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「#エロ」のBL小説を読む
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身体が熱い。
ぐらぐらと揺れる視界。熱で滲む涙。
呼吸に詰まる喉は息を吸い込む度にちりちりと焼けるように痛んだ。
身じろぎするだけで関節は痛み、脳内から揺さぶられるような頭痛に苛まれる。


「風邪ですね」


紛うことなく、風邪の症状だった。
ベッドの中で辛そうに横たわるnameを心配そうに覗き込むマリベル。
頷くことも叶わず、nameはただ熱に浮かされる瞳で見上げることしかできない。


「どこからうつされたのかしら」
「ずびばぜん…」
「薬をお持ちしますから、ゆっくり休まれてくださいな」
「ふぁい……」


気をきかせたのか、物音立てずに静かに退室するマリベルを横目で見送る。
彼女の姿が扉の向こうに消えたのを確認してから、nameは咳込みながら小さくため息を吐いた。



風邪の原因は、nameなりに検討をつけていた。
いやむしろこれしかないと確信さえしているほどだった。

原因は遅くまで城のエントランスで待ち呆けていたこと。
「星の病」に侵される人々を救いゆくアーデンの遅い帰りを、肌寒いエントランスで延々と待っていたがためである。

「星の病」によるソフィアの死をきっかけに人々を救うと決意を見せたアーデン。
その意気は鎮まることを知らず、以前にも増して精力的に活動するようになった。
太陽が顔を出す前に城を出発し、日付が変わってから帰城する日は少なくなかった。
とりあえず今のところは三日に一度は顔を合わせることができてはいるが、今後どうなるかわからない。
忙殺されるアーデンが心配でたまらず、nameは毎日アーデンの帰りを待っていた。

結果がこれだ。
自業自得。呆れて物も言えない。
昨夜、いくら待てども帰る兆しを見せないアーデンに諦めをつけ、とぼとぼと部屋に戻ったname。
その足取りが重かったのは、今にして思えば落胆だけではないような気がした。
そして今朝目が覚めて自身の身体の異変に気が付く。
ああ、風邪だ。と。
ふらふらと覚束ない足取りでマリベルの下まで赴いて相談したところ、有無を言わさず部屋に押し戻され、こうしてベッドと仲良くすることとなった。


「情けないなぁ…」


ぽつり、と小さく呟いた自身への罵倒は静かに消えゆく。



◇◆◇


薄っすらと、目を開ける。
マリベルから貰った薬を飲んで横になった後、瞬く間に眠りへと誘われたname。
眠りは深かったが、その覚醒は気分のよいものではない。
未だに身体は火照り、喉は痛む。
今朝に比べればマシな方ではあるが、快調とは言えなかった。


「(水…)」


痛む喉を潤そうと、気怠い身体を起こしてサイドテーブルに置いてある水差しへ視線を向ける。
水差しの隣。控えめに置かれた小さな花束に気が付いたのは、それと同時だった。
はて、自分が眠る前に花束など置かれていただろうか。
そもそもnameが自分で用意したものではない。
いくら体調が悪いとはいえ、そこまで記憶が飛んでなどいない。
ということは、これはnameではない誰かが用意したものだ。
それも、眠っていたこの数時間で。


今は水よりも花束のことが気になった。
そろり、と花束に手を伸ばす。
両手の平よりも少しだけ大きめの、控えめな花束。
花の種類はわからないが、桃色と白色。それから黄色の花が丁寧にまとめられて淡い黄緑の包装紙に包まれていた。
その花束を下から上から観察していると、包装紙の内側に一枚の紙が挟まれていることに気が付いた。
メッセージカードだろうか。
花の海から取り出し、目を通す。


『お休み中に入室して申し訳ありません。お早い快復を祈っています。クロード』


「クロード先生だ」


歪みの無い達筆。
nameの快復を願うその一文の最後にしたためられた差出人はクロード、そのひとだった。
来訪に全く気が付かなかった。
それほどまでに深く眠っていたのか、クロードが物音ひとつさせなかったのか。
どちらにせよnameの身を案じて来てくれたことに違いはなかった。
これは早く風邪を治して礼を言いに行かねばなるまい。

