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「#エロ」のBL小説を読む
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「俺はまだやることがあるから外にいるが、ちゃんと部屋でゆっくり休めよ」
「無理。nameの所に行く」
「だろうなぁ」


車両から降り、慌ただしくドアを閉める。
運転席にいるギーゼルベルトの苦笑いを含んだ声を聞き流し、アーデンは城門への階段を駆け上がった。


終わりを見せない「星の病」の治療。
王都を回り続けて一年になるが、その終焉は兆しを見せることなく、現在に至る。
日が昇る前に城を出立し、夜が深まった時刻に帰城する。
そんな生活が長らく続いているのだ。

慣れない魔法の駆使に、動き続ける身体。
疲弊を重ねるアーデンを見かねて少しばかり早い帰城を促したのはギーゼルベルトだった。

助ける本人が倒れたんじゃ話にならねぇ。

彼らしい、尤もな言い分だった。
けれどアーデンが休む間にも苦しむひとは大勢いる。
今もこうして助けを待ちわびていることを考えると、急く気持ちは抑えられなかった。
当然、ギーゼルベルトの案に反対を押し切ろうとしたのだが、不調を指摘されてしまっては何も言い返すことができなかった。
彼は鋭い。上手くごまかせているつもりだったのだが、幼い頃からの付き合いがあるせいか、少しの違和感でも彼は悟ってしまう。

渋るアーデンに、ギーゼルベルトは続ける。
連日のアーデンの働きもあり、優先度の高い重篤な患者はいないとのこと。
それから市民全員がアーデンの身を案じていることを重ねられる。
そこまで言われて、アーデンはようやく休息を受け入れることにしたのだ。

苦しむ人々を救いたい。できることなら、昼夜問わず。
けれど自身もただの人間。王族で、魔力を有していようと、ただのひとであることに変わりはない。
睡眠を必要とすれば食事も必要とする。
それらを蔑ろにしていたわけではないのだが、無理も祟って限界の三歩手前くらいまで来ていたことは事実だった。
救う側が倒れては、救える者も救えない。
確かに、その通りだった。

こうしてアーデンは一ヶ月ぶりに、いつもより随分と陽が高い時間帯に城へ帰ることとなったのだ。


しかし。
アーデンの長い脚が向かう先は自室ではなく、nameの部屋。
身体が求めるのは休息だが、心が求めるのはname。
電話で連絡はとっているが、その姿を目にするのは一か月ぶりなのだ。
自室で休むのはnameに会ってからにしよう。
浮き立つ心から歩みは速くなる。

次第には走り出したアーデンを諫めたのは、乳母のマリベル。
運がいいのか悪いのか。注意を受けた後にnameの居場所を訊ねれば、nameは中庭にいるという。
再度走り出すアーデンの背に向けられる小言は、聞こえないふり。
後が怖いが、それよりもnameに会いたい気持ちの方が大きかった。


廊下の曲がり角を曲がる。
日の高い時間帯からアーデンが城内にいることを不思議に思ったのか、道行く兵士は驚きながらもアーデンに敬意を払う。
それに短く応じながら進む先に、目的のひとはいた。

緑に囲まれる中庭の一角。
昔から手入れを行っているジールの花の花壇。
しゃがみ込み、土をいじるその横顔は真剣そのもので、アーデンは無意識に笑みを零す。
名を呼ぼうと口を開いたところで、音に出せず終わる。
歩みを進める内に、nameの向かいに居る人物に気が付いたから。


「nameさん、頬に土がついていますよ」


作業に集中するnameの顔を見て、ソムヌスが微笑みながら指摘する。
それに顔を上げたnameは慌てて手首で頬を擦るが、ソムヌスの様子から土汚れは取れていないことが察せられる。
ごしごし、と的外れな場所を擦り続けるname。
ああ、そんなに擦ってはなめらかな肌が荒れてしまう。
自分がその頬に触れて、優しく、取り払ってやろう。
高揚する心のままふたりへ歩み寄る速度を速めるが。


「触りますよ」


自然な流れで、ソムヌスの手がnameの頬に伸ばされた。
当然のように、nameの頬に触れる。
nameは擽ったそうに目を細め、そんなnameを見てソムヌスは優し気に微笑んだ。

