色の髪は顎のラインで切り揃えられており、やや長めだ。
文字を書くにあたって下を向いた時、その髪は重力に逆らうことなくするり、と滑り落ちる。
それは勿論視界に入るわけで。
勉学の妨げになることは明らかだった。

もっと早く気が付いてやればよかった。
己の視界の狭さを叱責する。


「アーデン君、おいで」
「?」


普段使用していない、壁際に除けてあった椅子と小さなテーブルを窓際まで移動させる。
背凭れに手をかけてアーデンを手招けば、アーデンは手を止め、すぐにnameの所までとことことやって来た。


「お勉強、キリがいい?」
「うん」
「よかった。じゃあ、座ってくれる?」


アーデンの勉強の進捗を伺えば、どうやら良好らしい。
ならば少しだけ、付き合ってもらおうか。
着席を促すとアーデンは疑うことなく腰を落ち着ける。
これから何が始まるのか。ソムヌスも気になるようで、そろり、と椅子越しにこちらを伺っていた。


「ソムヌス君も、おいで」
「は、はい」


突然名を呼ばれて驚いたからなのか、上擦った返事をするソムヌス。
アーデンが座る椅子のその僅か手前。
もう一つ用意していた椅子にちょこん、と座る。


「name、何するの?」
「ん?アーデン君の髪の毛を結おうかなって」
「ゆ、…ゆ?」
「"ゆう"。結ぶ、って意味だよ。ソフィアさんみたいに髪をまとめるってこと」


いつもポニーテール姿のソフィアを例に出せば、アーデンとソムヌスは納得がいったように声を上げた。
あれが"結う"ということなのかと、新しい知識を得た兄弟は楽しそうに笑いあう。


「でも、どうしていきなり」
「アーデン君、髪の毛抑えながら勉強するの大変そうだなって」
「うん。おさえてもおさえても落ちてくるから、ちょっとじゃまだな、って思ってた」
「いいタイミングだったかな」


どんなことをしてくれるのか。
うずうずと身体揺するアーデンの後頭部を見てから、nameは小さなテーブルに用意した髪飾りに目を滑らせた。

この部屋を使わせてもらうことになってから既に用意されていた家具の一つ。化粧台。
化粧台の鏡を使うことはあれど、その中身までを使用する機会はなかった。
それがここに来て日の目を見そうだ。

化粧台の引き出しの中身は髪飾りだった。
シンプルなピンに、リボン、シュシュ。バレッタやヘアゴム、テールクリップが数多く用意されていた。
三十路とはいえやはり心は女。
このようなきらめく髪飾りに心ときめかないわけがない。
とはいえ、髪飾りをつけたところで見せる相手もいなければ褒めてくれるひともいない。
ソフィアなら目ざとく気が付いてくれそうだが、なんだかひとり善がりな気がして今日までこれらを使用するに至っていなかったのだ。

さて、アーデンの髪をどうまとめようか。
具体的に案を練っていたわけではない。見切り発車というやつだ。
とりあえず模索してみよう。
アーデンの髪を耳元から一房取り上げ、その茜色を梳いた。


「くすぐったい」


くすくす、と笑みを零すアーデン。
その様子を見て向かいに座るソムヌスもつられるように笑い出した。

アーデンの髪質はふわふわしていて、ねこっけだ。
一本一本が細くて、緩く波がかっている。
クセが強い、というわけではないのだが、毛先まで少しくるくると跳ねているのが特徴的だった。


「どういうふうにまとめてほしいとか、ある?」
「んーん。nameの好きなようにして」
「了解」


name自身、ヘアスタイルにこだわっている方ではない。
髪はまとめられれば十分。けれど他人のヘアスタイルを見るのは好き。そんなものだった。
祖母や母、友人の髪をいじらせて貰ったことはあるが、それは子供の遊びの域を出ない。
けれど最低限の結い方を学べたことは、とてもよい経験だった。


アーデンの髪を両サイドから一房後頭部にまとめて持ってくる。
櫛は使わず手櫛で整え、耳の裏のおくれ毛も数本まとめあげる。
そしてそのまとめ上げた髪を小さなヘアゴムで結び、飾りのリボンを巻き付けた。
茜色の髪に映える柔らかい黄色のリボン。
アーデンの瞳の色に似たそのリボンは、アーデンの動きに合わせてゆらゆらと揺れる。


「ん、できた」
「ソムヌス、どう?」
「よくおにあいですよ、兄上」


座るアーデンの真正面に移動し、ソムヌスの隣に立つ。
所謂ハーフアップという髪型だ。
アーデンの小さな顔を僅かに覆っていたサイドの髪を後ろに持っていくことで、その端正で愛らしい顔立ちが露わになる。
元の髪型でも十二分に可愛らしいのだが、髪型をひとつ変えただけでこうも印象が変わるものだ。