小さな花束を手に、nameは小さく笑みを零す。
この花を花瓶に活けなければいずれ枯れてしまうだろう。
視界は歪み、怠さは残るが少しの辛抱。
布団を捲り、足を出そうとした時だった。


「nameさん?起きていらっしゃいますか?」


控えめのノックに小さな声。
伺うようにおそるおそる、と言った声音はソムヌスのものだ。


「起きてるよ、…けほっ」
「お辛いところすみません。入らせて頂いても?」
「うん」


静かに開かれた扉から、ひどく心配そうな表情のソムヌスが顔を覗かせた。
ベッドの上のnameを目にするなり、ソムヌスはやや速足で歩み寄って来る。


「起こしてしまってすみません、どうか横になってください」
「違うの、花を花瓶か何かに活けようと思って、ッけほ」
「…よろしければ、僕に任せて貰えませんか?少々室内を回らせて頂くことになりますが」
「ありがとう。お願いしようかな」
「はい」


ソムヌスに花束とメッセージカードを預ける。
カードの文字がたまたま視界に入ってしまったソムヌスは、勝手に読んだことを悪く思ったのかnameに謝罪をしてきた。
律儀な子だ。
見られて困るものでは無いし、クロードのプライバシーを侵害するようなものでもあるまい。
クロードの優しさが詰まった贈り物だ。


「可愛い花束だよね」


ベッドに横になりながらソムヌスを見上げれば、彼はゆっくり微笑み、頷いた。
それからメッセージカードをサイドテーブルに乗せ、nameに布団をかける。
なんだか介護されている気分だ。
ありがとう。
伝えればソムヌスはにこりと笑い、簡易キッチンへと足を進めた。


「気の利いた物を用意できなくてすみません。先程マリベルさんからnameさんの容態をお聞きして、居ても立ってもいられなくて」
「心配してくれたの?ありがとうね」
「心配します。当然ですよ」
「ふふ…」


姿は見えないが、少しむくれたような、強気の声色でソムヌスの表情がありありと想像できる。
その様子に笑いが零れたが、直後咳込んでしまう。
ソムヌスが訪ねに来てくれて浮かれていたが、やはり風邪は風邪。
ちょっとやそっとでは治るものではないのだ。

かちゃかちゃ、という陶器が擦れる音。
その後に水の音が聞こえてきた。
花瓶になる入れ物に水を入れてくれたのだろう。
nameが横になるベッドまで戻ってきたソムヌスは、サイドテーブルに花の入った容器を置いた。


「ありがとう」
「どういたしまして。後でちゃんとした花瓶を用意しますね」
「ううん、これがいいな。なんだか可愛い」
「そう、ですか?…ああ、確かに」


使っていない手ごろなコップがあったのだろう。
小さい容器に丁寧に活けられた花々は熱で潤むnameの目を楽しませてくれた。


「お身体は…よくないですよね」
「ごほっ、そう、だね。せっかく来てくれたけど、うつる前に戻った方がいいよ…」


こんな状態だ。持て成すこともできなければ話を聞いてやることもできそうにない。
それに風邪をうつしてしまう恐れがある。
そっけないが、早々に帰ってもらった方がソムヌスのためになるだろう。
しかしソムヌスは納得がいっていないような、複雑そうな表情をするものだから、nameはどう言葉を続ければいいのか迷ってしまう。


「薬は飲みましたか?」
「ん」
「熱は」
「…ある」
「どのくらいですか」
「今朝計った時は三十八度…七?八?くらい」
「…わかりました。お役に立てるかわかりませんが、お渡ししたいものがあります」


取って来ますね。
そう言って踵を返すソムヌスに慌てて声をかける。


「え、何持ってくるの?」


風邪をうつすかもしれないと言ったのに、またこの部屋に足を踏み入れる気なのか。
そこまでソムヌスを駆り立てる物がどのような物なのか気にはなるが、危険を冒してまで届けるべき物なのだろうか。


「ひえぴた、という物です」
「ひ、冷えピタ…?」
「はい、友人から聞いたことがあります。額に貼り付けて熱を吸い取るシートのようなものだそうで。薬局に行ってくるので、それまで動かず、休んでいてくださいね」


冷えピタ。それはnameがよく知る物の名だ。
日本で親しまれる冷却シート。風邪をひいて熱に浮かされた時によく使った記憶がある。
まさかイオスにもあるとは。

いや、待て。ソムヌスは何と言った?