なんだ、その表情は。

なんだ、その雰囲気は。

まるでふたりのために誂えられたかのような空間。
ふたり以外の侵入を許さない空気。
どういうことだ。
己が目にする光景がまるで現実のものとは思えなくて、アーデンの歩みは自然と止まる。

アーデンが記憶するソムヌスの行動の中に、あんなにも優しくnameに触れることなど今までなかった。
幼い頃からアーデンと同じくnameと過ごしてきたが、ソムヌスはアーデンよりもずっとnameに対して控えめだった。
nameに対して自らアクションを起こすことはなく、いつもnameから。
それも頭を撫でる程度のもの。
ソムヌスが大きくなってからその頻度は格段に減り、ふたりが接触するところは長らく目にしていなかった。

しかし今日。今。
目の前でソムヌスがnameに触れた。
信じられなかった。

アーデンは多忙で城を開けることが多くなった。
その間、結果としてnameがアーデンよりもソムヌスと過ごす時間の方が多くなるのは必然的。
何があった。
ソムヌスが自らnameに対して行動を起すほどの事があったとでもいうのか。


「うん、取れました」
「ありがとう、ソムヌス君」
「どういたしまして。今更ですが、やはり軍手だけではなく園芸用の手袋も用意したほうがよいみたいですね」
「そうだね。今度は顔中土だらけにしちゃいそう」
「はは、そうなったら僕が拭ってさしあげますよ」
「もう、自分でできるよ。でも、ありがとう」


笑いあうふたりから、目が離せない。
入り込む余地が無い。それが素直な感想だった。
晴れない心。胸がもやもやする感覚。

ああ、これは。


「あ、アーデン君」


ふと、名を呼ばれた。
それだけで嬉しい気持ちで満たされる心は、何故だか今は霧がかかったように不鮮明だ。


「ただいま」
「おかえり。予定より早いね」


立ち上がり、服装を軽く整えてからこちらに駆け寄って来るname。
ソムヌスといたあの場所を抜け出して自分の所に来てくれることに優越感染みた何かを覚える。


「倒れる前に休めって、ギルが」
「倒れ……、え!?アーデン君体調悪いの?」
「ああ、いや、全然。ギルが気を利かせてくれただけ。俺は平気」


目を見開き、驚きを露わにするname。
それから心配そうに眉を顰めるその仕草から、それだけ自分のことを心配してくれているのだと悟る。
今、nameの心を占めているのは自分のこと。
それが満足と言えば満足なのだが、釈然としない感情が確かにあった。


「でも休める時にちゃんと休んでね」
「うん」
「少しでも顔が見れてよかった。明日にはもう発つの?」
「そう。いつもと同じ時間」
「わかった。朝、見送らせてね」


会話の終わりが見え始めた。
アーデンの僅かな休息の邪魔にならないよう、nameが会話を切り上げようとしてくれていることは十二分にわかっている。
けれど、この会話が終われば、nameは何処に行く?
戻るだけだ。そう、ソムヌスの所に。
またふたりの時間が流れ始める。
アーデンの知らない、ふたりの時間。
そのことを考えるだけで、途端に心に靄がかかる。


「じゃあ、私、ソムヌス君と手入れの続きをするね」


また明日。

そう言って踵を返そうとしたnameの腕を掴んだのは、無意識だった。


「アーデン君?」
「あ、……っと」


不思議そうにこちらを見上げるname。
無意識だったため、特にこれと言った明確な用件でnameを引き留めたわけではない。
続くアーデンの言葉は歯切れの悪いもので、意図は無くともnameの不安を煽るだけだった。


「具合悪い?大丈夫?」
「いや、違うんだ」


視線を泳がせる。
どうしたらいい。自分は、どうしたい。
ソムヌスの所に行かせたくない。
そう言葉にすればひどくnameを困らせてしまうだろう。
けれど、させたくない。
何より、まだnameといたい気持ちもあった。


「……一緒に、来てくれる?」


選んだ言葉がこれだった。
ソムヌスではなく、自分を選んで欲しい。
nameを困らせる選択肢を突きつけるあたり、割と心に余裕が無いのだと、アーデンの冷静な部分が分析する。