「これ、リボン?」
「うん。勉強の邪魔になりそう?」
「じゃまじゃないけど、おんなのひとみたいじゃない?」
「そうかな?アーデン君にとても似合ってると思ったんだけど」
「そうですよ兄上。すてきです」
「そっか、なら、いいや」


照れくさそうにはにかむアーデン。
それから「ありがとう、name」と笑みを零す。
どうやら満足してくれたみたいだ。


「さあ、次はソムヌス君の番」
「え、ぼくもですか?ぼくはべんきょうのじゃまになるほどかみが長いわけではありませんよ」
「私がやりたいの。よかったら付き合ってくれないかな?」
「わ、わかりました。お願いします」


おずおず、と。席を立ち、アーデンと入れ替わるようにして着席するソムヌス。
先程までソムヌスが居た場所に座るアーデンは上機嫌だ。

ソムヌスはアーデンほど髪が長いわけではない。
丸みを帯びた輪郭に沿うようにして、頬の辺りで整えられている。
しかしアーデンの髪型を整えた今、ソムヌスにも同じようにしてみたいという欲求が芽を出した。
本人が嫌がれば諦めようと思っていたが、こうして付き合ってくれることが嬉しく思えた。


座るソムヌスの後ろに回り込み、その青藍の髪に触れる。
ふわふわとしたアーデンの髪質とは異なり、ソムヌスの髪はさらさらだ。
絹のように触り心地がよく、滑らかに指が通る。
丸い後頭部に触れながら髪を弄んでいたのだが、アーデンのように後ろでまとめるには長さが適さない。
サイドで何かできないか。
そう思い、ソムヌスの横に立ち、目元の髪を掬い上げた。

反射的に目を瞑るソムヌス。
しかしその閉眼の仕方は驚いた、というより眠気を纏っているような、そんな気がした。


頭長部から左耳にかけて髪を流す。
それから髪の束を三つ取り、編みこみをすることにした。
学生時代の時に友人とお互いの髪でよく挑戦したものだ。
その経験が今活かされる。

表編みこみと裏編みこみがあることは知っているが、やり方まではわからない。
自分がどちらの編みこみを友人にしてやっていたかすら、知らないのだ。
とりあえず記憶にある限りの方法でソムヌスの髪を編みこんでゆく。
毛先まで到達したところで、編みこんだ毛先をピンを使って耳の裏で留めてやった。
青藍の髪に黒いピンが主張しているのがなんだか気にくわなくて、アーデンと同じように短いリボンを結んでやった。
青藍の髪に空色のリボン。
サイドの編みこみと耳の裏から垂れるリボンが、なんだか上品に見えた。


「できたよ」


上出来だ。
nameの中での出来栄えは拍手喝采。
上品な貴族の子のように、清楚にまとめあげられた自信がある。
貴族の子どころかふたり共王子なのだということは、横に置いておこう。

完成をソムヌスに知らせるが、反応がない。
もしかして気にくわなかっただろうか。
膝をつき、俯くソムヌスを覗き込んだ。


「…寝てる」


すよすよ、と静かな寝息を立てていた。
蒼の瞳は瞼に閉ざされている。
午後の穏やかな気候の中で髪を触られるのが心地よかったのだろうか。
ソムヌスの寝顔はあどけない。


「ソムヌス君寝ちゃったみたい」


言いながらアーデンを振り返る。
その視線の先のアーデンも、背凭れに小さな身体を預け、眠りに落ちていた。
そういえば全然声を発していなかったように思う。
編みこみに集中していたが、ふたりはやけに静かだった。

あどけない寝顔がふたつ。
nameは小さく微笑みを零しながら、ゆっくりとソムヌスを抱き上げる。
靴を脱がせてベッドに静かに下ろし、その後同じようにアーデンも抱き上げてやった。
ソムヌスよりも大きく、重い身体に無茶をさせないように、慎重に。

やがてnameのベッドの上に仲良く寝転ぶ兄弟。
白い枕の上に、茜色と青藍が散りばめられているのがなんとも美しい。
その髪から覗く黄色のリボンと空色のリボン。
波打つその端は交差している。

まるで一つの絵画のような美しい光景。
気持ちよさそうに眠るふたりに布団を掛け、nameは幸せそうに微笑んだ。

崩れてしまった髪型を整え直してほしいとせがまれるまで、あと二時間。



back