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いつからだろうか。
その姿を見つける度に視線で追うようになったのは。

いつからだろうか。
その姿を見つける度に胸が高鳴るようになったのは。

いつからだろうか。
そのひとが自分の兄の横で柔らかく微笑む姿を目にする度、胸が締め付けられるような思いをするようになったのは。


最初は、何気無いものだった。
廊下でそのひとを見かけた時。
話したいことがあるわけでも、用があるわけでも無いのに呼び止めて、そのひとの視線と意識を向けたくなった。

nameさん。

昔は見上げていたそのひと。
いつの日かその背に並び、追い越し、今度は見上げられるようになった。
変わりゆく己の変化を、彼女はいつだって受け止めてくれてきた。
その変わらない優しい瞳に映してほしくて。
柔らかい声色で、名を呼んで欲しくて。

彼女の傍はひどく心地よかった。
王族のしがらみや立場も何もかも忘れられる。
ただのソムヌスという一個人としていられる場所が、彼女の傍だった。

傍に居てくれるだけで、こんなにも安らげる。
ソムヌスの人生において、彼女の存在はとても、とても大きなものとなっていった。


姉や、母のようなひとだと感じていた。
二十一年の歳の差。
その年数だけ先を生きて培ってきた経験で形成された彼女の人格は、とてもあたたかいもので。
人柄に触れるだけで満たされる。そんな不思議なひとだった。
幼い頃から共に過ごしてきたし、歳の差もある。
自分にとって彼女は姉や、母のような。言ってしまえば家族に近い存在だった。

その"親愛"が"恋慕"に変わったのは、いつだっただろう。

思い出せる限りのきっかけは、高校に入学してしばらく経った頃だった気がする。

ある晴れた日の午後のこと。
忙しい兄からnameにと伝言を預かって、彼女の部屋に赴いた。
ノックしても返答が無く、悪いとは思いつつも静かに開けた扉の向こう。
室内のソファの上で横になり、昼寝をしている彼女の姿を見つけた。
少しだけ開けられた窓から柔らかな風が入り込む。
身一つで転がる彼女の身体には何も掛けられていない。
暖かい気候とはいえ、風に晒されるnameのことを思うと何か毛布でも掛けてやろうと考えた。

意識の無い女性の部屋に入るのは気が引けたし、乳母にも常識的ではないと教育されている。
それでもnameが体調を崩せば辛い思いをするのは本人だし、自分だって胸が痛む。

兄だって。

そう思い、静かに入室してnameのベッドの上の毛布を拝借した。
兄からの伝言は急を要するものではなかったため、気持ちよさそうに眠るnameを起こすのは気が引けた。
毛布だけ掛けて、また後で訪ねよう。
そう考えながら、毛布を手にnameが眠るソファまで静かに歩み寄る。


その姿を見なければよかったと、今にして強く思う。


nameはただ眠っているだけだ。
暖かい光の下で、瞼を伏せ、静かに呼吸をして、安らかに眠っているだけ。
けれどその姿は、ソムヌスが無意識に気が付かないように、開けてしまわないようにしていた感情の蓋を、内側からするりと開けてしまったのだ。

ソムヌスの名を優しく、柔らかく呼ぶ小さな唇。
いつもは意識なんてしないし、なんてことないのに、どうしてか、この時だけ。

視線が、釘付けになってしまった。

まるで宝石に魅了されるように。
まるで乾いた喉を潤すために水を欲するように。
自然な流れでソムヌスは屈み込み、nameの唇に吸い寄せられた。
薄く開いた口。
そこから覗く舌が、扇情的で。

口づけたら、どうなるだろう。
どうなってしまうだろう。
舌で歯列をなぞり、口蓋を擽り、舌を絡めて、吸い付いてしまいたい。


荒らしてみたい。


乱して、みたい。


口内だけではなく、その、身体も。


熱に浮かされたかのようだった。
白昼夢の中にいるみたいだった。
ふわふわと溶けてゆく思考。
その思考が如何に自分勝手で、利己的で、愚かなものか。
止められなかった。止まらなかった。
あと少しで、後戻りできなくなる。
唇が触れる寸前。


nameが小さく、身じろぎした。
その音で、動きで、ソムヌスはやっと我に返る。
弾かれるように離れる身体。
勢いをつけすぎて後ろに大きく仰け反り、尻もちをついてしまった。