「わかった、行こう」


即答だった。
nameは着けていた軍手を外し、中庭の芝生に置いた。
驚いた。nameは律儀な性格だから、使った物はいつも元の場所に戻す。
厨房の調理台にしろ何にしろ、使用前の姿となるように磨き上げることだってよくあることだ。
そのnameが、花壇を手入れする道具があるソムヌスの所まで戻らず、軍手を放置した。
いや、きっと、確実に後で片付けるだろうが、nameの中で優先度が高いのがアーデンであるという事実。

嬉しい。

真っ先に自分を選んでくれたことが、何よりも嬉しい。
遠くのソムヌスと二、三言会話を交わし、nameは立ち止まったまま動かないアーデンを見上げる。
名を呼ばれたことで、ようやく現実に引き戻された。
nameの手を引き、目指すはアーデンの自室。
前へ歩みを進めながらも後ろを振り返る。
遠くでソムヌスが微笑みながら小さく手を振っていた。


◇◆◇


nameを伴い戻った一か月ぶりの自室。
主の不在でも使用人は清掃を怠っていないため、室内は清潔に保たれている。
高い位置にある陽が、窓から射す。
けれどアーデンの心の靄は、青空のように晴れることはないのだ。


扉の前で立ち止まるname。
その横を通り抜け、クローゼットへ向かう。
無言。
話したいことは山ほどにあるというのに、言葉を発せない赤子のようにアーデンは沈黙を保ったままだった。
上着を脱ぎ、ハンガーにかける。
身体は身軽になれど、心は依然として重たいまま。
さあ、時間稼ぎは終わってしまった。どうする。どう切り出す。
アーデンが言葉を選びに選び抜いている時だった。


「………ごめんね」


静寂の中、nameの小さな声がいやに響いた。


「え?」


振り返ったその先、nameは俯き、眉を顰め、悲しそうな表情をしていた。
何故、nameが謝る。どうして、そんなに悲しそうな顔をする。
いきなり連れ出したのはこちらの方だ。謝るのはむしろこちらの方なのに。
今回ばかりはnameの心の内が察せられず、反応に詰まる。
そのアーデンの反応をどのように受け取ったのか、俯いたままnameは続ける。


「アーデン君が頑張ってくれているのに、私、呑気だったね」


しょんぼり。
そんな効果音が聞こえてきそうな程に、nameの落ち込みようは凄まじいように見えた。


「え、は、えっと?」


何のことだかさっぱりだ。
困惑するアーデンを見上げるnameの瞳は、不安に揺れている。


「呆れたよね。ギルが心配するくらいアーデン君は大変なのに、私、こんな、のうのうと…」
「え、ごめん。何の話?」
「え?あ、アーデン君が私に対して怒ってるって、話…」


また俯きだすnameに、慌てて駆け寄る。
なんだその勘違いは。なんだその見当違いな解釈は。
本当に自分のことに疎いひとだ。
咄嗟に握り締めたnameの手は、変わらず温かい。


「いつ俺がnameに大して怒った?」
「さっきから。だって、アーデン君、此処に来る間一言も話さないし…」
「あー……」


確かにそうだ。
アーデンは自分の中に燻る感情をnameにぶつけまいとしていただけで、決して怒りを抱いていたわけではない。
もやもやとする心に既に名があることは知っていた。
そんな子供染みた感情をnameに悟られたくない。
ただその一心で言葉を飲み込んでいただけ。
けれどnameはどう勘違いしたのか。
呑気に、のうのうと土いじりをするnameに対してアーデンが呆れ果てたと。
これまた湾曲に湾曲を重ねた曲解だ。見当違いもいいところ。


「違うよ。怒ってない」
「じゃあ、どうして…?」
「………ええと」


突き詰められると、途端に渋ってしまう。
アーデンの中で燻る感情はひどく子供染みたもの。
それをnameに知られることが、何故か恥ずかしく思えたのだ。


「教えて、アーデン君」


掴んでいたnameの手が、今度はアーデンの手を握り締めた。
ぎゅう、と。柔らかい手に包まれる。
見上げる瞳は懇願の色。


「アーデン君の思ってること、感じてること。私に、全部」


感情も何もかも、出していいんだよ。

nameは昔からそうだ。
言わなきゃ伝わらない。ある程度他人の考えはわかっても、その全てを熟知できるわけではないのだと。
言葉の大切さを、事あるごとに説いてきた。