懐かしいその名称に気をとられ、頭が回っていない。
薬局に行く?王子が?冷えピタを買いに?
会話の流れからそれは当然nameのためだとわかる。
確かに、日本の、それもnameの基準ではあるが、冷えピタのような庶民的な物が王城に用意されているとは思えない。
しかしそれをソムヌスが、王子がわざわざ買いに行く必要があるだろうか。いや、ない。
申し訳なさが胸を支配し、引き留めようと声を出そうとするが、張り付く喉は音を出せず、咳となる。


「食べやすいゼリーや飲料水も買って来ますから」


ああ、待ってくれ。王子を使いに出すだなんて、そんな。

罪悪感でどうにかなってしまいそうなnameの内なる声は、ソムヌスに届かないのだ。


◇◆◇


濃い闇に包まれた夜中。
丁度日付が変わった頃、nameは自分の咳で目を覚ました。
これで何度目だろう。
眠りに落ちたと思ったら咳で目覚め、落ち着いたころようやく寝れると思ったらまた咳で眠りが阻害される。
水で喉を潤しても落ち着く兆しは無さそうなのだ。
熱も下がらず、依然としてnameの身体を苛み続けている。
幸いなのは熱が上がらないことか。
下がりはしないが、これ以上の熱に苦しめられないのが、今のnameにとっては小さな救いだった。

薬は二度程服用した。
けれどここまで快復の兆候が無いことを実感すると、やはり異世界の薬はこの身体に効きにくいのだということが確信めいてくる。
困った。これでは自然回復を待つようなものではないか。
うんざりと吐き出すため息は熱い。

起きていてもただ辛いだけ。
したいことも出来ないため、現状、nameはベッドで横になり続けることしかできないのだ。

ああ、今日はアーデンの帰りを待つことができなかった。
毎日の日課のようなものになっていたが、ここで欠かしてしまうことになるとは。
アーデンはもう帰ってきただろうか。
疲れてはいないだろうか。ちゃんと休めているだろうか。
どちらにせよ、会えた所で今の容態では大した話もできない。
それどころかアーデンに風邪をうつしてしまう可能性だってある。
しばらくは顔を合わせない方がお互いの為になるだろう。
そう思っていた矢先。


「…name?」


よく耳を澄まさなければ聞こえない程の声音。
しかしnameの聴覚は熱に浮かされながらも鋭敏に研ぎ澄まされ、その声を拾い上げた。
横目で扉を見れば、いつ扉を開けたのだろうか、アーデンがこっそりと顔を覗かせていた。


「ごほっ、アーデン君…」
「ごめん、起こした?」
「だいじょぶ…起きてたから」


室内に入り、速足でベッドまで駆け寄って来る。
その仕草がソムヌスと同じで、やはり兄弟なのだと、nameは心の隅で思う。


「おかえり。出迎えられなくてごめんね」
「ただいま。エントランスにnameの姿が無くて焦った。風邪で寝込んでるって聞いてそのまま来ちゃった」


確かにアーデンの服装は外行きの物だ。
厚手のコートが何よりの証拠。


「熱は?」
「ある…」
「…触るよ」


アーデンの大きな手の平がnameの額に触れる。
ソムヌスから貰った冷えピタを貼り付けていたのだが、早々に乾いてしまったため三度目の目覚めの時に既に外していた。
外帰りだからだろうか。
冷えたアーデンの温度がひどく心地よい。


「結構熱いね。氷枕でも用意させようか」
「…ぃ」
「ん?なに、name?」
「冷たくて、きもちいい…」


無意識にその手の平に擦り寄れば、アーデンは小さく笑いながら両手でnameの頬を包み込んだ。
氷嚢に包まれる、とまではいかないが、火照るnameの頬には丁度よい冷たさだった。