何をしようとした。
nameに、何をしようとした。

早鐘を打つ心臓。
内側から破られてしまうのではないかと思うくらい、激しい。
弾かれるように飛び起き、未だ寝息をたてるnameの姿を見ないように毛布を手早く掛け、急ぎ足で部屋を後にする。
自室に戻るまでの記憶が無いし、今でも夢の中なのではないかと錯覚してしまう。


nameに、口付けようとした。
姉のように、母のように慕ってきたnameに。

いや、それだけではない。
欲をぶつけようともしてしまった。

高校生にもなれば性愛がなんたるか、いやでも周りから情報が入って来る。
そのことに関する授業もあれば、王室教師からの教えだって十分にされてきた。
王族の義務のひとつは、子を成すこと。
そして未来に繋げること。
そのために行われる行為だって知識があったし、いずれ筆下ろしの女が与えられるのだということも把握していた。

その全てに、一瞬ではあれど、nameを当て嵌めてしまった。

なんてことだ。
頭を抱えて後悔しても遅かった。
この感情に気が付く前に戻ろうとしても、もう、遅かった。


昇りきれば、あとは転げ落ちるだけ。
ソムヌスの気持ちは、日に日に大きくなっていった。
nameの姿を見掛ければ胸が高鳴り、名を呼ばれれば耳が疼く。
その瞳と視線が絡めばどうしようもなく欲しくなり、唇を視線でなぞればあの日の事を思い出した。
戻れない。
"親愛"のみを向けていたあの日には、どうしたって戻れなくなっていった。

"恋慕"
"性愛"

異性に向ける感情を、nameに、そして周りに悟られぬよう努めることがソムヌスの闘いとなっていた。


次第には、将来のことを考えるようになった。
もしもnameに"いいひと"が現れなければ自分が娶ってしまおうと。
歳の差なんて関係ない。nameが欲しいという欲求に抗うことなく、身を任せてしまおうとも。

しかしこの時ばかりは、己の出来のいい頭を恨んだ。

現実的ではない。ルシス国の第二王子と二十一も離れ、謎に包まれた従士であるnameと結ばれること。
それが何を意味するのか、嫌というほどにわかっていた。
己が求めても、周りは確実に反対の嵐だろう。
優秀な子孫を残すためには、相応の身分と気品、教養を携えた女性でなければならない。
nameは人格者だ。この身が、記憶が証明できる。
けれど王族という立場で物事を考えた時、どうしてもnameと結ばれる未来は明るいものではなかった。

それに、nameの気持ちもある。
自分の感情ばかり先走っていたが、nameはソムヌスの事を"そういう"対象として見ていないことは明らかだ。
弟ように思われ、扱われている自覚はあった。
ソムヌスがnameにぶつける感情と、nameがソムヌスに与える感情とでは意味合いが全く異なる。
nameの気持ちを無視してまで押し通すべきものではない。
nameには、笑っていてほしい。願わくば、ずっと。しあわせでいてほしい。
しかしそれが諦めに繋がるのかと問われれば、答えは否だった。



その答えが覆される出来事が訪れる。

兄の二十一歳の誕生日。
最近部屋に篭りがちなnameを誘って城下町に足を運んだ日の事だった。

飲み物を買うためにnameと少しの間離れた。
そして目的の飲み物を両手に携えてnameの所に戻った時、駆け出すnameの後ろ姿を視界に捉える。
訳がわからなかった。nameがそのような行動に出た意味も、何もかも。
ただ僅かに垣間見えた表情が今までに見たことが無いくらい悲壮なもので。
両手に持っていた暖かい飲み物を地面に殴り捨てて形振り構わずnameの後を追った。

どうやらnameは城を離れるつもりでいるらしかった。
その結論に至る理由は、なんとなく察していた。
nameの悩みも、考えていることも。
城の人たちや、自分のこと。そして何より兄のためを思ってその選択をしようとしていることは、わかっていた。