そうだ。言わなきゃ、伝わらない。
言葉にしないから、こうして擦れ違う。
nameを、不安にさせる。
nameを悲しませることに比べたら、子供染みた感情を出すことなど、どうってことないと思えた。


「嫉妬、した」
「え?」
「嫉妬したんだ。ふたりの仲がよくなってるから、やきもち、やいた」


尻すぼみになる言葉。
どうってことないと思ったけれど、言葉にするとなんだか気恥ずかしい。
成人した大の男が嫉妬、やきもちという言葉を口にするなんて。
nameはぱちぱち、と瞬きをして、数拍の後にようやく理解したのか、不安げなその表情は徐々に解けていった。


「そうだったの」
「うん。だから、怒ってない」
「よかった…。あのね、ソムヌス君、アーデン君のお話しばかりしてたんだよ。だから、やきもち妬かなくても大丈夫」


ソムヌス君はアーデン君のことが大好きなんだから。

にっこり。
そんな効果音つきで微笑むnameから、目が離せなかった。

どうしてそこでソムヌスが出てくる?
いや、話の中心にあるのはnameとソムヌスなのだから、別段おかしくはない。
おかしくはない、のだがそのベクトルがおかしい。
解釈の齟齬が発生している。
アーデンはすぐに悟った。

nameはアーデンの嫉妬の対象が己であると勘違いしている。
たったひとりの弟をnameにとられて、それでやきもちを妬いているのだと。
勘違いも甚だしい。本当になんて鈍いひとなんだ。
声を大にして言ってしまいたかった。
けれど、それよりも先に身体が動く。


「おふっ」


アーデンの唐突な抱擁に、nameは短く声を漏らす。
どうしたの。
そんな言葉が飛んで来そうで、アーデンはその前に声を上げる。


「ほんっっっっと鈍いんだから!」
「え、えっ?ごめん?なさい」
「俺が嫉妬してたのはソムヌス!」
「え、わ、私じゃないの?」
「言葉足らずな俺もだけどnameもname!ソムヌスがnameに触るから、それにやきもち妬いたの!」


もういいだろ!

これ以上は恥ずかしくて仕方がない。
その恥ずかしさを隠すように、アーデンは強くnameを抱きしめる。
顔面に胸板を押し付けられて息苦しそうなnameがもぞもぞと動いた。
ああ、もう。少し意地悪してやろう。
抱きしめる力は緩めない。


「…ふふっ」


胸元がnameの息遣いで擽ったい。
小さく笑い出すnameを覗き込めば、楽しそうに、嬉しそうに笑うname。


「…何がおかしいのさ」
「おかしい?違うよ。可愛いなって」
「それ、大の男に言う?」
「ごめんなさい。だって、アーデン君可愛くって」


くすくす、と。
止まることを知らないnameの笑い声を阻むように、再度腕に閉じ込めた。


「あのね、私がこうして抱きしめたり、抱きしめられたりするのはアーデン君だけだよ」


そっと、背中に回される腕。
小さい頃からアーデンを支えてくれていた、温かく、優しい手。


「だけど、ソムヌスから求められたら拒まないだろ?」
「うーん…、そう、だねぇ」
「ほら」
「でも、今はアーデン君だけ」


無意識だろうか。笑いながら擦り寄ってくるname。
その姿がひどく愛おしくて、ああ、nameはずっとこんな気持ちを感じていたのだと、がむしゃらに抱きしめたくなった。


「じゃあ約束して」
「ん?」
「ソムヌスを抱きしめるのも、抱きしめられるのも、一回だけ。それ以上はまた俺がやきもち妬くから」
「なあにそれ。最初で最後ってことになるじゃない」
「一度だけ許してあげるんだから、寛大な方でしょ」
「当の本人は甘えたさんなのに?」
「俺はいいの」


困ったように、けれど楽しそうに笑い出すnameを強く抱きしめる。
この温もりを、誰にも渡したくなかった。
血を分けた弟でさえも、このひとをとられたくない。

小さな嫉妬。大きなやきもち。
感情の行く末は、いったい何処なのだろう。
本人でもわからぬそれ。
けれど今は欲しいものがこの腕の中にある。
それだけで、じゅうぶんだった。



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