「nameが眠るまでこうしていようか」
「だめだよ。風邪、うつっちゃう」
「nameからの風邪だったら大歓迎」
「ふふっ、何言ってるの…」


惚けたように言うものだから、nameは零れる笑みを隠しきれない。

アーデンは本気ではないだろうが、部屋に戻ってもらわなければならない。
風邪をうつす可能性だってあるし、何より彼は治療活動で疲れている。
連日休む間もなく動き続ける彼が唯一心も身体も休めらるのが就寝時だ。
病人の看病染みたことなどさせるわけにはいかないのである。


「ほら、部屋、戻って…」
「………」
「…アーデン君…?」


沈黙。
そして妙に真剣な眼差しでnameを射貫き続けるものだから、nameはアーデンの名を呼ぶことしかできない。
やがて彼はnameの両頬に添えていた手を下ろし、ベッドにそっと腰掛けた。
重みにより、僅かにnameの身体が沈む。
けれどアーデンが此処に居るのだというその傾きが、なんだかとても安心できた。


「覚えてる?俺が小さい頃に風邪をひいた時の事」


アーデンが風邪をひいた時。
それはおそらく、あの時のことを指しているのだろう。
今では「星の病」として猛威を振るっている黒き病。
その存在が明るみに出ていなかった頃、城付きのひとりの男が罹患した。
その出来事の後、幼いアーデンは風邪をひいたのだ。


「覚えてるよ」
「あの時nameはずっと俺のことを抱きしめてくれていただろう?俺はそれがすごく嬉しかったんだ」


熱に苦しむアーデンを見捨てられるはずもなく、内心様々な不安で渦巻きながらも、nameは一夜を共にした。
正確にはアーデンが抱き着いて離れなかったため、抱きしめるという形で眠りについたのだったが、口に出すことではないだろう。


「今俺がnameと同じことをしても、俺の事を考えてくれるnameを困らせてしまうだけだ」


それは王族としての義務のことであったり、将来の王妃に申し訳が立たないことだったり。
言葉にして直接本人に伝えたわけではない。
けれどアーデンはnameの考えていることなどお見通しだったのだ。


「でも心配くらいさせてよ。せめて、nameが眠るまで居させて」


それとも、俺、邪魔?

不安げに眉を顰めるアーデンをすぐに部屋に返す言葉が何処にあるだろうか。
こんなにも心配してくれているアーデンを無碍にできるはずもない。


「邪魔なわけないでしょ」


嬉しい。その言葉がnameの胸を満たす。
邪魔なものか。
nameの心の内を見透かすアーデンなら、nameがそう思っていることなど察しがついているはずだ。
けれどたまにこうして遠慮がちになるところは、nameに似たのかもしれない。
いつも一緒にいて、nameの隣で成長してきたのだから。


「ん」
「?」


布団の中から左手を出す。
外気に触れてふるり、とひとつ身震い。
突然差し出された左手を困惑気味に見つめるアーデンへ、nameは微笑みかけた。


「私が眠るまで、手、握っていてほしいな」


呆けたアーデンの顔が、みるみるうちに笑みを深くしてゆく。
彼を早く休ませたいとも思っていた。
けれどここまで嬉しそうな顔をされると、この選択が正しいものなのだと錯覚してしまいそうになる。


「あと、お話し、聴かせて。アーデン君の声を聴きながらだと、よく眠れる気がするの」


次々と口から零れる我儘。
熱に浮かされているとはいえ、随分と子供染みた要求だ。
アーデンにとっては造作もないこと。
しかしそれを我儘として片付ける辺り、nameもnameなのだ。


「nameが俺にして欲しいこと言うなんて、なんだか珍しい」
「我儘でごめん」
「我儘?俺にとってはご褒美だね」
「ふふ、お上手だこと」


やがてとろり、と瞼が閉じられる。
左手にはアーデンの手の感触。
聴覚を優しく包むのはまろやかなアーデンの声。

贅沢な眠りにつくnameの熟睡は約束されたようなものだった。



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