離れたくない。
離れていくことなど、許しはしない。
少しでも言葉を、行動を誤ればnameは城を去ってしまう。
ソムヌスはnameを閉じ込めることにした。
監禁ではなく、軟禁。
言葉は違くとも、nameを部屋から出させないことに変わりはなかった。

何とか考えを変えて欲しい。
城を去る考えなど、捨てて欲しい。
離れないで、欲しい。

何日も何日もかけて、ソムヌスは説得を試みた。
核心に触れず、言葉を選び、慎重に。
けれどnameはソムヌスと会うことを拒んだ。
最初のうちは応じてくれていたが、それは日に日に少なくなっていく。
扉越しから聞こえてくるnameの声。
その色はひどく重く、静か。
nameが思い悩んでいることは明確だった。

ソムヌスでは、駄目なのだ。
nameの憂いを晴らすことも、心を救いあげることも。
悟ってしまった。いや、答えはずっとずっと昔に出ていた。


ソムヌスの言葉は、nameに届かない。
けれど、兄の、アーデンの言葉なら。


悔しい気持ちを抑えて兄に連絡を取った。
多忙な筈の兄は思いの外、一回目の連絡で応じてくれた。
nameの様子と、しようとしていることを話すとアーデンはすぐに帰城の準備に取り掛かった。

nameを絶対に城から出すな。

勿論、兄に言われずとも出すつもりなど毛頭もなかった。
それから数日。予定よりも随分と早くアーデンは姿を現した。
その顔は険しく、顔を合わせるなり開口一番nameの状況を訊ねる言葉が飛び出す。
ぴりぴりとした殺気。
nameの所に向かうその背は怒りとも、悲しみともいえない何かを漂わせていた。
感じたことのない兄の雰囲気に、ソムヌスは萎縮する。

それからしばらく音沙汰なく、たまらず不安になったソムヌスは様子を見にnameの部屋を訪れることにした。
nameの部屋がある直線の廊下。
そこに差し掛かった時、nameの部屋から出て来る人影があった。


泣き腫らした顔のname。
そしてそのnameの肩を抱き、愛おしいものを見るかのようにしあわせそうに目を細めるアーデンの姿。


そのふたりの姿を見た時、入り込む余地がないことを悟った。
悟った?いや、突きつけられた。

自分がいくら手を尽くしても解けなかったnameの心を、アーデンはいとも簡単に解いていった。


叶わない。
兄には、到底。届くはずがない。


足を返す。
自室に戻るその足取りは重く、暗く、沈む。



アーデンは、ソムヌスよりもずっと早くnameに対して特別な感情を抱いていた。
その瞳が、態度が、声色が、nameを愛しているのだと雄弁に語り掛ける。
血を分けた兄弟だからだろうか。周りが気づかない兄の変化には人一倍敏感だった。
当の本人も、そしてその感情を向けられるnameも、互いに気が付いている様子は無い。
チャンスだと、そう思っていた。
アーデンがその感情に名をつける前に、自覚する前に、nameを奪ってしまえばいいと。

けれどこの日。それがいかに不可能で、愚かなことであるかを思い知らされた。
アーデンにはnameが必要だ。
そしてnameの支えになっているのも、アーデンだ。
無意識のうちに、ふたりは互いを求めあっている。
アーデンとnameの感情の意味合いは異なれど、それは事実。


消してしまおう。
この恋心を。

それがソムヌスの出した結論だった。

この感情はソムヌスにとってかけがえのないもので、産まれて初めてひとりを愛した、大切な想い。
けれど、これは持っていても苦しいだけ。
叶わない、届かない、実らないものだと、知ってしまった。
捨ててしまおう、消してしまおう。

最初に戻ろう。
綺麗なまま。肉欲に塗れた恋慕を洗い流して、一から、また始めよう。

今度は真っすぐに、曲がらずに。
nameのしあわせを愛そう。

nameがアーデンとしあわせでいてくれること。
アーデンがnameといつまでも幸せでいてくれること。

ふたりが笑っていてくれれば、それだけで、もうじゅうぶん。


最初は。
その姿を見つける度に視線で追うようになった。

次は。
その姿を見つける度に胸が高鳴るようになった。


最後は。



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